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別居婚のエッセイを読んで、高齢夫婦の在宅介護のヒントを得た話。

フリーランスで看護師をする傍ら、最近は在宅介護の分野にライフピポットし、たまに在宅で生活する人のヘルパー的な仕事もするようになった。
その中でも、私的に壮絶な生活をしているご夫婦の生活支援に行って依頼、もやもや感が抜けなかったが、noteであるエッセイを読んで、私の中で一つの答えが出て、スッキリしたので今日はその話をしようと思う。

そのエッセイがこちら。

とても読みやすく、読みだしたらあれよあれよという間に最後まで読まされてしまう。そして、テーマ自体が斬新。藤原華さん自身が夫と別居婚をすることになった経緯や、やってみての感想などをエッセイにしたもの。
これを読んで、私の中で壮絶な生活をする高齢ご夫婦に対してのもやもやが晴れた。

壮絶生活!高齢ご夫婦のお宅に生活支援に行った。

在宅での介護やヘルパーとしての支援を最近始めた。
伺ったお宅では、100歳越えの夫を90歳半ばの妻が介護していた。
ご主人は体を動かすことが不自由で身の回りのことは、奥様が手伝っている。奥様も自分で動けるは動けるが、一人で歩ける、という程度で着換えもままならない状態なので、洗濯や掃除、炊事はヘルパーさんに頼っている。
ヘルパーさんは1日のうちで1~2時間あいまに入る程度なので、それ以外の時間は、奥様はずっとご主人の介護を一人でされている。いろんな高齢者のケースを私もみてきたが、どうしてこのご夫婦は施設に入らないのだろう?まず、そう思ってしまい、仕事が終わったあとも、私のもやもやが続いていた。

「みんなちがってどうでもいい」

高齢ご夫婦の生活に対するもやもやは、思いもよらないところから答えのヒントが出てきた。
それが、藤原さんの別居婚だ。

話を、藤原さんの別居婚に戻そう。
別居婚という、風変わりな生活スタイルを、藤原さんは文章の中で「みんなちがってどうでもいい」と金子みすゞ風に語っている。
それを読んで、私のカチコチの正義感がふわあああと溶けだしていくのを感じた。

***
藤原さんのエッセイはとても内容が素敵で、こんなライフスタイルもいいな、と素直に私も思ったけれど、でも、子育て中の私が思ったのは、「子どもができたらどうするの?」という疑問だった。

でも、そんなことはどうでもいいのだ。
余計なお世話なのだ。
「みんなちがってどうでもいい」

私は、自分が自分中心に、自分の正義感を中心に考えていることを目の当たりにした。
高齢のご夫婦だって、施設に入ればいいのに。。
すぐに、専門家目線でそう考えてしまう。
でも、ご夫婦にはご夫婦の考えがあるのだ。

最期まで家でいたい。家で死にたい。

経済的に困っているわけではないご夫婦だったので、おそらくは最後まで住み慣れた家で生活したい、というのが希望なんだと思う。
そこに、第三者が「こうした方がいい」なんていうのは野暮だ。
施設に入れば、手厚い介護と引き換えに、自由が奪われる。
その自由とは、住み慣れた家での環境やご近所付き合いなどだけでなく、
食べない権利や治療しない権利などもない。

最期まで食べたくなくても食べさせられる施設

断食を趣味にしている私からみたら、たまに食べないことは健康によいとすら思うのだけれど、施設ではとにかく食べることが推奨される。
お年よりなんだから、1日3食食べなくったっていいと思うが、手先が不自由になって食べられない利用者さんがいると、介助して食べさせる。中には、あまり食がすすまない人もいるが、それでもなんとか食べさせる。
それでも、食がすすまなかったり、誤嚥してしまうような人がいると、今度は点滴で栄養を摂ったり、胃ろうなどが勧められたりする。
これは極端な例かもしれないけれど、施設ではそんな感じで、共同生活ゆえ、個人のわがままが通り辛い。
みなと同じことができないと、「わがまま」とみなされてしまう。

先進国が発展途上国に行ってどんどん開発を進めてしまうのと似ている

在宅で、介護が必要で自立した生活が難しい高齢者の生活をみると、すぐに施設に入った方が、とか、デイサービスにいった方が、とかいろいろ介入を進めたがるのは、NGO活動みたいだ、と少し思った。
良い支援ももちろんあるけれど、先進国が現地の人の素朴な生活を、これではいけない!みたいに一方的に考えて、先進国のライフスタイルを押し付けて開発や援助をすることがよくある。
介護の分野にこれをあてはめると、私のような専門家の意見が先進国側の考えで、発展途上国が在宅で介護を必要としているお年寄り、という構図になる。

まず、この時点で介護が必要な在宅のお年寄りを下にみていることがわかる。「手を差し伸べられなければならない援助を必要としている人々」という図だ。

みんなちがってどうでもいい
もう少し、この別居婚の藤原さんような考え方を自分の中に落とし込んで、自分の先入観を捨て、「これでいい」と思って生活しているご夫婦だと、フラットに考えた上で、必要とされているお手伝いを考えていかなくてはいけない、と思った。

ご夫婦には、ご夫婦にしかわからない夫婦の歴史や価値観があるはずだ。
高齢のご主人を高齢の奥さんが介護することは大変だけれど、でもそれを否定することはできない。
何に困っているのかは、聞いてみないと分からない。
大変でも、それをやり遂げることが生きがいかもしれないのだ。

多様な生き方を尊重する

個人の選択が、いろんな分野で昔よりも柔軟にできるようになってきた。学校に行かないことももいるし、働かないで生きることもできるし、結婚や出産だってそうだ。それに加えて、どこで最期を迎えるのか。
病院や施設だけでなく、自宅で、という人もいてもいい。
私も、ここでもう一度、看護師としての知識を取り払って、一人の人格ある人間として、それぞれのお年寄りをみていく、そういう練習を日頃からしていこうと思う。


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