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朝の夫婦喧嘩から私の中の怒りの本質に気づいた話。

今日は朝から、ちょっとだけ夫とケンカをしてしまった。
ジョギングで使った紺色のアディダスのひざ下くらいの丈のテロテロのスポーツウエアが見当たらない、というのだ。
昨日から、何度か言われて探してみたけれど、私も探しきれなかったので、
放っておいたが、また今朝になって「ない、ない」と言っている。

洗濯機に入ってるんじゃない?と私は言ったが、
「一緒に洗濯機に入れた上はあったのに下だけない」と言う。
そのとき、なぜかすごく責められている気がして、
「なにか物がなくなるとどうしていつも私のせいになるの?」
と、ついつい憎まれ口をたたいてしまった。

ミニマリスト気質の私は、日頃から物を大胆に捨てたりするので、
何か家で物がなくなると、
子どもたちも「ママ捨てた?」とすぐ言われる。
いらないと思って捨てたものが、だいぶ経ってから、
「あれどこに行った?」となることがたまにあるので、
最近は、自分のもの以外は勝手に捨てることはせず、
いらないだろうなと判断したものは、
ひとまず屋根裏へまとめておくという、私なりに気を使って片づけをするようにはしている。

結局は、洗濯機の中からそのジャージは発見された。
勘違いしていた夫、被害妄想チックに怒ってしまった私、
お互いにごめんなさい、ということで仲直りして、
朝のコーヒータイムを無事に迎えた。

でも、今日のことで私は、
自分の中で、なぜ、どんなときに怒ってしまうのか、
アンガーマネジメント的に、少し分析してみて、気づきを得たので、
それを記事にしてみます。

私が何かに怒るとき。
それは、往々にして、「自分に怒っている」ことがある。

「なんでいつも、何かなくなると私のせいになるの?」
という怒りも、怒りの内容をもっと掘り下げてみると、

・物がなくなるような状況を作ってしまっている自分にダメ出ししている
・部屋が散らかっている、片付けができていない、という現状に腹を立てている
・夜勤明けで帰ってきて、昨日は洗濯をしていなかった、家事がうまく回っていないことに関してのイラ立ち
               ↓
「本当はこうじゃない自分でいたかったのに!」
               ↓
本来の理想の自分とのギャップに、イラ立っている。

だから、結局相手に怒っているのだけれど、
そのほとんどは、本来ダメな自分に対して怒っている、
という構図がある。

私はきっと、「自分にきびしい」人間なんだな、と思う。

「変わる」ではなく、「本来の自分に戻る」ようにする。

今回の夫婦喧嘩と、自己分析で思ったことは、
私に必要なのは、「怒らない自分に変わる」のではなく、
怒らないですむような環境に「自分を戻してあげる」こと。

まさに、あちこち散らかったものをもとの場所に戻すように、
今までどこでも経験したことがない私に変化する必要はなくて、
私が怒らないですむ、もとの場所に戻ればいいだけ、ということ。
自分がプレッシャーを感じたり、あせってしまったり、
緊張したり、不安に思ったり、
そういう感情になりそうな状況をできるだけ排除して、
私が平常心でいられる環境に身を置くこと。

それが、アンガーマネジメントにもなるし、
私が私らしく、うまく回転するために、必要なことなんだろうな、
と思った。

自分がキレてしまうような状況は、
私が本来の自分からだいぶズレでしまっているから。

だから、何者かに変わろうとするのではなく、
心の中が波風たたなく穏やかでいられる環境を、
少しずつ整えてあげたい。
自分のために、家族のために。




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