辛口感想『舞台:パラサイト』※ネタバレあり

パラサイト~半地下の家族~の舞台を見てきました。

※舞台を見た人のみ閲覧ください。ネタバレ注意です。

芸術は感じる人によって感想が違ってきますので、実際に舞台を見た人と、どんな感想を抱いたのか話し合えると面白いなと思う作品でした。


私がこの舞台から強く感じたことをざっくり書くと、こんな感じ。
・格差社会の残酷さ
・貧困がどれだけ人生に影響を与えるのか
・富める者と貧する者の間にある見えない壁
・能力の使いどころに気づけることの重要性
・共感できなかった善悪(常識とも言う?)の違い
・被害者は自力で防御もしくは避けるしかないという残酷さ

全体的な感想→上記の感じたことについての感想→まとめの順番にお伝えします。

全体的な感想

全体的な感想としては、面白いけどよく分からないな・・・けど、とにかく共感できないわ・・・でした。

※ここから辛口注意☆

演者のセリフが聞き取れないこともあったので、もしかしたらそのセリフの中にあったのかもしれませんが、色々なことが唐突に起こっていきます。
そのため、物語の展開の仕方が良く言えばジェットコースターだし、悪く言えば手抜きしたの?ってポイントがあります。
また度々、一人語りのシーンがあるのですが、それが長く感じられて、終いには"くどい"と感じた部分も・・・。
大まかには何となく理解しながら見ることができるし、笑いのシーンもたくさんあるので、大筋が面白ければ細かいことが気にならないという人にはノープロブレム。
(伏線が回収されていく様もちゃんとあったので、まったくの"無計画"ではありません)

ただ、元々の映画のあらすじなどを見て「あぁ、あのシーンはそういうことを言いたかったのね」と理解できる感じでした。
舞台だとシーンごとの主要な人物の顔をアップにしたりできないからか、他の人にも視線が散ってしまって、重要な部分なのに感情がいまいち伝わっておらず置いてきぼりな感じがする部分がありました。

私は演技に関してはド素人なのですが、キムラ緑子さんの演技は"僕のヤバイ妻"の時にも感じた狂気や必死さ、怖さ、そして今回は息子を思う愛情を感じる演技が素敵でした。
また私の大好きな伊藤沙莉ちゃんや江口のりこさんも、ドラマで拝見してきた通りの、その役が本当の姿なの?と思うくらいのナチュラルな演技を生で見ることができて満足。
ドラマで見ると違和感を感じることの多い関西弁も、舞台だと大げさな演技をしていても違和感がないからか、今回の関西弁は違和感なく受け入れられました。

あとは、演技がどうこうというより登場人物のキャラクターについて無理があるのでは?と思うことがしばしば。
金持ちの奥様は元ホステスという経歴の持ち主なのに、なぜか騙されやすい純粋な人というキャラクター。
自分が人に気に入られるためにはどうするのか?ということに真剣に向き合い、お客様に夢を見せるために演技をして"ある意味では人を騙す"はずの職業をしていた人がコロッと人に騙される。無理があるのでは?
(ホステスさんは人を見抜く目をもった賢い人でないと務まらないはず、という私の偏見が強いのかも?)
お金持ちの旦那様はワンマンな社長をしているからこそ、裏切られないことの重要性を知っているはずなのに、家庭にあまり関心がないとはいえ、警戒心がなさすぎでは?
まぁ、気に入らなかったらクビにするという横暴さを最初に見せているくらいだから『自分が気に入る>信頼性』なのかもね。
(パワハラする上司たちって、皆こんな感じだったわ・・・)
それにしても、家政婦として雇っている主人公の母親は、温厚な奥様が呆れるほど家政婦としての仕事のできがイマイチなはずなのにクビにしない違和感・・・なんでや。
映画では重要なキーマンだったご子息は舞台では一向に姿を見せず、これが何かの伏線かと思いきやなんもない・・・。
地下に住んでいた家政婦の息子が成り代わっているから引きこもりになっている、くらいの"よくある話だけど登場人物にとっては大きな衝撃"という納得感が欲しかった。
各家庭の家族愛の対比を出すために出されたであろう家政婦の息子の存在意義も薄い。
映画の通り旦那さんが息子のムーブをしても十分話は成り立ったと感じる。
あと個人的には、山内圭哉さん演じる旦那様が、"獣になれない私たち"の時の九十九社長と性格がそっくりで、えばるけど少しなちゃけない感じが私は結構好き(笑)

