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『あなたが見ていたものは』 (創作大賞2022応募作品)

<創作大賞2022応募作品>

【タイトル】 あなたが見ていたものは

【あらすじ】
妻マリノが家を出てから半年。ミュージシャンとして成功したタケオは、なぜマリノが自分の元を去ったのか理解できないでいる。一方のマリノは、成功によって変わってしまったタケオに失望していた。夫婦のすれ違いはタケオのせいなのだろうか、それとも二人は、はじめから見ている方向が違ったのだろうか…


【以下、本文】



1. 夫、タケオ


雨音が聞こえる。

窓の外を見ると激しい雨が降っていた。
黒い傘をさした男が、肩をすぼめて足早に歩いて行く姿が見える。


昔は雨が好きだった。

雨がすべてを洗い流し、リセットしてくれるような気がしたから。

でも今はそう思えない。
僕を憂鬱な気分させる。
世の中には、雨に洗い流せないものがあるのだ。



マリノが家を出てから半年が経った。

「あなたは何もかも変わってしまった」

彼女はそう僕に言った。


「あたりまえじゃないか。人間は変化しながら生きる生き物だ」

そう思った。

それに僕の変化は決して悪いものではなかったはず。



無名のミュージシャンだった僕をマリノはずっと支えてくれた。
うっとりとした目で、僕の作った曲を聴く彼女の表情だけが唯一の希望だった。

「あなたの音楽を聴くと、体の中が温まる」

彼女は独特な表現で、いつも僕を褒めてくれた。


それだけじゃない。
マリノは、僕が音楽に専念できるよう生活を支えてくれた。
周囲の反対を押し切って僕の妻にもなってくれた。
僕は、そばにいてくれるマリノに心から感謝していたし、彼女を心から愛していた。


だから努力をした。

いつか成功して、今まで僕を見下していた奴らを見返したかったし、なにより愛する人を喜ばせたかった。




そして、ある日突然、状況が変わった。



動画サイトにアップロードした僕が歌う動画が、信じられないほどの再生回数を記録したのだ。
ある有名人が僕の歌を気に入り、それをSNSで紹介したことがきっかけだった。


この瞬間から、僕の人生は劇的に変わった。


トントン拍子でデビューが決まり、曲はヒットした。
はじめは何が起きたのかわからなかった。

だが、やがて理解した。


ようやく僕にもチャンスが巡ってきたのだ。


僕はその波に乗るべく必死だった。


はじめは慣れないことばかりだった。

音楽のことだけ考えていた頃とは違い、一緒に仕事をするスタッフとの人間関係構築も大切な仕事だった。周囲に嫌われてしまっては元も子もない。
しかし、口下手で引っ込み思案な僕にとって、それは簡単なことではなかった。
とにかく必死で食らいついた。今じゃなく、いつ頑張るというのだ。



努力の甲斐あって、僕はそれなりに名が知られるようになった。

もちろん、マリノも僕の成功を喜んでくれた。

彼女の笑顔が何よりも嬉しかった。
今まで苦労させた分の償いという訳ではないけれど、彼女にいい思いや贅沢をさせたかった。実際にそれができるくらいに、僕は成功した。


そして、狭く貧乏くさいアパートを引き払い、都心の広々としたマンションの一室を購入した。
マリノは慣れない贅沢に戸惑っているようにも見えたけど、嬉しかったはずだ。



また、僕との結婚を、いや僕の存在自体を認めていなかったマリノの両親とも和解した。
彼女の両親は「娘は幸せ者だ」とか「マリノは男を見る目がある」などと言い、上機嫌だった。



マリノは僕の隣でいつもニコニコと笑っていた。


そう。
僕はようやく彼女を幸せにできたのだ。
そして僕をバカにしていた連中(それはマリノの両親も含まれる)が皆、僕という人間の存在を認めた。


その頃から、僕はようやく自分に自信を持つことができるようになった。


ミュージシャンとしての活動はもちろんのこと、人前に出ることも、話しをすることも上手くこなせるようになった。
努力の成果だ。


やがて周りの人々は、僕を成功者として扱うようになった。



ところで、音楽活動をしているうちにわかったことがある。
それは、たとえ売れているミュージシャンであっても、なんてことはない「ただの人間だ」ということ。

かつては雲の上の人だと思っていた彼らと僕との差なんて、ほとんどない。いや、場合によっては僕の才能の方が上かもしれない。
音楽論を戦わせてもまともに議論もできない奴らに、かつて憧れていたと思うと自分が滑稽に思えた。


