ガーデンアーティスト 金井良一|廃材のスタイリストの起源とこれからに迫る!【職業図鑑No.013】
お庭のお手入れと言うと、専門的で難しいと思われがち。ちょっとした植物を植えるだけでも雰囲気が変わる庭やベランダですが、まとまった手入れができなかったり難しく考えすぎたりしていないでしょうか?
今回のみんな de 職業図鑑は、多くのテレビ番組に出演し「廃材のスタイリスト」の異名を持つガーデンアーティスト、金井 良一さんをインタビュー!
金井さんの考える庭造りの考え方や想いを語っていただきました!本誌にしかお話しいただいていない貴重なお話もお伺いしています。
【自己紹介】
たまたま受かった大学がすべてのはじまり
―― 金井さんのお仕事を簡単に教えてください。
ガーデンアーティストをしています。庭のデザインと施工が主な仕事です。空間の整備もやってまして、お客様が希望されればお宅のリフォームもさせていただきます。
―― 金井さんと言えば「庭」のイメージだったので意外です…。
少し前に古い蔵をリフォームしたんですけど、もともとは庭のリフォームと、蔵の外観を景色に取り込むための工事の予定でした。ただ、やっていくうちにお客様が「蔵の内側も…」となって、蔵の中もリフォームさせてもらいましたね。今もご家族の憩いの場になっています。
あと、昔、物置きだった場所を住まいに変えたこともあります。鉄工所の物置きだった場所を内装も含めてリフォームし、人が住めるようにしたんです。
―― すっごい…。では当初から造園や建築の勉強をされていたんですか?
学ぶどころか、造園という言葉すら知りませんでした(笑)
我々が大学受験をしたころは学生運動・安保闘争の真っただ中。自分の目標もなかったのですが、漠然と経済学部に行きたいなと思っていました。
ですが浪人してしまって「自分には目指している大学は無理だ」と考えるように…。親は浪人に対しては何も言いませんでした。ただ「大学卒業」という学歴があればよかったようです。
そこでたまたま合格したのが九州にある造園科の大学だった。同級生の8割は造園業の息子ばかりでしたが、今の仕事を始めるきっかけになりました。
10年の経験と独立
―― では大学卒業後は造園業へ?
そうです。ただ我々が就職した時代、世間の造園の考え方が変わっていったタイミングでもありました。
私が就職した当時は公害問題・環境問題が叫ばれていまして、国が整備しようとしていました。「木を植えよう」という動きが浸透したのも、このころです。
一方で高速道路の建設や大阪万博の開催も学生時代。それまで造園と言えば「庭師」のイメージだったのが、公共事業関係に広がって、建築土木に拡大していきました。
造園=環境問題の一環で公園を作るなどの事業が多かったんです。私はそのまま10年ぐらい勤めましたね。
―― 時代の変化で仕事内容が変わったんですね。ではそのあとは?
転職して造園会社を渡り歩きました。その前に、最初に入った会社でいろいろな経験をさせてもらいましたね。
―― 具体的に教えていただけますか?
会社自体は全国に行かせるような会社で、東北道とか関越道の工事にも行きました。全国飛び回ってましたね。
で、もうひとつ特徴があって、それが造園だけではなく図面作成や営業もやらせてもらえる会社だったことです。出向で別の会社に行ったこともありましたが、スパイですよ(笑)
とにかく、ひとつのことに従事はしていませんでした。
―― 独立されたのはいつ頃ですか?
40歳のときです。
当時の造園業は公共工事ばかりでお客様の意見が入ってこなかった。住宅で例えればわかると思うんですが、建売住宅は住む人の意見が入ってこない。すでに出来上がっている家を買うわけですから…。私はそれが面白くなかったんです。
それよりも造園業の中でも末端の会社を経験したときのほうがおもしろかった。ご自宅のお庭の小さなご依頼で感動していただくことが多く、徐々に「あっちも」「こっちも」となっていくのが面白かったんですね。
イングリッシュガーデンとTVチャンピオン
―― 金井さんが独立された当初は、どんなお庭が人気だったんでしょう?
主に日本庭園みたいな、そんな庭でした。
ただ、独立したちょうどそのころかな?どの雑誌だったか忘れちゃったんだけど、西洋のお庭紹介があったんです。あとは日本人が海外旅行に行くようになって、むこう(海外)でお庭を見て帰ってくることも増えました。
そこで「イングリッシュガーデン」という言葉が生まれて「お庭でお茶を飲めるじゃん!」という衝撃の大きさでブームになりました。
―― 今までの庭造りではなくなったんですね。
私も実はその時に写真を投稿しまして…。「これからの庭」というタイトルで応募しました。
そしたらその写真が出版社の目にとまったらしくですね、ページに小さく掲載されたんです(笑)
で、そこから「TVチャンピオン」のオファーが来たんです。
―― じゃあ、偶然…なんですか?
テレビ局も身近な存在でガーデンアーティストを探していたようですが、なぜか私に来ましたね(笑)
ただ、衝撃的だったみたいですよ。
ほかのガーデンアーティストは、ジーパンに流行りのシャツを着たカッコイイ人。テレビ的にもそんな人が絵になると思います。でも、スタッフがうちの事務所に来たとき、私はほかの人と違っていた。
ほかの作業員と一緒にドロドロの作業着で帰ってきたもんですから…(笑)
―― それは衝撃的でしょうね(笑)
あとから聞いた話ですが、やはり当時は「(金井の人選は)どうなのか?」と言われていたようです(笑) TVチャンピオンも4連覇して、スタッフと仲良くなったから聞けた話ではありますけどね。
廃材のスタイリストと呼ばれて…
―― 金井さんと言えば「大改造!!劇的ビフォーアフター」でのご活躍が有名ですが、これはどういったご縁ですか?