シナリオについては、阪神淡路大震災を唐突に取り入れられたことが震災を経験した地域出身者の一人としては、ちょっと複雑。
やっぱり、震災の景色を見ながらも無関心な金持ち一家には不快感を感じましたし、震災特有の何か特別な事情も特になかったし、雑に扱われたみたいに感じたんですよね。
主人公の一人語りからは想定外の大きな出来事に対する混乱が起きていたことを表したいのかな?という気持ちは感じ取りましたが。
映画と同じく大洪水で良かったのでは・・・?というのが率直な感想です。

【余談】
ちなみに私の通っていた小・中学校では、震災中は被災者が助け合っていた、食料の配給も列を作って並んでもらっていたくらい皆が欲張らず日本人としての誇りを失わず頑張っていたという美談をよく聞かされていたので、震災を扱うなら主人公一家の暮らしていた街の人たちと、何だかんだ言いながら復興のために協力し合って人の温かさを知る・・・みたいな描写が入るのでは?みたいなことがよぎりました。
しかし、これは私がかなり学校に洗脳されているからこそ出る発想だと感じましたね・・・。
自分への大きな気付きになりました。ありがとうございます。

舞台から感じたこと

ではここから、冒頭にお伝えした私が舞台から感じたことについて掘り下げます。

・格差社会の残酷さ

この舞台の軸は『格差社会』
貧困に喘ぐからこそ、"少しくらい裕福な暮らしをしている人から豊かさを分けてもらったって、いいじゃない?"みたいな感じで主人公一家の寄生計画が始まっていきます。

格差を簡単に感じさせるポイントは、家の大きさ(快適さ)や住んでいる土地柄、食事、職業などと舞台の中でちりばめられています。
が、1番大きな格差は"阪神淡路大震災"が起きた時に現れていたと感じました。
主人公一家の家は震災で全焼して帰る場所が無くなり、学校の体育館で寝る生活を送ります。
しかし寄生先は震災の影響を全く受けず、窓から見下ろす焼け焦げた町並みが見えていないかのように、ご子息の誕生日パーティーとか吞気に開くわけです。

金持ちは何も失わない(失っても一部分だけ)で、いつも全て一瞬で失うのは貧困層というものを見せつけられるシーンでした。
ボロ家とはいえ、自分達の居場所だった家を失った主人公一家は、どうして自分達からばかり奪うのか?と精神的に追い詰められるシーンは辛いものがあります。
(まぁ、寄生先があるからお金を貯めて別の場所に移れるよねとは思ったけど)
自分達にとって慣れた場所を失うというのは大きなショックなので、自分達のショックに気づかず呑気にしている金持ち一家へモヤモヤする気持ちは分かります。

ただ、現実には会社というお金を得る場すら失う人もいるわけで・・・この主人公一家は、まだ就職先が生きているから立て直しがしやすい状況なんですよね。。。
この、希望がまだ残っていることに気づけるか否かって、結構大きな分かれ道かなと思いました。

・貧困がどれだけ人生に影響を与えるのか

最初の主人公一家って、いわゆる『貧しいながらも明るい家庭』なんですよね。
ちゃきちゃき働くお母さん、穏やかなお父さん、家族のために向上していきたいのにくすぶっているお兄ちゃん、自分の夢を叶えたいと理想を描きながらも現実的に毎日を逞しく生きる妹・・・
その奥底には「こんなところから抜け出したい」という気持ちを全員が共通で抱えながらも、家族で笑い合って辛いことには目を向けないように、ごまかしながら生きている。

それが美徳とされていたのが昔のドラマの数々ですが(個人的な偏見)、それが実は大きな歪みを生むんですよね・・・。

結構な人が心当たりがあると思いますが、「あの子は〇〇を持っているのに私は持っていない」という気持ちになったことはありませんか?

ちなみに私はめっちゃありました。
例えば私は高校生になるまで、新しい服を買ってもらうことは本当にめったになく、いつも近所の人のおさがりをもらっていました。
同級生は自分で服を選んで買っているのに、私はおさがりしか着れないから自分の好きな服を選ぶということができず、それが当たり前にできる同級生がとても羨ましかったです。

私は貧困であるということは、選択肢が狭くなることと同義だと思っています。
そして選択肢が少ないことにより、手に入るものも違ってくるため、周りの人との貧富の差にギャップがあればあるほど自分の心に劣等感を生んでいくんですよね・・・。

