南ノ三奈乃(MinanoMinamino)

物語の力を信じたい人。台湾在住。 ☆石田衣良さんの「オトラジ小説コンテスト」で受賞作に…

南ノ三奈乃(MinanoMinamino)

物語の力を信じたい人。台湾在住。 ☆石田衣良さんの「オトラジ小説コンテスト」で受賞作に選んでいただきました。(短篇小説「白熊」:『奇譚草紙』所収【公開中】) NOVEL DAYSにも生息中。↓↓ https://novel.daysneo.com/author/minano/

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  • 日々是口実(ひびこれこうじつ)

    エッセイ集です。台湾での、日々の生活のあれこれ、気に入ったもの、気になったもの、少し考えてみたことなど……。 イラスト/ノーコピーライトガール

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「オトラジ小説コンテスト」で受賞作に選んでいただきました。

なななななんと、わたしの短編小説「白熊」が、「オトラジ小説コンテスト」の受賞作の一つに選ばれました!! ――やったあ!! めちゃくちゃ嬉しい!!! 「オトラジ小説コンテスト」というのは、『石田衣良 大人の放課後ラジオ』の番組内で行われた小説コンテストです。 『石田衣良 大人の放課後ラジオ』(通称「オトラジ」)は、小説家の石田衣良さんを中心に、プロインタビュアーの早川洋平さん、声優コンテンツを中心に活躍される美水望亜さんのお二人が脇を固める番組で、YouTube、ニコニコ

    • 『太宰治は、二度死んだ』――あとがき:フィクションと事実の狭間で(二)

       本編『太宰治は、二度死んだ』(全30話+エピローグ)の「あとがき」エッセイ(二)として、今回はS文庫版〈太宰治略年譜〉の問題とは何だったのかというお話を書きたいと思います。  最初にお断りしておきますが、現在のS文庫では〈鎌倉郡腰越町小動崎でカルモチン嚥下〉となっております。でも、以前はそうではありませんでした。  太宰治作品が初めてS文庫に入ったのは昭和二十二年のこと、作品は『晩年』です。その次が『斜陽』で、こちらは昭和二十五年です。『斜陽』の巻末には〈略年譜〉が

      • 『太宰治は、二度死んだ』――あとがき:フィクションと事実の狭間で(一)

         本編『太宰治は、二度死んだ』は、昨日(2024年5月23日)更新分で無事完結致しました(全30話+エピローグ)。  多くの方に読んでいただき、心から感謝申し上げます。    本編は史実を基にしたフィクションです。よって、あくまで物語としてお楽しみいただいて全く問題はありません。  ありませんが…… 「じゃあ、史実の方はどうなってるの?」 「テクストにおけるフィクションと事実の関係は?」  といった問題が気になる方も、もしかしたらいらっしゃるのではないでしょうか。

        • 『太宰治は、二度死んだ』終章・鎌倉篇(エピローグ)

          エピローグ 私、二十二歳。女、十九歳。師走、酷寒の夜半、女はコオトを着たまま、私もマントを脱がずに、入水した。女は、死んだ。告白する。私は世の中でこの人間だけを、この小柄の女性だけを尊敬してゐる。           ――太宰治『虚構の彷徨』(傍点部は引用者による)                                (了)

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        「オトラジ小説コンテスト」で受賞作に選んでいただきました。

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          『太宰治は、二度死んだ』終章・鎌倉篇(第30話)

          「あっちゃん、ごめんよ」  岩に寝転んだまま、修治さんが言いました。 「なぜ修治さんがあやまるの」  わたしも同じように寝転んで、波の音を聞きながら青く澄んだ空を眺めていました。 「僕は、君を地獄へ誘うメフィストフェレスになっちまった」 「修治さんがメフィストフェレスなら、わたしは何かしら?」 「君はもちろん、マルガレーテさ」  わたしは修治さんの首に両手を回して言いました。 「わたしの可愛いメフィストフェレス様。あなたのお顔、ちょっと間が抜けていて素敵よ」  わたしは自分か

          『太宰治は、二度死んだ』終章・鎌倉篇(第30話)

          『太宰治は、二度死んだ』終章・鎌倉篇(第29話)

          「死ぬかい?」  修治さんが言いました。 「死ぬわ」  わたしは答えました。 「僕と、一緒に死んでくれるんだね?」  わたしは首を横にふりました。 「違うわ。わたしが死にたいの。修治さん、わたしと一緒に死んで。お願い」  わたしたちはそのまま下り電車に乗って、鎌倉へ行きました。  鎌倉に着いた時には、もうとっぷりと日が暮れていて、駅の近くの小さなホテルに、わたしたちは泊まることにしました。  ありがたかったのは、武雄兄が生活費の足しにとわたしにお金を渡してくれていたことです。

          『太宰治は、二度死んだ』終章・鎌倉篇(第29話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第28話)

           わたしは、新橋駅にいました。  先ほど見送った武雄兄と秋乃さんの顔が、瞼を離れませんでした。  二人が東京へ来たのが十一月二十五日。東京見物も二十六日の僅か一日だけで、二十七日にはもう慌ただしく広島へ帰っていったのです。  二十五日と二十六日は、わたしもホリウッドを休んで、兄夫婦と一緒にいました。  東京に着いた日の晩は、順蔵も一緒に食事をしたのですが、兄夫婦がかなり露骨にわたしにだけ話がある様子を示しましたので、順蔵もさすがに何か感じたらしく、ひとりで内幸町のアパートに戻

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第28話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第27話)