これはたまたま「TVチャンピオン」のADさんがフリーになって、別のテレビ局で番組の責任者になった。それが「ビフォーアフター」だったんですよ(笑)
この番組で「廃材のスタイリスト」と呼ばれるようになりましたね。
―― なぜそのキャッチコピーが付いたんでしょう?
「ビフォーアフター」のスタッフが「金井さん、依頼者が廃材をたくさん残していて、これどうにかしてほしいんですけど…」と提案してきたのが始まりです。普通なら嫌がると思うんですが、私はブリコラージュの考え方で再利用できると考えて引き受けました。
私はブリコラージュという考え方に、独立してすぐに読んだ本で感銘を受けました。「そこにあるものを使って自分で別のものに作り替える」という意味で、実はイングリッシュガーデンも同じ考え方でできています。
そして京都なんかにある日本庭園も一緒ではないかな…と。
―― 日本庭園が、ですか?
京都は昔から地震や戦火で建物や庭が壊れることがありました。ただ、再建するときには使えるものを再利用して作っている。
当時は板一枚が貴重だったでしょうし、もしかしたらブリコラージュした日本庭園があるかもしれません。
―― なるほど、たしかにそうかもしれません。
正直、最初は「廃材」という言葉に抵抗がありました。「廃材」ですからね(笑)
でも私は「TVチャンピオン」撮影時に、制限時間・材料・人員が限られた中で庭をデザインする経験をしたので、デザイン面は割り切ることができました。
独立当時の庭師は、日本庭園の図面をマスターすれば食べていける時代でした。ただ、そこにお客さんはいなくて、同業者からの目が気になっていたと思います。
「TVチャンピオン」への出演で、日本庭園のやり方にこだわる必要ないし、自由でいいんだとなりました。学生時代も知識ゼロで造園科に入った、その発想が役に立ちました。それを「ビフォーアフター」でも発揮できたと思います。
固定観念を捨てた、後継者育成
―― 金井さんの自由な発想の根本はなんでしょう?
自分が小さいころの経験が関係していると思います。
横浜出身なんですが、私が小さいころはまだ米軍基地がたくさんあって、そこで仕事してきた大人が古くなったボーリングの玉やピンを持って帰ってきたことがありました。ところが使い方がわからないものですから、玉は漬物石に、ピンを肩たたきにして使っていたんです。
あとは遊びですね。金網越しにみた米兵がしているゴルフをやろうということで、モップを切って遊んでいました。ほかにも字は読めないけどアメリカの雑誌の写真を見て想像を膨らませたり、テレビ普及当時の番組を見たりして感化されたりしました。
―― とにかく想像すると…。
こうして生まれた発想をクローズアップしてくれたのが「TVチャンピオン」でした。お客様に独自の視点で関わりたいので、今は同業者との付き合いもないです。
大学時代を思い返してみても、周囲はおやっさん(父親)から教えてもらった型にハマっていました。自分にはそんなものがなかったからか、独立当初から競争相手に勝つために廃材を用いて安くしていましたね。
―― そして金井さんは今、養成所を作りたいとお考えだそうですね?
はい、固定観念にとらわれた庭造りではなく、自由な発想の庭造りを広めたいんです。今はインターネットで調べたらなんでも出てきますが、もっと自分の技術やアイデアを出したらいいと思います。絵画や漫画は描いた人が誰かわかりますけど、庭は誰が作ったかなんてわかりませんからね。
今71歳(取材当時)ですが、今でも欧米の方が作る庭のYouTubeを見てワクワクしています。「なんでこの考え方を持ってこなかったのか!」とね。
自由な発想で庭を作りたい人がいいです。経験者でも庭造りを依頼したい人でもどちらでも…。依頼したい人が学べば業者選びやコスト判断もできるようになりますしね。
―― なるほど…。
ただ、女性の方が入ってくださるとうれしいですね。施工までできる女の子がこの業界にいてもいいと思います。
建築は女性も増えてきましたが、庭造りや土木はいまだに男の世界というイメージがあるかもしれません。男で作るのも悪くない反面、女性ならではの視点で庭造りをするのもまた違うものができるのではないかと思っています。
実際、私が見て感心する海外の庭造りYouTubeは、ほとんどが女性が手掛けていますね。
―― ありがとうございます。最後に、金井さんにとって「仕事」とは何でしょう?
「仕事」とは…か…。
年齢によって働く理由が異なるので、なにか一本の考え方では来ていません。でも、それがかえってよかったのかもしれないですね。
ブリコラージュに行きついたのも、お客様の投資が少なくても理想のお庭を作っていけると思ったから。それが今、この歳になって生きがいになっていますね。
何かしらうまい具合にやってきて、自分の考え方が変わったことが、今も現役で続けられている理由だと思います。妻もうまくフォローしてくれありがたいです。
これからも出会いとかなにかがあるだろうと思っていますし、庭造りやブリコラージュの考え方は続けていこうと思います。
編集後記
ブリコラージュの考え方に至る背景や後継者育成に求めること…。「ほかのメディアでは語ったことがない」というお話をたくさんしていただきました。
今回のインタビューと撮影は、現在着手されている鎌ヶ谷ひかり幼稚園様にお邪魔して行わせていただきました。たまたま園長の石神先生にお話も伺えましたが、なんと金井さん、忙しい合間を縫って園児たちの質問に答えていたとのこと!
さらに、とある園児が金井さんの作る池を見て「ザリガニ池作る!」とみんなで作っていたというお話も…。子どもたちが工事を間近で見たからかもしれませんが、金井さんが大切にされている発想力を継承したいという想いを体現しているエピソードでした。
金井さんのお仕事についてさらに詳しく知りたい方は、こちらもご覧ください。
【取材&ライティング】
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