休職OLの成長キロク#16 | いい子のわたしと、本当のわたし

こんばんは。みなもとなこです。

今回から自分の「自尊感情、自己肯定感」の低さと向き合ってみます。
(世に浸透していそうなので、以下、自己肯定感で統一します。)


わたしは自分の変えたい特性のなかに、
自己肯定感の低さというものがあります。

詳しくは、#14のnoteにて。


note#14の簡単振り返り

自分のなんかな~と思っている、特性を書き出してみたところ、
以下の5つが自己肯定感の低さに起因している、
というところまで気づけました。

・人に嫌われたくない気持ちが強い
・自分の優先順位が常に最下位
・人の顔色をうかがう
・必要とされることの絶対的価値
・自信がない

わたし自身の根幹にもかかわるところで、
ここを良いほうに変えられたら、
人生が少し楽になりそうと思っています。


自己肯定感とは

簡単に自己肯定感についてのわたしの認識は

いまの自分が好き(とはいえないまでもまあいいか)と思う

みたいな感覚です。

自分を卑下するわけでも、過信するわけでもなく
等身大の自分を認識して、そこに価値を見出せる感覚です。


いつから自己肯定感がないのか

振り返ってみましたが、
自己肯定感という言葉が流行る前は

「自分が好き」「自信がある」

という言葉が主流?だったように思います。

そして、物心がついたときから、
その類の問いに対する答えは常にNOでした。

わたしはいっつも自信がなく、不安げで、
自分のことが好き、と思ったことは、たぶん一度もないです。
(書いていて、ちょっと悲しくなりました)

人生でいつも一緒にいるのに、
自分のことがずっと好きになれないのは、
やっぱりちょっとしんどいですよね。


いい子のわたしと、本当のわたし

自分が好きと思えたことはないので、
それはもちろん、自己肯定感が低いということなんですが、
実際の感覚を細分化すると、

褒められてきたのはいつも「いい子のわたし」だった。
「本当のわたし」はなにもできない。

という感覚が一番近い気がします。

わたしはとっても「いい子」で「優等生」な人間でした。
それはどこか強迫観念的な部分があり、
そうでないと生きていけなかった家庭環境がありました。

それゆえ、評価されてきたのは

テストの点、何かの賞、部活の成績
定数的で、目に見えるもの、
自分が努力して努力してなろうとした「いい子」でした。

褒めてもらったところを伸ばそうと思うと
より「いい子」を目指すしかなく、
それは自分から遠ざかるような成長の仕方でした。

「いい子のわたし」をほめられても、
それは「本当のわたし」じゃないの、と素直に喜べず、
ずっと仮面をかぶっている感覚があります。


間違いなくどちらも自分なのですが、
似ているようで、どちらもお互いのことをあまり好きでいない、
そんなようなふたりです。

きっとふたりが歩み寄ってくれることが、
わたしにとって自己肯定感を高める近道なのかな、
と今では思っています。


どうやって、歩み寄るのよ?っていうところを
自分なりの方法でやってみましたので、
また明日書けたらな、と思います。

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最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
久しぶりに書いたところもあり、全然まとめられない。
日々精進ですね。

今日もお疲れさまでした。
真夏の終わりの気配がしてきましたので、最後まで楽しみましょうね。




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