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【なんだかんだ運が良い #1】 アメリカ生まれの幼少期

こんにちは、お元気ですか??
Takです。

今回から、僕Takの自分史として、今までの30年を振り返ってみようと思います。


パッと思い返すと、親のおかげで何不自由なく暮らせていたなと思います。
こればっかりは本当に親に感謝しています。


その中でも自分ってなんだかんだ運が良いなというのがこの30年振り返った時の感想です。


まずは、ほっとんど覚えていない生まれた時のお話です。


前回記事はこちら👇


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幼少期って、皆さんどれくらい覚えているものですか?


僕はもうほっとんど覚えていません。。。


ただ1つ、普通の日本人と違うだろうなと思うのは、


日本では無く、アメリカで生まれたことでしょう。


アメリカのアリゾナ州という、アメリカの中でも中々に暑い州で生まれました。


父親の転勤でちょうどアメリカにいたようです。
この約10年後、もう一度アメリカに転勤になるのですが、その時も同じ場所に住んでおりました。


もちろん覚えていませんが、写真を見返すとおじいちゃん・おばあちゃん、
親戚の叔母さん、母のお友達など来てもらっていたようです。


出産前後で母方のおばあちゃんが来てくれて、一緒に育児を手伝ってくれていたみたいですが、


はい、まあっーたく覚えておりません。笑



ただ、今自分自身に子供が産まれて思いますが、
父が英語を話せるとはいえ、


自分は英語が話せない中で、
異国の地で初めての出産、
しかも周りは外国人だらけ、


これはすごいことだなと今では思います。


ましてやアメリカは、日本みたいに出産後5日前後で退院ではなく、
生まれて1,2日で退院させられるようです。
そんな中産んでくれたことに、僕は感謝しかないでしょう。



アメリカには0歳から4歳までいたようです。
が、正直一瞬たりとも覚えておりません。


いや、本当に。。汗


しっかり出生時の記録とかあるのですが、それを見せられてもねぇ・・・笑


3年ほど前、仕事でアリゾナに戻ることがあり、
親から病院名を教えてもらい、生まれた病院を見てきました。


よく、「なんか懐かしい匂いだ〜」「この景色、見覚えがある!」
みたいにドラマやアニメであるかと思いますが、
全然そんな感傷には浸れず、ただただ「ここなんだなー」と眺めて帰ってきました。笑



すっごいもったいないですけど、まあしょうがないですよね。

もったいないついでで言うと、その頃は本当の意味でのバイリンガルだったようです。

日本語は家で話し、幼稚園で英語。
どっちも混じり合う感じで話していたと両親から聞かされております。

僕には弟がいるのですが親戚が言っていたのは、
弟が産まれ、日本に一時帰国した際、

親戚が赤ん坊の弟を触ろうとしたら、

「MomのBabyだよ!」

と怒っていたようです。

4歳のTakちゃん、ワードのチョイスも話している内容も可愛いですね。

あの頃の僕はものすごく可愛かったのになーと懐かしむ親戚家族一同の姿、
良く見てきた30年間です・・・笑


そんな僕でしたが、バイリンガルの幼少期は、日本に帰ってきてから、
すっかり空っぽになってしまったようです。。。

言語に限らず、スポーツや筋トレ、料理もそうですが、
やっぱ使い続けないとダメなんですよね。

書いた通り、この約10年後にまたアメリカに行くことになりますが、
そこから帰ってきてからも、英語環境に触れていないとどんなに
その前は話せていても、すーっといつの間にか消えていきます。

というか、口が回らなくなっていました。

ましてや、僕が4歳の頃なんてオンラインはおろか、ガラケーが出始める頃だったと思うので、
自発的に英語を使いにいかないと、そういう環境は手に入らないですよね。


今父になって思うのは、やっぱ子供には英語も話せて、
且つせっかく日本語にも触れ合える機会があるので日本語も話せる環境を提供したいと思っております。

日本語は僕ら親が話し続けられますし、今ではオンラインで他の親戚や、
大きくなれば友達とも繋がれます。

英語も同様にオンラインでも出来ますが、
もっと環境を整える為に海外移住なんかも考えております。

ただ、言語を覚えられてもその後のケアがないとすぐ忘れてしまうという自分自身の小さい時の経験があるので、この辺りは慎重に考えますよね。


こんな小さい時からもう既に教育は始まりますよね。

一つ言えるのは、親だからといって全て完璧ではないので、
親子で人生歩んでいくことだけは忘れないようにしようと思います。


自分史と言っておきながら、
あまりにも覚えていないので、こんな感じになりました笑

ですが、まさにあの頃の自分が、今の自分の子供と重なるので、
面白い振り返りでした。


ただ、あの頃のバイリンガルTakが未だ健在だったら、どんな人生だったんだろうな〜。


それでは、皆さん。
ばーい。

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