そして自分は持っていない側の人間だと思っていた人が、自分よりさらに下の人を見つけた時の残酷さといったら・・・
パラサイトの中でも、主人公一家よりも酷い暮らしをしている家政婦一家が出てきた時の見下し方がまぁなんともリアルで・・・。
主人公の父親が放った「こんなところでずっと生きていくのか?」という言葉に、お前たちのような暮らしは自分達には受け入れられないという見下し感が現れていましたね。
しかし家政婦さんには"食料を買うためのお金は自分で稼いでいる""仕事はちゃんとする"という誇りがあって、雇い主の家で勝手に飲み食いをする主人公一家を見下すという・・・
まぁ、ここは何を価値基準にしているかとか、それぞれの立場の違いの現れでもあるのでしょうが・・・。

選びたいのに選べないという状況が与える歪みの大きさを再認識しました。
自分の方がマシだという、そこで張り合っても同じ穴の狢感・・・

また、舞台の中では"欲"についても考えさせられました。

"もっとこうなったら良いのに"という気持ちって、際限がないんですよね。
この舞台では、富豪の家の暮らしに触れることで、どんどん"もっと欲しい"という欲が出てきて、最終的に想定外の事態へ発展する形で欲の行きつく先について表現されているように感じました。

最初は、お兄ちゃんが家庭教師として良い時給でバイトできて家計が助かる・・・というところから、美術の学校に行きたがっている妹も引き入れられたらもっとお金が入るかも?という欲が出てきて、さらにお父さんにもできる仕事があるじゃん!!お父さんもいける!!ってなって、最後にお母さんも引き入れられれば安泰だよ!!となってしまう。

そして最終的には、家族揃って雇い主の家のものを勝手に飲み食いしても平気になる。
そう、"ボロ家から抜け出したい・・・"という切実でささやかな願いが、この豪邸が欲しいという欲に変わったんですよね。

しかも自分の経歴を偽って家庭教師をしているご令嬢と結婚するつもりだと話す主人公へ「じゃあ、ここは嫁の家よね?私は嫁の家の皿洗いをしているなんて・・・嫁に皿洗いはやらせなくっちゃ」という発言まで飛び出す始末。
雇い主からの信頼を得られたことで、自分達は雇い主と対等になったのだと思い込んでしまい、歪みによって自分たちの偽りの姿を直視できなくなってしまっていました。

欲は原動力にもなるので重要な感情ではありますが、使い方を間違えると破滅に導くものだと再確認させらた気分です。

・富める者と貧する者の間にある見えない壁

富める者と貧する者の間には隔たりがあるのだという描写もまた、いろいろとちりばめられていたのを感じました。
1.貧困層の住む街特有の匂いがする
2.寄生先は高台に住んでいるのに対し、主人公一家は日差しの入らない暗い家に住み、家政婦一家は地下に住んでいる
3.モールス信号に気づける主人公一家と家政婦一家、気づく必要のない富裕層
4.働く貧困層がいるから富裕層の今の生活は存在できるという事実に気づけない富裕層

寄生された一家は、まぁターゲットになってもいいかなと思えるような描写が少しされていました。
(まぁ、それでも寄生する主人公一家のクズ感は拭えませんが)

旦那様はワンマンな社長で家族のためだと言って大々的なイベントだけはするものの家族を裏切り、奥様は自分の子には甘く夫の連れ子は他人任せで、ご令嬢は欲しいものがある時だけ父親に甘えて、母親には反抗的で弟にはかなりキツイ物言いをする、ご子息は家で大暴れをする引きこもりで、それぞれが家族への不満を何かしら抱えているのに、その問題を解決しようと家族間で正面から向き合うことをしないバラバラの関係性です。
それでも成り立っているのは、お金で色々なことを解決しているから何となく形が保っていて、快適に暮らしていける。
貧困から脱しようと団結する主人公一家との見事な対比。

本来であれば貧困層と富裕層は、需要と供給がマッチしているからこそお互い存在できるものなんですよね。
例えば、奥様は家事ができないから家政婦を雇う=家事を職業にしている人がいるから奥様は家事をしなくても生活できるという・・・言ってしまえばお互い様なんですよね。
でも、特に旦那様はそのことに気づいておらず、貧困層である運転手から"古くなった切り干し大根や地下鉄の扉が開いた時のような匂いがして不快だ"と言って、自分達とは違うものだと認識していることがしきりに描かれている。
こんな貧困層を下に見るような家からは取ってもいいんじゃない?みたいな"金持ちは嫌な奴という匂い"を醸し出すところがまた、違いになっていくというね・・・