そうは言っても、同じ業界の仲間として、彼らと良好な関係を築くことはやぶさかではない。僕は、内心彼らをバカにしながらも、大人として礼儀正しく接した。時には不満や愚痴を仲間やマリノに吐き出すことはあったけど、それが本人に伝わらなければ問題はないはずだ。



大きな変化は他にもあった。

女にモテはじめたのだ。

これまでの人生、そんなことは一度もなかった。
好きな人がいても告白すらできなかった僕には、長い間恋人と呼べる人はいなかった。喋るのが下手で気の利いたことも言えない。音楽が好きなこと以外特段取り柄もない僕を、気にかける女はいなかったからだ。そう、マリノを除いては。


女に好意を抱かれるという経験は甘美だった。
それも一人は二人ではない。美しい女も多かった。
その中の数人とは火遊びもした。

とはいえ、一番大切なのはマリノであることに変わりはない。彼女を傷つけることがないように細心の注意を払った。

実際のところ、浮気を隠すのは難しいことではなかった。
マネージャーをはじめ、僕に協力してくれる人間はいくらでもいたからだ。



僕はもう、かつての僕ではない。


金がなく、バカにされ、劣等感に苛まれながらも一人孤独に曲を作り、歌を歌う。そして、自分で撮影した自分の動画を、自分でアップロードし、誰かが見つけてくれるのをひっそりと待つ。そんなみじめな人生は完全に過去のものだ。
今や僕は、世間に認められたミュージシャンであり、妻を幸せにし、自分の人生を謳歌している。





それなのにだ。

マリノは僕の元から去った。


全く理解できなかった。

結婚当初と比べ、格段に生活レベルは上がった。
マリノは有名ミュージシャンの妻として、人々の羨望の的となった。
贅沢なマンションに住み、欲しいものは何でも手に入る生活を手に入れた。



いったい何が不満だというのだ?


何度考えてもわからなかった。
そして、考えれば考えるほど腹が立った。



マリノは僕の成功を祈ってくれていれたのではなかったか?




窓の外は相変わらず激しい雨が降り続いている。

そして、僕の憂鬱が雨に洗い流されることはない。




2. 妻、マリノ


雨音が聞こえる。

窓の外を見ると激しい雨が降っていた。

幼い子供が、水たまりの上を楽しげに歩いている。
黄色い傘と黄色い雨合羽。そして、アニメキャラクター付きの長靴を履いている。
私は、その姿を見るとはなしに眺める。



昔は雨が嫌いだった。

雨がそれまで積み上げてきた「大切なもの」すべてを、洗い流してしまうように思えたから。


でも、今はちがう。
洗い流されてしまうようなものは、そもそもそれだけの価値しかなかったということ。それに、洗い流されたことで本当の姿が見えることもある。



家を出て半年、そんなことをぼんやり考える毎日だ。




タケオの無口なところが好きだった。
不器用だけど、俗っぽくないところが魅力だった。

これといった実績もないけど、音楽に対する情熱は本物で、なによりとても良い声をしていた。彼の歌声を聴いていると、体の中に感情が溶け出すような温かさを覚えた。


私だけが彼の良さに気がついていることも嬉しかった。

誰に認められることがなくとも、せっせと曲を作り、歌い、撮影し、その動画をアップロードするタケオ。その姿は愛おしかった。

しかし、彼の地道な活動はなかなか日の目を見ず、タケオの渾身の動画を視聴している人は数少なかった。


「自己満足かな」


タケオは弱音を吐くこともあった。


正直なところ、タケオの魅力に気がつく人がいなくても良いと思っていた。

もし仮に、誰かに見出されチャンスが訪れたとしても、タケオは人付き合いが苦手。上手くやっていけるはずもない。いわゆる「成功」からはほど遠いところにいるタイプの人間なのだ。

でも、そんなことはどうでもよかった。
「彼には私しかいない」と思えることが幸せだったし、私の生きがいでもあった。


タケオにお金がないことも気にならなかった。

お金なら私が稼げばいい。
だから夜の仕事も始めた。

正直、慣れない仕事で嫌な思いもした。
それでも「私には守るべき人がいる」と思えば耐えられた。



いつも一緒にいたくて、結婚を申し込んだのも私だ。
節約生活だってタケオと一緒なら苦にならなかった。
いや、むしろ工夫してやり繰りすることが楽しかった。

世間に無頓着で、純粋なタケオ。
好きな音楽に打ち込んでいるタケオ。
彼と暮らす平穏な日々は本当に幸せだった。


「タケオさんって、ヒモ?」
そんなつまらないことを言う友人もいたが、気にならなかった。
タケオはミュージシャン。そして私の夫。
それ以外の何者でもないし、そこらにいる平凡で俗っぽい男たちとは違う。

