見出し画像

結果発表:ウィークリーぱか詠み第8回『マルゼンスキーorツインターボ』


はじめに

一瞬だけ南の柳が失礼します。
事前に告知させていただいたとおり、今回から隔週で評の執筆をとに一さんもとい、藤井柊太さんと共に務めさせていただくことになりました。
それにあたって執筆の形態について念のためご説明させていただきます。
基本的には記事の文章をほとんど全て藤井柊太さんにお願いしていまして、テキストとして送られてきたものをnote上に起こす作業や、こういった運営からのお知らせなどを南の柳が行っていく感じで進めていくことになると思います。(まだ1回目なので何とも言えませんね)私が執筆する回はいつも通りです。
また、段落や改行などはできるだけ手を加えず原文のままで記載させていただくため、いつもと少し表記が変わる場合があります。(URLや引用部分などがあると、原文から少し変わるかもしれません)
というわけで、この先から総評までは藤井柊太さんに執筆頂きました。ありがとうございました!

こんにちは、藤井柊太です。

いつものウィークリーぱか詠みとは違う形ですが、6月30日締め切り分については、私がお題提示をさせていただきました。そのうえで、評を担当させていただきます。

今回のお題は、当該週に開催でしたラジオNIKKEI賞(旧ラジオたんぱ賞/日本短波賞)の勝ち馬であるウマ娘であるマルゼンスキーとツインターボをお題とさせていただきました。結果、マルゼンスキーのみ3首ご投稿いただきました。ありがとうございます。他ジャンルの二次創作でもあるのですが、短歌にしやすいキャラクターと、そうではないキャラクターというものは存在します。サンプル数は3とはいえ、今回はそのような力学が働いた結果とも言えるでしょう。ツインターボについては、アニメ版でライバル(自称)のトウカイテイオーを励ますためにオールカマーで大逃げを打ち、見事最後はフラフラ歩くようにしてゴール板を通過して、結果トウカイテイオーの闘志に火をつけるという感動的なシーンがおもいだされます。カノープスの同僚である鉄の女・イクノディクタスも、当該レースに出走していたのも史実の妙という感じで、深く印象に残っています。

さて、マルゼンスキーですが、おそらく現時点では最も実際の競走馬のキャリアとしては最古参のウマ娘となっています。当時欧州を席巻していた、ノーザンダンサー直系の最有力種牡馬として名を馳せていたニジンスキーの種を宿した繁殖牝馬をアメリカから持ち込み、1974年に日本で誕生した馬です。しかし当時の中央競馬会の規定で、海外で種付けされた牝馬を日本に持ち込んで生まれた仔については「持込馬」という扱いとなり、クラシックなど含む八大競争には登録できないことになっていました。なので、それに該当しないレースだけ8戦して8勝。2着の馬につけた累計の着差は61馬身という驚異的な記録を残しました。種牡馬としては、ウマ娘関連ではサクラチヨノオー、BMSとしてライスシャワー、ウイニングチケット、メジロブライト、スペシャルウィークを輩出するなど、史実の日本競馬界に残したインパクトは計り知れないものがあります。ウマ娘としては現状の最古参らしくどことなく昭和のテイストを残したコメディリリーフ的な佇まいと、お姉さんらしい誰にも優しく凛とした雰囲気が共存した絶妙なバランスのキャラクターだと言えます。

そんなマルゼンスキーさんについて寄せられた3首がこちらです。
(コメントを共有していただいた蒼豆さんの歌以外の作者はわかっていない状態で評は書かせていただいております)

ありがとうございました。それでは選の結果とともに評をさせていただきます。

結果発表

第3位

レトロの泡弾けてもレコード盤 赤い舞踏曲を踊って

4Pt 蒼豆

モチーフ:マルゼンスキー
コメント:上の句はマルゼンスキーの言動、そこから起こる昭和レトロへの「エモさ」を表しました。476は昭和レトロの対象となる高度経済成長からバブルまでの、未来への待望から来る現代芸術らしさを投影したつもりです。下の句はニジンスキーとマルゼンスキーをイメージしました。ニジンスキーは『春の祭典』などの振り付けで有名なバレエダンサーです。赤い舞踏曲は走る姿かカウンタック・ランボルギーニかは読む人に任せます。