奥様は元ホステスなので、貧困層まではいかないまでも富裕層ではなかったからか、貧困層の匂いについては分からないと言う。
しかしだからこそなのか、主人公一家から純粋で良い人だから騙されやすい良いカモ!!という扱いを受けます。残酷。

また1番の分かり合えないシーンは、阪神淡路大震災が起こった時の主人公とご令嬢の会話
主人公は思いもよらぬアクシデントに加えて家を無くし、まだまだ震災のダメージが目に見えて残る景色を見ながら失意の最中・・・(ざっくり意訳)
主人公「なぁ、俺ってこの家(豪邸)に似合ってる?」
ご令嬢「似合ってるよ?どうしたん?なんか様子が変」
ご令嬢は震災が起こっても何を失うこともなく通常運転で、主人公はガラッと変わってしまった想定外の状況について思い悩む・・・色々と計画を立てて成り上がろうとしないと幸せを手にすることができない主人公と、お膳立てされたルートを歩めばそれなりに幸せな状態のご令嬢の差なのかな、と感じさせられるシーンでした。

自分の持っている選択肢は何に影響されているのか?という意識って、残酷だけど受け止めないと前に進めないのかも?と思いました。自分へのブーメラン辛い。

・能力の使いどころに気づけることの重要性

これはめっちゃ大事なこと!!!
主人公一家は決して能力がないから貧困層なのではなく、実は能力はめちゃくちゃ高いんですよね・・・。
主人公の家庭教師として教える能力は本物だし、妹の美術の先生として生徒の心を開くコミュニケーションスキルも本物(この人はただの色仕掛けかも?)だし、お父さんの運転手としてのテクニックは本物だし・・・(なぜかお母さんだけポンコツのまま雇われているが)。
この一家は『需要と供給がマッチするところでアピールできれば』普通に貧困から脱却できるわけです。
実際に金持ち一家から仕事をもらって収入は豊かになっていますからね。
でも、今までそれをしなかったのは、今の環境でもそれなりに生きていけるから努力したくないとか、自分の持っている能力の活かし方が分からないとか、そういったものがあるからなんですよね。
これは実生活にも言えることで、自分のできることを誰かが求めているかも?と考えて、そこにアプローチする戦略を持っていれば何歳になってもご飯を食べていけるのかな?という自分への教訓になった気がします(笑)

ちなみにこの舞台の元ネタの映画は韓国で作製されたもので、韓国では能力があっても高収入の仕事に就けないこともあるという風潮を映し出した描写のようです(ネットで見たので不確かですが)。
日本では能力があれば、後はマッチング次第というところがあるので、この辺りは国の違いによる違和感かな、と思いました。
本人たちにはどうしようもない貧困という状況・・・という鬱憤を感じるポイントのはずが、「主人公一家よ、努力の方向性が間違ってるだけーーー!!」っていうただのもどかしい感覚になってしまうというか・・・。

・なぜか生まれる観劇者と主人公一家の善悪(常識とも言う?)の違い

観劇者が感じるストレスとして、主人公一家と家政婦さん一家はどうしてもクズなんですよね。
善悪の感覚が一致しないからこそ、完全に応援できないメンタリティをしています。
1.主人公の両親が自分が職に就くために他人を蹴落とす(しかも命に関わることもする)
2.主人公一家が雇い主の家で雇い主の家のものを勝手に飲み食いする
3.主人公一家は普通に身分を偽造しても堂々としていられる
4.主人公の父親は家族を置いて逃げておきながら家族を想っているというポエム書けちゃう
5.家政婦さんは家族を勝手に家に住み着かせてるけど、自分の働いたお金で食料は買っているからあなたたちとは違うと平気で言っちゃう

特にドン引きしたのは、家政婦さんを追い出すために家政婦さんのアレルギーを発症させたこと。
(運転手を辞めさせるために自分のパンツ置いてきちゃう妹にもドン引きだけど)
命に関わることを平気でやっちゃう辺り、主人公一家はかなりヤバい人たちなんですよね。
雇い主が体裁を取り繕うタイプで真実の追求をしないから、辞めさせられた人たちは『経費削減なら仕方ない』としか思わないので、主人公一家は自分達が恨まれるリスクもない辺りが胸糞。

家政婦さん一家は、実は前の主人の時から地下室に住んできたけどそのことを黙っている正々堂々さがないのが残念だな・・・と。
追い出されたくないという精神的に追い詰められた気持ちは分からなくもないなぁと思っていたところに、自分は稼いだお金で食料を買っているから主人公一家とは違うと言うところは理解不能で、話が通じないのが怖かった。

追い詰められたら他の人なんて構ってられないということなのかもしれないけど、私は胸糞だし理解したくないマインドなんですよね。
私にパワハラしてきた人たちって、私に仕事を取られたくないから私の評価悪くしようとか、仕事教えないとか、私の仕事の道具隠すとかしてきていたから、それをめっちゃ思い出したわ。
家政婦さんは特に、自分が家政婦として働いている時はプロとして献身的に尽くしていたからこそ、とても残念だった。
(これは、私が綺麗事を言い過ぎているのかも?)


