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歩みを止める、前進の一歩

今年の春、わたしは休職した。
わたしにとって大きな大きな前進の一歩だ。

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ずっと休んではいけないと思って生きていた。
学校もバイトも会社も、動けないくらい辛くなければ、行くべきだと思っていた。

実際コロナの前は微熱なら会社に行っていたし、
リモートワークになってからは、38度の熱が出ても働いていた。
日本人の悪しき慣習をぎゅっと煮詰めたみたいな働き方だった。

休みたい、そう思うのに、休むのが怖かった。

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世間には、継続を美徳とする文化があると思う。
皆勤賞だとか、年功序列だとか、転職もメジャーになってはいるが、やっぱり終身雇用の根っこは深い。

純日本人マインドのわたしの根っこにも、何かを辞める、止める、休むことへの罪悪感がある。

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継続にはパワーが必要だし、それによって実を結ぶことがあるのも事実だ。継続が素晴らしいことには変わりはない。

でも、休職を決断する時、継続以上にパワーがいるのは、自ら歩みを止めることだと知った。

継続よりも、休むことのほうが何十倍も何百倍も勇気が必要だった。

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休職を決断する前、ボロボロの頭にあったのは怖さだった。

継続を良しとする社会的な価値観に反することが怖かった。
周りが人たちが進む中で、ひとり立ち止まるのが怖かった。
自分の弱さや限界を認めることが怖かった。
走って走って着実に積んできたキャリアを止めることが怖かった。
今までの人生で積み重ねてきたものが、自分自身が、無意味になるようで怖かった。

このまま体と心に鞭を打って、働き続けたほうが楽だと思うくらいに、
とにかく、とにかく怖かった。

それでも、心からの叫びを優先して休んだのは、
人生で一番、なによりも勇気のいる決断だった。

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いざ休職してみたら、想像していた以上に世界がひらけた。
焦りや罪悪感や不安と対照的に安堵の気持ちがあり、
この期間を前向き過ごそうとする自分がいた。

休職中、いろいろなことをした。
働き続けていたら、絶対にしなかったことばかりだ。

精神的に不安定であることを認めて休養がとれた。
noteを書き始めた。
Twitterで同じ悩みを持つ方とつながれた。
自分の機嫌をとる方法が増えた。
引込み思案なわたしの人生初のひとり旅ができた。
認知行動療法やマインドフルネスの概念を知り、学び、実践できた。

多くの時間を使って、自分自身と向き合えた。
ここで立ち止まってよかったと心から思える時間だった。

空が広く見えたとか、世界が色付き始めたとか、そんな大仰なものではないけれど、少しずつ少しずつ、凝り固まっていた生き方がほぐれていく感覚があった。

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人生で初めて、ひたすら前を向いて歩いてきた自分に逆らった。
これから先どうなるのかわからない。いつか後悔するかもしれない。

でも、わたしは今、休んでよかったと心から思う。
休むことに意味があったと胸を張れる。
そう思えるように生きていきたいと思うパワーも蓄えた。

歩みを止めたわたしは、今まで以上にパワーアップしている。
これまでよりも、ずっとずっとハッピーに生きられる。

止まったっていい。
止まった先にも道は続いていて、これまでの道にはいなかった自分がいる。
継続は素晴らしいけれど、それだけがすべてではない。

歩みを止めることだって、一歩踏み出すことなのだ。
進んでいないように見える一歩も、わたしには必要な一歩で、
この一歩は、自分自身をさらに前へと加速させるものだと信じたい。


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