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コーヒーと社会不適合者

昨日は、金沢市のお隣、白山市のカフェに行ってきました。

こだわった焙煎で煎れられたコーヒーは、今までの人生で一番コーヒーの味の違いを明確に感じることができました。

これからうだうだ書きますが、ここのコーヒーが美味しかったことは間違いありません。



店主の方が、お店でコーヒー豆を焙煎しているのを間近に見ながらコーヒーをいただけます。

焙煎後の豆から、不適当な物を見分けてとっていくときに、なんだかそのコーヒー豆に自分を重ねてしまいました。

不適当な豆がそのまま入って、豆をひいて出してコーヒーを作ると美味しくなくなっちゃうんだそう。

わたしが美味しいと感じていたコーヒーは、そういうのが取り除かれていたコーヒーだった。やっぱり良いものを作るには、悪いものは取り除かれてなくてはいけないんだ。そう感じました。



関係ない話のようになるけど、今度石川県の知事選があります。

この間、会社で一人の立候補者の後援会の名簿が回ってきました。

名前と住所を書くだけのもの。

わたしは選挙をとても大事な物だと考えていて、自分の世代の投票率を上げたいと思っています。

誰かの後援会のメンバーになるのは自分の信条に反していると感じ、自分の番が回ってきたとき、「スキップ」と言って、次の人に回しました。

次の人は「スキップ?」と言いながら笑ってくれて、これで大丈夫だと思いました。

しかし翌日会社に来ると、自分の机に昨日スキップした名簿が置いてありました。わたし以外の人はみんな名前を書いています。

「書きたくない」と、私が信頼している会社の先輩に伝えると、「気持ちはわかるけど、社長にも立場があるんだよ。(能ある鷹は)爪を隠しなさい」と言ってくれました。

社長にも事情があるのは分かるから、結局、名前を書きました。

別に書いたからこの人に投票しなきゃいけないわけでもない。


だけど、爪を隠したより、爪を切られた気がしました。


その後のミーティングで社長から、なぜその候補者を推しているかの理由を聞くことができて、社長の立場を理解しました。

でも納得は、しきっていません。


この話をコーヒー店で、一緒に行った友人と店主の方に話したら、「そんなの名前を書いておけばいい。頑固だね。」って言われて、あぁ私やっぱり頑固と言われちゃうのか…と。

名前を書くだけなのに、そんなことでこんなにも自分を失った気持ちになるのは社会不適合者なんだと、実感しました。



話は変わりますが、最近私は占星術の勉強を始めました。

「宇宙があなたを必要としたから、あなたは生まれた」という考えに共感したから、自分が何をできるのか、なんで私がここにいるのかを知りたいと思ったからです。

社会不適合者の自分は一体何ができるんだろう。

わたしがいることで美味しいコーヒーにはならないのに。



社会不適合者じゃないよって言ってほしいわけじゃありません。

自分は社会不適合者だと受け入れたから、今は楽しく、やりたいように生きられてます。



別にこんなこと、大したことじゃないと思ってたけど、考えたら涙が出てくるってことは、自分は何か吐き出したいのかと思ってnoteに書かせてもらいました。


ここまで読んでくれてありがとうございます。



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