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「遊びをせむとや生まれけむ」とは言うけれど、女性は……

女性は遊ぶために結婚するのか? それとも遊ぶために結婚を敬遠するのでしょうか?

「遊びをせむとや生まれけむ」に始まる一節が納められた梁塵秘抄は、平安時代の流行歌集。ですが今もって「そうかも」と思わされる説得力がありますね。

「遊びをせむとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ」(出典 梁塵秘抄 四句神歌)

[訳] 遊びをしようとして生まれてきたのであろうか。あるいは、戯(たわむ)れをしようとして生まれてきたのであろうか。無邪気に遊んでいる子供のはしゃぐ声を聞くと、大人である私の身体までもが、それにつられて動きだしてしまいそうだ。

学研全訳古語辞典

結婚にはもれなく出産・家事・育児が付いてきがちな女性にとって、結婚が「遊び」になるかどうかは大問題。

私は「遊びをせむとや生まれけむ」を、遊び上手で古典オタクの父から常々聞かされて育ちました。

父の遊び上手の一例として、私が高校生の頃の夏休みの思い出を。ある朝、喪服を着込んで居間に現れた父が言いました。「これから田舎のほうにヤボ用で行くんだけれど、猪豚料理が名物らしいから、一緒に行かないか?」

初めて聞く「猪豚」の語感にそそられた私は、「行く行く」とふたつ返事で父とともに社用車に乗りました。

小一時間ほど郊外に走って、仕事上の義理の葬儀を早々に退出してきた父は、車の中でネクタイを外すと白いポロシャツに着替えはじめ……。

私はあきれながらも、「猛暑の中、勤務中の社用でも、楽しむ方法はあるんだ」と学びました。着替えがすむと、いざ猪豚料理店へ。

林の中の崖っぷちに立つ風流なボロ屋で対面した猪豚(イノシシと豚のハーフ)料理は、生姜とニンニクが効いた和洋折衷ソテー。ビールにありついてご機嫌な父と、美味しくいただきました。

そんなこんなで、私は仕事でも何でも「楽しく遊べるのか」が選択基準になっているところがあります。子どもを産むことについても……。

子持ち願望が希薄な私に対して、子どもを欲しがった夫。結婚一年以上が過ぎ、せがむ夫がウザいので、知人男性ふたりに相談してみました。

1人は結婚式のヘアメイクもしてもらった、未婚イケメン美容師のTさん。もう1人はキーボードを弾いていたバンドのリーダーで、有名アーティストのプロデューサーでもあるS(2度の離婚歴で、前妻との間に娘1人あり)。

TさんもSも、なぜか全く同じことを言いました。「1人ぐらい産んどいたら?」

彼らの語調に、遊びっぽい雰囲気があったんですね。「女は子どもを持たないと」とか「産まないと後で後悔するよ」とかではなく、「猪豚料理、行っとく?」みたいなノリで……。

とはいえ私は、歳の離れた妹を親代わりに育てた辛酸を経験していました。乳幼児の頃の子守りから、高校生の不登校時に親が放棄した衣食住の世話まで……。

子育てが一筋縄ではいかないことは、誰よりも知っていたはず。なのに、つい遊べそうな雰囲気に釣られて「よし! 1人ぐらい!」と思ってしまい……。

軽い選択を嘆いたのは、当然の報いでした。作曲やピアノをやりたいというかたに「できるかな?」と聞かれると、私はこう答えます。「『やってみたい』は才能!」。育児がしたくなかった私に、母親の適性があるはずもなかったんです。

母親適性=子持ち願望がある女性であれば、たとえ婚期が遅れていても、何とか手段を講じて結婚に漕ぎつけるもの。育児も上手くこなします。

そうまでして結婚する気がない女性は、自身の母親適性が高くはないことを本能的に察知しているのではないでしょうか。

かといって、私のように適性のない女性の子どもがダメかといえば、そうとも限りません。私の娘は普通に大企業に勤めながら、結婚して子育てしているし……。(産んじゃえば可愛くなるよ、というひろゆきさんのご意見↓)

遊びといっても、いろいろありますよね。読書が遊びだと思う人もいれば、苦行だと思う人も。子ども好きな知人女性Hさんは「赤ちゃんを抱っこしているだけで幸せ」と言いました。私はそう感じた覚えはありません。

Hさんは、子どもたちが大きくなってくると「なんだかつまらない」と言いました。私は逆に、娘が育った今のほうが面白いです。

一時帰国中のこの連休には、娘と自由が丘にショッピングに。一緒に選んだ孫用のパジャマを、さっそく着せた写真が娘から送られてきました↓。(ビーバーみたいな前歯が私に似たようで、なんか複雑……) 

無印良品の綿パジャマ、着心地よさそう!

未婚での気ままな暮らしが「遊びをせむ」なのか、孫との他愛ない関わりが「遊びをせむ」なのかは、人それぞれ。

インターネット時代を予測した映画監督が説く「幸せについて出回っている数々の本はまるで信用ならない」(2017)。今なら「インフルエンサーはまるで信用ならない」?

古典といえば、受験生時代の思い出があります。高3の1年間聴いていたラジオ講座の古典の先生は、真摯すぎて冗談も忘れたかのような壮年男性。

その放送最終日、先生は「みなさんの受験本番へのはなむけに、歌を歌います」とおっしゃると、おもむろにアカペラで歌い始めました。曲目は、黒の舟唄。

上手くはないけれどお人柄がにじむ先生の歌を聴きながら、先生に教わった日々を回想して泣けてきました。

受験への応援歌というだけあり、「男と女の間には……」の歌詞は、2コーラス目から「受験と◯◯の間には……」のように、先生による変え歌になっていました。

それにしても、なぜ本歌が「男と女」だったのか……。子育て後の今思うのは、人の世の基本は「戯れせむとや生まれけむ」の「男と女」なんだな、ということ。

子もち願望のない私でも「この人の子どもが欲しい!」と切望するほどの男性と結婚できたらよかったんですが……。みんながそうもいきませんね。

結局、打てる手の中で一番「遊びをせむとや」でいけそうなステータスに落ちつくのが、先祖の皆さまのご意向?!

自分で予想できる範囲は限りがあるので、信頼できる人に聞いてみるのも有効。私は子どもを持つかどうかを人に相談したことを、後悔はしていません。「1人ぐらい!」のつもりが、苦手な育児で大変なことになっちゃったけど……。

子どもの成長を見れば人生へのモチベーションは「私だって」と上がり続けますから、遅れたハンデはカバーできます。子持ちでも、そうでなくても、自分は自分。

女性は何かと割を食うことが多いですが、その分遊べる範囲も広い気がします。生まれてきた意味を考えたくなったときには、古典もいいですね。

「遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ」

Vサインのつもり?? (去年の渡米直前2ショット )

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