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私が小説を読んだり映画を観るようになった理由。

最所あさみさんの文章が好きでよくnoteの記事を拝読する。
その記事の一つに、『物語は「私」を拡張させる』というタイトルの記事があり、その影響で私も小説を読んだり、映画を観る機会が増えた。

その記事の一部がこちら。

一冊の本を数日かけて読む、一本の映画を2時間かけて観る、それだけの時間を費やすだけの費用対効果を示すのは難しい。
けれど私は、時間をかけて物語の中に入っていきたい。
それは単なる娯楽ではなく、自分の枠を広げるための行為だと思うから。
これまで他人事に見えていたことが、自分事になってゆく。

たとえば、最近だとアマゾンオーディブルでこちらの本を耳読した。

タワマンに住む女性の目線から格差社会の生きづらさを描いた小説だ。

タワマンに住む人々の生活が「自分事」に思えた

今までなら、タワマンに住む人など「自分とは全く別世界の理解しがたい人々」として気にもとめていなかったと思うけれど、この本を読んで自分と重なる部分があることに気づいた。

それは子どもの受験の場面。
私自身も子どもの受験をこの春に一つ終えたばかりということもあり、都会の受験戦争の現状が手に取るようにわかった。
どれだけ自分の子どものありのままを尊重しよう、などと思っても、内申点や模試の結果で一喜一憂している自分がいた。
小学生のときは一緒に遊んでいたあの子が都内トップの〇〇高校。うちは〇〇高校。

この1~2年、子どもの受験とともに、他人と比較し続ける自分が消え去ることはなかった。

***
だからまさに、この小説を読んで、私はタワマンに住む主人公の生活やそこで感じている生きづらさが、「自分事」に思えたのだ。

だけど、これは自分と属性が同じ物語だから、というだけではなく、
自分とまったく違う境遇のものでも、そこから自分と照らし合わせて、
自分の世界観を広げていく作業は、小説や映画に触れるたびに続いている。

私の生活に、小説や映画が入ってきたことで、
世の中にずっと流されっぱなしではなく、
ところどころで立ち止まり、深呼吸をして、
体勢を整えて、進むべき方向を確認して、また一歩を踏み出す、
そんな自分に少しずつ変化してきている気がする。

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