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はるがきたね

最近のこと。

桜が綺麗。目黒川に行かなくても、上野に行かなくても、最寄り駅の改札に上がるエスカレーターから桜が綺麗に見えて、電車に乗る時眠るのを辞めてみたり液晶から目を離すだけで、いつも桜はこちらに春を届けてることが嬉しくて、凛として素敵だなと思う。

高校の時の友達が、夢を追い努力をしたり、やりたいことを現実にしようと藻掻いたり、既に大きな決断をしたりして、制服を纏って駄弁っていた放課後の私たちの残像はそのままで、ある人はリクルートスーツを、ある人は自分の立ち上げたブランドの服を、ある人は普段着を身に纏って、どんどん大人に近づいている。誰かの期待に応えられなくても自分のしたいことをして生きていくと決めた人もいる。勇ましくて輝く彼らは格好良い。私は、そんな姿とは程遠いけれど、やらなければいけない事を、目の前の事を、取り敢えずは淡々と取り組むしかない。高校で一生尊敬できると思える人達に出逢えたこと、間違いなく私の財産で、今の私を形成している。あの時の私たちは間違いなく美しく、尊かった。今も変わらず、夢に向かう友達も、それに触発されて生きようとする私も、それなりにすごく美しい。

家族の大切さに、ほんの小さな一言に、優しさに、涙が出そうになる。おじいちゃんのごつごつした皺のある手も、おばあちゃんのお節介も全て、愛なんだよね。父の帰宅が遅いことも、母が少し老けたように見えることも、私と弟が生きていく為のことで、私は何も与えることが出来ていないのに、血の繋がりは無償の愛を産んでしまうということ、嬉しくもあるけど申し訳なくて、少し怖い。臍の緒は今でも繋がっているみたいだ。胎内で養分をくれた母、私に名前を付けた父、今も受けている恩恵は私が胎児だった時と殆ど変わらない。家族たちが私に持たせてくれる愛。帰省した時にだけ食べれる筍の煮物の味、小さい時よく食べさせてくれたふきのとうの天ぷら、行列に並んで買ったのよと持たせてくれる甘いトマトや苺、特別美味しい草餅、売っているのを見たことの無いお煎餅、畑で育てたからって持たせてくれたブロッコリー、漢字一文字の高級な食パン。愛だね、ありがとうね。

春、生温くてちょうどいい空気は、なんだか恋をしたくなる。でも恋愛よりもするべきこと、しなくてはならないこと、楽しいこと、やり甲斐のある事は世の中に溢れていると、春になって漸く気づく。恋は今のところ、私には何も与えてくれない。自分の生活を努力と辛抱とたまの息抜きを織り成していくことの方が、今の私には必要と知る。

春、いい季節だけど、1年の始まりを唱えて知らせてきて、残酷でもある。

1年の初めに見る蝶々が黄色の蝶々だと、その年は幸せになるって誰かが言ってて、私それをずっと信じてる。昨日黄色い蝶々を見た。私の幸せを決めるのは黄色い蝶ではないことなど分かっていても、幸せのきっかけにはなってくれると思っている。

気持ちいい天気に、普段着ない明るい色のニットを着て外に出て、ぐうっと空気を吸い込んで、春の匂いと花粉を吸い込む。クシャミをする。私、生きてる。友達と家族と共に生きてるってことだ。今はただ、ひたむきにね。ひたむきに。

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