          「修治さん、その恰好どうしたの?」 「どうもしないさ。おかしいかい?」  東京帝大仏文科に在籍している修治さんが、東大の制服制帽を身につけているのは、むしろ本来あるべき姿なのかもしれません。  でも、いつもは殆ど絣の着物姿で、ついぞこういう恰好を見たことはありませんでしたし、またその制服が仕立て下ろしのように真新しく、なんとなくお芝居の衣装みたいに見えてしまうのです。  修治さん自身もその点は気になるらしく、 「実は長いこと、質に入れてたんだ」  わたしがまだ何も訊かぬ先に、

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第27話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第26話)

           結局、お島姐さんがホリウッドに戻ることはありませんでした。  まだ傷も十分に癒えない身体で、わたしにも行き先を告げず、姐さんはいなくなってしまったのです。  わたしの胸の真ん中に、ぽっかりと穴が開いてしまったみたいでした。  でも心のどこかでは、こうなることを知っていたような気もしました。  姐さんの部屋の様子が、思い出すともなく目の中に浮かびました。  女の部屋とは思えない、あのがらんとした佇まい。あれはきっと、姐さんの心の〝形〟だったのです。  あんな空っぽな心を抱えて

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第26話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第25話)

           人間は哀しい。生きることは、つらい。  そうなのかもしれません。  人生がそういうものであるなら、人はなぜ、生きていかなければならないのでしょうか。  それでも、自分の過去を語った姐さんは、意外にさばさばした顔をしていました。 「なんだかお腹空いちゃったわ。こんな時でもお腹が減るんだから、不思議なものよね」 「姐さん、わたし、どこかで夜泣き蕎麦でも誂えてくるわ」 「うん。じゃあ、お願い」  姐さんは財布を取り出しました。 「いいわよ。それくらいわたしが出すから」 「だめよ、

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第25話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第24話)

          「莫迦な人。こんなことしたって、どうにもならないのに。本当に、莫迦な人……」  蒲田の難波先生のところへ運ばれる途中、お島姐さんは目を閉じてぐったりとわたしにもたれかかりながら、譫言のようにずっとそう言っていました。  鍔鑿という先の尖った鑿が姐さんの太腿に刺さっていました。  ホリウッドの支配人が無理に鑿を抜くとかえって危ないと言うので、応急の止血措置だけをして、すぐに円タクで難波先生のところへ連れていくことにしたのです。 「姐さん、もうすぐ着くわ。しっかりして」  わたし

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第24話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第23話)

           夏がゆき、いつか秋風の立つ季節になっていました。  そんなある日のこと、ホリウッドにやってきた修治さんを見て、わたしは思わずあっと叫びそうになりました。  修治さんの顔はすっかり血の気が引いて、まるで蝋でも塗ったようでした。  時刻はまだ宵の口で、先ほどザアッと一雨きたのですが、その中を傘も差さずに歩いてきたと見え、全身ぐっしょりと濡れていました。 「どうなさったの?」 「なんでもない。ビールだ、あっちゃん。ビールをくれ」  急き立てるように言うので、慌ててお出ししたのです

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第23話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第22話)

             その日、内幸町のアパートへ帰ってから、わたしは豆電球の灯りの下で、『細胞文藝』創刊号の表紙を開きました。  どこから這入り込んだのか、小さな蛾が一匹、豆電球にぶつかってぱさぱさという音を立てました。  順蔵はいつものように酒くさい鼾をかいて寝ていました。  足に煙草の火を押しつけて、わたしを拷問したあの夜からずっと、順蔵は妙におどおどと、わたしに対して遠慮する態度を見せているのですが、こうして毎日仕事もせず、お酒を飲み、気楽そうに寝ている姿を見ると、なんだか得たいの知れ

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第22話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第21話)

             待つというのは、不思議です。  わたしに支払いの立て替えを頼んだ日を境に、修治さんはふっつりとホリウッドに来なくなってしまいました。  最初のうちこそわたしも腹を立て、次に来たらうんとつれない素振りをしてやろうとか、辛辣な皮肉を浴びせてやろうなどと、修治さんをいじめる方法をいろいろ考えて溜飲を下げていたのです。  ところが、来て下さらない日が二日になり、三日となると、だんだんひりひりと灼けつくような不安に苛まれるようになり、しまいには居ても立ってもいられなくなってしまい

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第21話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第20話)

          「ねえ、修治さん」 「なんだい、接吻がうまいあっちゃん」  わたしは修治さんを打つまねをしました。 「怒るわよ。ひとが真面目に話しているのに」 「おっかねえな。カチカチ山の兎が、狸を睨んでいるような顔をして」 「どうしてわたしがカチカチ山の兎なの?」 「あの兎はきっと、あっちゃんみたいな美少女なのさ」 「修治さん、わたし本当に打つわよ」  修治さんは大仰に首を竦めてみせました。  一見、余裕をもってふざけているみたいですが、たとえ相手がわたしのような小娘でも、実は修治さんは人

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第20話)

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第19話)

           その日、修治さんは『幽閉』という短い小説を、わたしに話して聞かせました。  井伏鱒二というのが『幽閉』の作者の名前で、修治さんは最近、この作家に弟子入りしたらしいのです。  なんでも修治さんは中学生の時、ある同人誌に載っていた『幽閉』を読んで、ここに埋もれたる不遇の天才作家がいる、と座っていられないほど興奮したのだそうです。 「いくら天才でも、埋もれて不遇ではつまらないわ」  わたしは頬杖をついた顔を修治さんに向けながら、ほっと溜息を吐きました。 この間、日比谷公園で唇を奪

          『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第19話)