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これがわたしなのでね

『男女の身体の違いのような、生まれつきの脳や意識の仕組みの違いがある。』
『しかもたったの2種類である。』

うーん、ほんとかなぁ。
もっと多様で複雑な気もするけど。
そう思いながらずっと気になっていた本を、ようやく読み終えました。

通称『前者後者論』です。

人間は、「前者」か「後者」かのどちらかに必ず属しているというものです。

ほんまにそんなこと言い切れる…?
と思いつつ読みはじめましたが、読み始めると、はいはい、わかるわかる!思い当たり過ぎる!笑

性格とか心理的な問題とかは別として、確かにこの2種類のどちらかの潜在能力をもっているような気がしてきました。
生まれたときからもっている、世界をどんなふうに捉えているかや、どんな手順でどんな仕組みで脳内が動いているかという特徴です。

ちなみに、わたしは紛れもない「前者」さんでした。


これを読み終えて思うことは、自分と違うことを、異なる他者を知ることが、いかに重要かということ。
知ることから始まるというか。
なるほどー、そうだったのかー。じゃあ仕方ないかー。ま、いっか。
こんなふうに生きられたら、ずっとずっと自分自身が楽になる!と思ってきた道への、大きな道しるべ的な発見がたくさんありました。
人間を分類することや単にカテゴリーをつくることに意味があるわけではなくて、自分とどんなふうに違っているのか、理解するために整理してみよう!という気持ちで読み進めると、すんなーり入ってくる本です!


わたし(前者)は、「ふつう」を追求し続けているようです。
自分すらをも「ひとりの人」として、その場全体の状況が、情報として勝手に入ってきているというのです。これは確かに!うなずけます。

大勢で食事を囲んでいる場面。あるひとりの方と、最近近所にできたカフェの話で盛り上がっているところ。その最中であっても、反対隣の人がティッシュを探していること、その隣では別のグループが違う話で盛り上がっていること、その中に入っているふうだけど、どこかつまらなそうに作り笑顔の人、といった具合に、情報は多方面から一度にたくさん流れ込んできている感覚があります。

そして、さらに納得したのは、その情報をもとに、その場がうまく平和に、できる限り平穏にまわるように動いてしまう自分がいるということです。それが好きとか、そうしたいというより、もはや「習性に組み込まれている」という表現により、大きく首を縦に振っている自分がいました。

そうして自分を理解することで、どんなときに人とすれ違ったりぶつかったりしているのかが分かったり、はたまた、これはわたしのもって生まれた得意技なんだから自信もっとこ!と開き直ることができたりしました。


一方で、後者の人の見ている世界をちらっと覗くことができた気がして、それも新鮮な感覚でした。
「なんで?」とかじゃなくて、そもそも違うんだ〜と気楽に考えれば、おや?これはもしや、ますます人のおもしろさに気づけるんじゃないか?と思ったり。


こんなところが苦手とか、自分よりどうとか、相手の方がどうとか、そういうことのほが案外簡単に目につくし、敏感に肌で感じられるような気がします。
でも、そもそも『違う』ってこと、ときどき忘れてるなぁと思うんです。
無理に合わせたり、自分をちっちゃく押し込めたりするんじゃなくて、
「違うのか!なにそれ、へー、おもろいじゃん!」
って思える自分にたくさん出会っていきたいと思いました!


ご興味ある方は、ぜひ!

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