今回は接戦だったようで、惜しくも3位となりましたが、個人的には1点入れさせていただいた歌です。
レトロ、泡(バブル景気の象徴でしょうか)、レコードという「昭和」という枠組みの中に納まるワードを並べて、マルゼンスキーさんの勝負服のイメージである赤という色と、舞踏曲というエレガントなイメージに収斂させていくものとして読みました。
構造については、Aパートでレトロの泡弾けて「も」という仮定のかたちを引き継ぐように、一字空けからのBパートで赤い舞踏曲を踊るという流れは、何らかの不全感から、それでも赤い舞踏曲(個人的にはフラメンコのような舞踏をイメージしました)を踊り続けている。つまり、史実になぞらえると、持ち込み馬としてその能力を十全に発揮できなかったこと、それでも記録にも、人々の記憶にも残った競走馬としての矜持が「も」の助詞一文字に託されていることを読み取りたいです。
これは、意図はされていないことだとはおもいますが「レコード」は競馬のコンテクストでは記録を想起させてくれます。ここは圧倒的な速さで日本レコードを打ち立てまくった当時のマルゼンスキーの姿が重なり、いいイメージの連関になっているとおもいました。
短歌としては、わりと観念的なイメージのみでゆるく一字空け前後が接続しているところと、韻律のガタつきが気になりました。まず、迎えて読むことは十分可能なのですが、レトロの泡、という観念的なイメージを具体的に掘り下げずに上滑りした状態で読者はレコード→舞踏曲という具象のフェーズに接続された流れだけを読むことになります。レトロの泡弾けてもの「も」を個人的には好意的に読みましたが、実際はレトロの泡が弾けるというイメージと、赤い舞踏曲を踊る、ということの結びつきについては、ゆるくウマ娘のマルゼンスキーというキャラクターのイメージで結束されているに過ぎないような気がして、ふわっとした(それが悪いというわけではないのですが……)とりとめのない読み味になっていると感じます。また、韻律面のガタつきについては、個人的には看過できないレベルにあるとおもいます。定型の音数に当てはめても「れとろのあ/わはじけてもれ/こーどばん/あかいぶとうきょ/くをおどって」で3句目と4句目以外のすべての区切りで句跨りをしています。それならばと文節で切ると「レトロの泡(6)弾けても(5)レコード盤(6)赤い舞踏曲を(9)踊って(4)」と、どう読んでも一か所も定型の韻律に当てはめられないのはいただけないところでした。短歌は畢竟「歌」なので、定型を守るにしても外すにしても、リズムと音の流れがきれいにはまっていたほうが私は好みです。というところで個人的には2位で取らせていただいております。

こちらの歌については作者の蒼豆さんからコメントをいただいておりました。
(こちらのコメントは作者解題と捉えて、評を書く前に読むことは控え評には反映しておりません)

上の句はマルゼンスキーの言動、そこから起こる昭和レトロへの「エモさ」を表しました。476は昭和レトロの対象となる高度経済成長からバブルまでの、未来への待望から来る現代芸術らしさを投影したつもりです。下の句はニジンスキーとマルゼンスキーをイメージしました。ニジンスキーは『春の祭典』などの振り付けで有名なバレエダンサーです。赤い舞踏曲は走る姿かカウンタック・ランボルギーニかは読む人に任せます。

なるほど、舞踏はニジンスキーのイメージをもってきているのか、読み切れませんでした……。

第2位

傲慢は最速だけの特権で負かされることを望んでもいる

5Pt 南の柳

モチーフ:マルゼンスキー

今回は1位から3位までそれぞれ1票差という僅差でした。個人的には今回この歌に2点を入れさせていただきました。 この歌についても「望んでも」の「も」がとても効果的だったとおもいます。ウマ娘のマルゼンスキーさんは傲慢というよりかは、もう少し理性的な高慢さ?というイメージですが、ことレースにおいてはそこから少し野性味のある逃げ一本の不器用な雰囲気となるので、いい言葉の斡旋だったのではないかとおもいます。 史実はもちろん、ウマ娘のゲーム内の育成において、その制約のなくなったマルゼンスキーさんは無双の活躍を見せます。史実では叶わなかったダービー出走を、大外枠固定ながら叶えることが可能になっています(これは史実で主戦騎手だった中野渡Jが「大外でもいいからダービーに出走させてくれ」と発言したことがベースですね)。短距離から中距離まで、まるで特権のようなスピードを武器に、ウマ娘の世界では暴れまくることが可能なわけです。だからこそ、史実で無敗でターフを去ったという事実が、ゲームの世界でさらに拡張されているとも言えるわけです。そのウマ娘のマルゼンスキーさんの気持ちとしては、自分を打ち負かしてくれる存在を待ち望んでいるということなのですが、ここに史実のマルゼンスキー世代としてこの先実装が待たれるいわゆるTTG(トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス)の存在の示唆があるとおもいます。実際には直接対戦することのなかったTTGとの物語は、今後のウマ娘の展開においてサイゲームスの持っている大きな手札のひとつと考えます。この一首に関しては、韻律もよく、さらっと読めてしまう歌ながら、背後の物語の奥行きは深いのではないか……と、うれしく読ませていただきました。なにより、この歌がマルゼンスキーさんを主体としていることの違和感のなさが、二次創作短歌としての精度の高さ(これは、諸説ありますが、個人的に……です)を物語っているとおもいます。マルゼンスキーさんの気持ちについての表現が、原典でリーチできる既存のストーリーの単純ななぞりになっていない点を高く評価しました。

第1位

「風になる」そう言うきみが走る夏 熱い風 スーパーカーのごとく

6Pt キマユ
1着おめでとうございます!

