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適応障害になって、そして今。

わたしは新卒で入社して1年半後には適応障害(鬱手前)になり、
そこから約1年無職時代を過ごしています。

今まわりにいる人に、「ここに来る前は鬱手前で大変だった」という話をすると、めちゃくちゃ驚かれるし、「え、あなたが?」という反応をされます。

まだ自分が適応障害というラベルが貼られる前から、
人生にずっと生きにくさを感じていて、未来に希望を感じることもなかったです。

「どうせわたしの人生はそこそこで終わるんだろうな」って。
「とりあえず働き、とりあえず生きている」ような状態でした。

毎日小さな不満と小さなやるせなさが積もっていて、
そうなっているのは周りのせいだと考え過ごしていました。

親のせい、職場のせい、この環境のせい・・・

すべての責任を他者に追いやることで、どうにか自分を生きることを保ってた。

だけど心の奥底では、すべて自分のせいだとわかっていたし、自分さえいなければとも思っていました。

適応障害だと言われたとき、「わたし、まじでやばい。人生どうしよ」
と泣いたと同時に、心底ほっとした自分がいました。

適応障害というラベルが自分に貼られることに、安堵したんです。
だってそれを言い訳にできるから。

自分のこの生きにくさも、人生へのやるせなさも・・・。
その一言で片付けられるから。

仕事を休職して、たっぷりの時間ができた。
そのとき初めて、「自分と向き合う」ということをしました。

どうせ適応障害になったし、人生つまんないし、
じゃあ、本当はわたしどんなことをしてみたい?
どんなことがやりたかったけ?
わたしってどういうことが好きだっけ?

こんなふうに。

こういうことを当時ノートに書きまくってました。


わたし本当は、地元から出てみたかった。
高校のころから地元を出て東京に行くって言ってた。


過去の自分の望みを見つけたと同時に、
その望みを叶えずに、毎日変わりない日々を過ごしている自分に
わたしはずっとむかついていたし、焦ってたんだなってことにも気づいた。


でも、その望みを叶えるということは、たくさんの怖さがあるから、、、
その怖さを体験したくなくて、いろんなことを言い訳に使って、
現状維持することを選んでいた自分がいたことも。


でも、現状維持して、挙げ句の果てには鬱になるんだったら、
やりたいことやって死にたい。

本当は、本や旅に関わることを仕事にしてみたい。
いろんな国に行きたい。
地元を出たい、東京に行ってみたい。
そうゆうこと、全部やって、死にたい。
そこそこで終わらせたくない。

もっと、もっと、わたし、人生を楽しみたい。
このままで終わりたくない。


そうやって、自分と向き合って向き合って、
現実の自分と理想の自分に折り合いをつけながら・・・


そうして今は、当時のわたしが考えてもいなかったくらい
毎日楽しく、未来にも今にもわくわくしながら過ごすことができています。


わたしの人生のターニングポイントは、あの無職時代だと思います。
自分と、自分の人生に絶望したあの時。

「もうわたしの人生、だめだわ。」
と、大泣きしたあの時。


あの頃のわたしに伝えたいのは、
「大丈夫。あなたの未来はすごく明るい。だから今のあなたを一生懸命に生きて」

ということ。


休職し、そのまま退職を決めた時も、
東京に行くと決めた時も、
東京での就職先が見つかった時も、

いつもわたしは自分自身に

「大丈夫。未来のわたしが何とかしてあげる」

と言い聞かせていました。

本当に、何とかしてあげることができたなあって思います。


今わたしは本当に幸せです。

嫌なことだってもちろんあるし、むかつくこともあるし、自分に呆れることもあるけど。

それでも自分の人生の望みは叶えられるって知っているから。


今日もわたしは、ノートと手帳を通して自分に向き合い続けます。


人生は自由自在、わたし次第。欲張ったもん勝ち。
今苦しくても、今泣いてばっかりでも、
それでも大丈夫だってこと。

自分で自分を諦めない限り、人生は花道でしかないってこと。



これからわたしが自分自身と向き合ってきた方法や、
今も自分の人生でおこなっている思考の実験を
たくさんお伝えしていきます。


このページに辿り着いてくださった、
あなたの心に、毎日に、
少しでもわくわくが増えますように…🌸


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