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Soup Noodle Cuisine 考 vol.2

俺はラーメン屋ではない。
ラーメン屋は辞めた。

俺はスープヌードルキュイジーヌ屋だ。

しかし、何をもってスープヌードルキュイジーヌと言うのかは俺にもわかっていない。

そしてそれを決めるつもりもない。

スープヌードルキュイジーヌとは概念であり、スタイルではない。

その概念もまだまだ曖昧模糊な状態のままだ。

その答えは未来の若者が出してくれたらいいと考えている。

like a Super Star!

「あんたは大器晩成やな」

これは幼い頃から母親に言われてきた言葉だった。

先日見てもらった複数の占いでも

大器晩成

という言葉が出てきた

今でもすでに47歳ともう若くない年齢なのだから、晩成とはいつになるのだろう?と思わなくもないのだが、大器晩成するそうだ。

うん、きっとすると思う。

恐らく俺は当たり前のように人気と信頼と尊敬と収入と愛を手にするだろう。

ここまでの苦労が嘘のように、全てがスムーズに運ぶ瞬間が訪れるだろう。

注目をされたり、俺の話を必要としてくれる人が現れたり、俺の仕事が誰かのためになる日が、必ず来るだろう。

しかしそんなことが人生の目的なんかではない。

自分の人生に限って言えば、スープヌードルキュイジーヌという概念を作り上げて、誰かを笑顔にして、そしてまた誰かにスープヌードルキュイジーヌを繋げていくことだけが、目的だ。

お金を得るとか、知名度があがるとかは、その過程として当たり前に出てくる現象に過ぎない。

だから俺は人生目標も持たなければ、経営計画も立てない。

自分の表現のレベルの高さと、自分が持っている人間的な器に見合ったステージが自ずと向こうからやってくるはずだ。

そしてバッターボックスに立つことになるその時、いかに自分の実力を発揮できるか?それだけが自分の人生を決めると考えている。

ミシュランガイドに掲載された時、『目標が叶いましたね』と言ってきた人がいたが、『ミシュランガイド掲載が目標』などと言ったことは一度もない。

『ミシュランには当たり前に載っていなきゃいけない。あまり前の宿題だ』

と言っただけだ。

今世での自分の現実的な成果など大した問題ではない。

大切なのは、想いや愛を未来へと繋いでいくことだ。

自分の仕事が未来にどんな影響を与えるかなんて誰にもわからないし、自分の仕事が他者の仕事やまた現代社会とどんな科学反応を起こすかもわからない。

もしかしたら『少しややこしいおっさん』くらいで忘れ去られてしまうかも知れない。

それとは全く逆に、100年後の未来に光り輝き羽ばたく誇り高い文化の元祖となっているかも知れない。

だからこそ俺は自分の美学と美意識に殉じて死にたい。

商売のセオリーだとかマーケティングだとかブランディングとか、考えている暇なんてない。

胸の奥から湧いてくるものだけを形にしたい。

本来スーパースターとはその様なワガママで自己中心的で押し付けがましい愛の中からしか出てこないはずだ。

何を表現するべきなのか?

その時代その時代において必然として現れる芸術形態というものがある。

必然として現れた誰かの叫び声が時代を象徴するサインになったりする。

俺はそんな小さな叫び声を器の中に注ぎ込みたい。

器の中の小宇宙に、この森羅万象を、この現代社会の蠢きを、この憂鬱と孤独を、この悲しみと哀惜を、この愛おしさと温もりを、そして混沌から生まれる調和を、注ぎ込みたいのだ。

そして誰かの心を震わせたい。

誰かの心が震えた時、俺と彼我の魂が共鳴する。

理解や共感などいらない。

ただただ、震えて共鳴すればいい。

その音色が美しければ美しいほど、叫び声はハーモニーになる。

その時にスープヌードルキュイジーヌは完成する。

儚くも空になった器の温度が冷めていくとき、共鳴した魂もまた鎮まりゆく。

だから何度も何度も何度も注ぐのだ。

新しい叫び声を、混沌を、そして調和を愛する心を。

カオスからコスモスを産み出せ。

それがスープヌードルキュイジーヌだ。

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