むしろ、男の収入や学歴、そんなことに一喜一憂している友人たちが幼く見えた。
私は、人生で本当に大切なものが何かを知っている。





だが、ある日突然、状況が変わった。





動画サイトにアップロードした、タケオが歌う動画が信じられないほどの再生回数を記録したのだ。
ある有名人がタケオの歌を気に入り、それをSNSで紹介したことがきっかけだった。


この時から、タケオの人生のみならず、私の人生も劇的に変わった。


デビューが決まったタケオは次々とヒットを飛ばし、あっという間に人気ミュージシャンの仲間入りをした。
正直、彼が成功するとは考えていなかった私は驚き、戸惑いを隠せなかった。


「タケオが遠くに行ってしまう」

そんな不安が私の中に芽生え始めたのもこの頃だ。

もちろん、タケオの曲や歌が世間に認められることは嬉しかった。
私だってそのために、彼を支えてきたのだ。




タケオは以前に比べてよく喋るようになった。

それは私の知っているタケオでないように感じられ、寂しさに胸が締め付けられることもあった。

それでも私は笑って過ごした。
せっかくタケオの夢が叶ったのに、私が暗い顔をしているわけにはいかない。



あれほどタケオとの結婚に反対していた両親も、手のひらを返したように理解を示した。「マリノは男を見る目がある」などと言い出し、上機嫌だった。


友人たちも似たようなものだった。
タケオのことをヒモだの何だの好きなことを言っていたくせに、「才能がある夫がいて羨ましい」などと言って擦り寄ってくる者もいた。



私はうんざりした。何もかもが望んでいない状況だった。




もっと悲しいこともあった。

それは、タケオがすっかり変わってしまったこと。

私の好きだった彼はいつのまにかいなくなっていた。
他人を貶めるようなことを言う人ではなかったのに、ミュージシャンや仕事仲間の悪口を言うようになった。外では流石に抑えているのかもしれないけど、私の前では好き放題に彼らをけなした。


それだけではなかった。
音楽論を戦わせるのが好きなタケオだけど、私が彼に何気なく話したある音楽に対する感想を、そのまま一語一句変えずに、自分の意見として雑誌のインタビューで語っていた。

それを知った時にはゾッとした。
私が好きだった男はこんなにも中身のない軽薄な男だったのかと。
それとも成功が彼を変えてしまった?


金遣いも荒くなった。
見栄を張るようになり、女の影が常にちらつくようになった。
ありえないことに、「タケオの子供を中絶した」と、私を脅してくる女までいた。



また、タケオは酒に酔うと、私がかつて夜の仕事をしていたことを持ち出し、嫌味を言うこともあった。
夜の仕事はタケオのためだったのに、なぜ私を責めるのか。

極め付けは、今まで暮らした居心地のよい二人の家を「こんな貧乏くさいところ」と言い、私をひどく傷つけた。
あのアパートは、二人にとって特別な場所だったはずなのに。

そんな私の気も知らずに、結局はドラマにでも出てくるような高級マンションに引っ越すことになった。
気乗りしなかったが、彼が私を喜ばせたいのだということは、重々承知していた。
だから喜んでみせた。でも実際は、この劇的な変化に息苦さを感じていた。



タケオの歌声は昔ほど心に響かなくなった。
それなのに彼に人気は鰻登り。
タケオのミュージシャンとしてのキャリアは順調そのものだった。



私はいつの頃からか、タケオに嫌悪感を抱くようになっていた。


私がみつけた唯一無二の男はいったいどこに行ってしまったのだろう?



雨が嫌じゃなくなったのも、この頃だ。

雨は、それまで積み上げてきた「大切なもの」を洗い流すのではなく、流されてしまうなら所詮その程度だと、知らしめるものだと気づいたから。

降り続く雨に洗い流された後に残った姿こそが、真の姿。



結局のところ、私はタケオという男を理解していなかったのだろうか。
いや、そもそも私が好きだったのは、ありのままのタケオだったのだろうか。

それとも、私は、私を必要とするタケオに惹かれていただけ? 


雨はまだ、降り続いている。






*審査員のみなさま*
■この作品は、太宰治の短編小説『きりぎりす』の設定のアイデアを利用して、新たに書いた短編小説です。

■映像作品の原作になればという思いで書きました。脚本も書けます。よろしくお願いします。
 ミント


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