モチーフ:マルゼンスキー

マルゼンスキーさんを第三者視点から詠んだ歌で、歌の中でわりと言いたいことが言い尽くされているところがあるとおもいます。マルゼンスキーさんの育成イベントや、ストーリーをすべて追っているわけではなく、実際にそういうことを言ったかどうかは不明なのですが「風になる」ということを言ったマルゼンスキーさんが、実際に(夏ということもあり)熱い風を起こしている。スーパーカーのように。ということだとおもいます。短歌の中に書かれている内容が、そのまま読者に一意に伝わるリーダビリティの高い一首だとおもいます。そのうえで、いくつか指摘を。まず、この歌は「風になりたいと言ってスーパーカーのように走るマルゼンスキーさんを見ている」という表層だけで成立しているということもあり「風になる」というマルゼンスキーさんの発話も、風の感じも、季節も、~のようにの直喩も盛り込めています。つまり、リーダビリティの高さと引き換えに、読者がこの一首を読んだ時のイメージの余韻や、手残りとなる取り分があまりにも少ないとも言えます。全部言うことが悪いのではなく、全部伝えてくれた上で一首から感じるもの(たとえば、どうしてマルゼンスキーさんが「風になる」と言ったのかは気になるところです)が立ち上がってくるか否かは、読後感に大きくつながるものと考えます。なので「そう言うきみ」の散文調で説明的な表現や「風」という言葉が二回出てくる冗長さ、熱い風とスーパーカーのイメージの近さ、夏だから熱い風になることのわかりやすい因果など、歌の読みやすさがそのままウィークポイントにも感じてくるわけです。読者としては、もうちょっとこちらを信頼して短歌を投げていただいて(大丈夫な場合もあるし、そうでない場合もありますが……)、表現と修辞のレベル感をいろいろ試行錯誤していただければ、と感じる一首でした。とはいえ今回は1位なので、私という一個人の評価など気にせず誇ってください。おめでとうございます!

総評

二次創作として一首の短歌をどう屹立させるかはなかなか難しい問題で、今回はまさに三者三様のアプローチだったようにおもいます。その中で、一首の中、もしくは背後にストーリーの奥行きや空間(そこに読者が余韻として勝手に発生させる抒情)の有無について考えさせられました。また短歌としてどのように韻律を組み立てるかについては、諸説ありますが、破調や、字あけなどによる作者側の読み方の指定は、それ自体に歌の意味内容を包含できる可能性があることを意識して、まずは定型(57577)で短歌を作るということを体に叩き込む(こう言うと精神論なのでまるで時代錯誤ではありますが……)ことも肝要なのかなと感じます。そのうえでどのような定型の外し方をすれば、意味内容にも寄与しつつ、すんなり読むことができるかが見えてくるとおもいます。簡単なところでは、自分で音読して気持ち悪くないか。みたいなチェックをしてみるといいとおもいます。どれだけ定型外しても気持ち悪くない歌は歌として気持ち悪くないし、音数が合っていても気持ちの悪い歌は気持ち悪いものです。今回(も)個人的な感覚に準じた感想で評らしい評ではなかった気がしますが、ご無礼ご海容ください。また再来週(ほかに評をかいていただける方がいらっしゃらなければ……)懲りずによろしくお願いします。

次回のお題

次回のお題は『ハルウララorナリタトップロードorヒシミラクル』です。

函館記念の勝ち馬であるニッポーテイオー、サッカーボーイの産駒からピックアップしました。
また、漫画『ウマ娘シンデレラグレイ』において、ハルウララの父ニッポーテイオーはアキツテイオー、ナリタトップロードとヒシミラクルの父サッカーボーイはディクタストライカのモチーフであると言われています

短歌の締め切りは 7/14(金) 23:59
投票の締め切りは 7/16(日) 12:00です。ぜひご参加ください。

『ウィークリーぱか詠み』についてはこちらから。

『ぱかたんか』について、詳しくはこちらをご確認ください。

それでは第10回でお会いしましょう。

藤井柊太, 南の柳

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?