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衣が美味しい結婚

ハイスペ求婚者たちを退けて月に帰るかぐや姫が身に着けたという、あまの羽衣。プロポーズされたことがない身としては、いちど着てみたいものです。

着れば人間界の全てを忘れ、別れに対して感情を持たなくなるという点も、失恋ばかりの身としては惹かれます。

この羽衣の出処とも言われる ”羽衣伝説”を、あなたは信じますか? 日本だけでなく、世界各地に伝わっている説話のようです。

天から降った天女が羽衣を脱いで水浴していると人間の男が羽衣を盗み隠して結婚を迫り、天女は男と結婚して子を生み、その後、羽衣を捜し出して天に帰るという筋をもつ。

精選版 日本国語大辞典  

私は信じます。この話は男女の真理のように感じるから。動物だって、オスは歌を歌ったり綺麗な羽根を広げて見せたりダンスを踊ったりして、なんとかメスを振り向かせようとするじゃないですか。

人間の場合は、男性が経済力を独り占めして女性をかしづかせているケースが多いようですが……。本来女性は、この伝説のような存在だと思うから。

結婚と引き換えに男性を戦力に欲しい王や為政者に、「結婚や子育ては素敵なこと」と信じこまされているかもしれません。

特に「右に倣え」の日本人は、規格情報に疑いを持たない傾向が……。和服が同一規格サイズの反物から仕立てられる文化のためではないかと、私は考えています。

対して西欧の洋服は、個々のサイズに合わせて裁断・縫製された仕立て服が起源です。さすがは個人主義社会。   

産業革命以後はプレタポルテ(既製服)が普及したとはいえ、おしゃれな人は買ったその足でひいきのお直し屋さんに持ち込む、と聞いたことがあります。

和服では、西欧の仕立て屋さんがやってくれる調整は自前。襟の空き具合(抜き)やウエスト(端折り)の位置、裾の丈などは、紐や帯の結び具合で調節します。色気を出すも殺すも、個人のワザ次第。

私が着付けをマスターした動機はネガティブです。結婚・子持ち願望がなく、しかも生まれたのは望んでいた男の子ではなかったことから、女の子を育てる意味が何かしら欲しくて……。

着物を着る初歩だけは習っていたので、娘の成人式の着付けを目標に設定。娘が中学生になった年から、芸術色の濃い勉強会に参加して練習を重ねました。

西欧では、技術をつけるべきは仕立て屋さんだけですが、日本では個人個人が着る技術をつける必要があります。

こうした全員鍛錬のDNAが、第二次大戦後に破竹の勢いで復興できた一因かもしれません。

法律でも衣食住でも、何でも西欧の真似をして世界で地位を築いた日本。例えば英語にもなっているSukiyakiは、日本人が肉を食べやすい料理として考案されたそうです。

ポルトガルから伝わった “南蛮料理”テンポーラが起源とされるTempuraは、今や押しも押されもしない世界の和食。

一方、和服を着るカスタマイズ精神が忘れられつつあるせいか、欧風文化を独自のオリジナリティにしきれてない面も窺えます。

例えば、キリスト教国では二千年以上続いてきた一夫一妻結婚などの男女関係。通い婚文化の日本では、まだまだ欧風の衣に「着られている」段階かもしれません。  

アメリカでは今、プロム(卒業パーティー)のシーズンたけなわ。テレビではドレスの特集があったりで、華やいだ季節です。カップル文化の西欧では、プロムに限らず、異性のパートナー同伴が公の場での基本なんですね。  

カップル文化といえば、「結婚とは、つまりはカップルの肩書き」と知った、中高の同級生女子たちとの思い出があります。仲良しグループのみんなが結婚し始めたころ、新婚旅行に「ミスター&ミセスで行くかどうか」が、いつも話題になっていました。

当時は結婚式からそのままハネムーンに出かけるスタイルが主流。ヨーロッパに行く子が多数派でした。(「選択的夫婦別姓」なんて、影も形もない時代のことです)

「パスポートの苗字をふたり一緒にしたほうが、ホテルなどで歓迎され易い」というのが、経験者たちからの情報。そのためには、婚姻届を結婚式より前に出して、パスポートを取り直しておく必要があったのです。

私の新婚旅行は国内だったので、蚊帳の外でしたけどね。私のリクエストで、箱根のクラシックホテルへ。

割と古いものが好きで、娘の成人式にも私が着た振り袖を着せました。伝統ものにも流行りがあり、娘の年にはブルーがトレンド。着付けの先生がブルーの帯留や帯締めを貸してくださり、古風な着物をアップデートするコーデができました。 

娘の成人式ショット

また、着物の厳格なルールも、時代に合わせて変わる部分はあります。例えば、以前は「オトコに袖を振る」振袖は独身女性だけに許されるものでしたが、最近では違います。

せっかく誂えた振袖を着る機会がないのは勿体ないということで、既婚でも友人の結婚披露宴など内輪の席ではオーケーです。

歴史ある着物のルールですら変わっているのですから、結婚(するかしないか、いつするか等)のルールも、着物を着るように誰もが自分らしくアップデートしてもいいのではないでしょうか。

例えばニューヨークで、50代の友人が最近結婚したのを見るにつけ思うのです。カップル文化では、ふたりでいることが第一義。対して結婚すれば「子どもは?」と聞かれるなど、親子面が強調されがちな日本では、私のように子持ち願望の希薄な人間は生きにくいな、と……。

体毛が退化した人間にとって、衣服はなくてはならないもの。結婚という制度も、功罪がありながらも世界で採用されてきたからには、衣服のように便利な点があるのでしょう。

私の同級生たちが「ミスター&ミセス」と呼ばれる体面を気にしていたことからも、結婚は天ぷらやコロッケのように「中身よりも衣」という面はあるのかも。

かじった衣が美味しいから、みんな結婚したがるし、なかなか離婚に踏み切れないのでは?

“結婚揚げ”の中身は、何だって合います。「ぶ厚いトンカツよりも薄いハムカツ」のように、必ずしも高価ハイスペな素材でなくても。冷酷な素材なら、アイスクリームの天ぷらという手も。

でもひとつだけ、衣をつけないほうがいいものがあります。何のことかおわかりのあなたは、恋の苦味を知る人かもしれません。

血のしたたる銘柄牛のステーキ肉やら、旬な魚の採れたてのお刺身など、存在自体が希少な素材には、衣はないほうがいいですよね。

「結婚も、人生も、美味しいのが一番」と、夫が隠した羽衣を見つけた伝説の天女は呟いたとか、呟かなかったとか!