・被害者は自力で防御もしくは避けるしかないという残酷さ

主人公一家の結末については母妹は死亡、父親は(見下していた)地下室暮らしをしながら主人公に助けを求め、主人公は父親を助けるためにお金を稼ぐと誓うというものですが・・・

寄生された金持ち一家は、大黒柱の旦那様を殺され、自宅で斬殺事件が起こったことが大々的に取り沙汰されて引っ越したということしか分からないんですよね。

大黒柱を失った一家はまともな生活ができるのか?
お金があるからなんとか保てていた家族関係は、これを機に団結できたのか、完全に崩壊したのか?
信頼していた人達に裏切られた怒りや憎しみはどうなのか?
幸せになれたのかどうか?
これらがまったくもって分からない(笑)

結局、この金持ち一家は寄生されたことで色々なものを失う形になりました。
まぁ、ポジティブにあえて言うならお金という家族を繋ぎとめていたものがなくなり、本当の家族の絆が試される時が訪れました。

けどこの一家は特に何もしていないんですよね。
富豪として富豪の生活をただただ送っていただけです。
例え貧困層を見下していたとしても。
それを一方的に崩されてしまいました。

ここで私が感じたことは世の中の圧倒的な理不尽ですね。

社会の風潮から貧困層としての生活を強要されていた主人公一家は、まさに理不尽を感じていたと思います。
しかし、この主人公一家がしたことって、まさに理不尽なんですよ・・・。

「奪われたから、私も奪わなきゃ!!」というマインドの人って、目をつけた人から徹底的に奪おうとする印象がめっちゃあるんですよね。

で、こういう人に出会ってしまったら、もうただただ防御するか逃げるしかないんですよ・・・。
直感を働かせたり、周囲の人と情報交換して目の前にいる人が安全かどうかを判断する警戒心を持っていないといけないし、判断した結果が合っているかどうかの確認も必要です。
そしてターゲットになりそうだと思ったら、すぐに防御の姿勢でターゲットにならない振る舞いをする機転も必要。
どうやってもターゲットにならないように防御か逃げるかするしかないという現実が詰まっていました。あぁ辛い。

まとめ

舞台だけでも話は分かりますが、元ネタの映画も見るか、もしくは映画の感想や考察も見ることでより理解が深まりますので、舞台と映画の内容を比較しながら理解し直すことがおすすめです。

最後、主人公のお父さんが娘を刺された後に雇い主を刺したのですが・・・
その時の心境がよく分からない&別の場所でも同時に人が刺される修羅場があって視線が分散されるという事案が発生していました

この時の描写を映画から引用すると、旦那様が気を失ったご子息を車に乗せるために、運転手である主人公の父親に車のキーを渡すように言った際に車のキーを床に落としてしまった時、主人公の父親の目には旦那様が貧困層の匂いを感じて顔をしかめる姿が映った。
それに対して自分の感じていた屈辱や差別されたこと、理不尽な世の中に対する怒りが一気に抑えられなったために旦那様を刺すということだったようですが、舞台ではよく分かりませんでした。
舞台では、妹が刺されて嘆いているところに旦那様が近寄ってきて、そこを逆恨みのごとくいきなりテーブルの上の包丁を手に取って主人公の父親が刺していましたからね。
(恐らく、近づいてきた際に顔をしかめたのでしょうが、他のところへも視線が分散されて私には見えなかった)
パニックになって刺してしまったのかな?みたいな、浅い印象に感じてしまいました。残念。

どこに視線を持って行っていたかで、ちょっと印象が変わりそう?
けど、大筋の物語はちゃんと分かりますし、なんせクスッと笑える要素がたくさんあるので、面白い舞台でした。
沈んでいた私に笑顔を届けてくれてありがとうございます。

あと主人公の氷魚くんと沙莉ちゃんの兄妹感はリアルなので、その2人の絡みにはめっちゃ癒されました。

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