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自己肯定感が低い人の明確な原因

自己肯定感とは、自分を好きな気持ち、自己効力感、自己満足感、幸せな気持ちを総合してまとめたような言葉です。

最近の私は「自己肯定感が低い」と思うほどの状態ではなかったのですが、何かまだ「自己肯定感あります!」というほどではなく、スッキリしないところがありました。

自己肯定感が低いことで問題が起こりやすいのは、特に恋愛・パートナーシップです。

私が去年結婚したのに早期に離婚して、なのにまだ相手と付き合い続けるだの、別れるだのと煮え切らない争いが続いていたので「原因はなんだろうな?」と思っていました。

「私はもう何度も謝っているのになんで分からないの?」と思い、「もう別れる」って言うと「言ってること理解しないから…」と返事が来て、「私だって理解出来ない」と、結局言い合いが続いて疲弊していました。

そろそろ決着もつけないといけないし、何よりもうお互いにしんどいのに、お互いに「分かってくれない」って言い争ってるのが可笑しくなって、自分でも何か解決方法を見つけないとと思いました。



参考にした本

『7日間でなりたい私になれるワーク』(大石洋子)
という本を読みました。

人によっては
「『潜在意識』とか言ってるような自己啓発本はもう良いわ」
と思っているかもしれませんが、とても単純・明解で分かりやすい本です。

「潜在意識なんて、そもそも分からないものを操作しようとしてることが無理じゃない?」と思う冷静で理屈重視な人ほどオススメだと思います。

今の私には、「そりゃそうですよね」「当然だよね」と納得できました。

恋愛もそうですが、周りの人間関係、仕事での不満、願っていることがなかなか叶わないなど、ジャンル問わず読める本です。

自分の思考が現実を作ってるという意味

ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』で、もう十分認知度はあることだと思いますが、それでもまだ実感が伴ってない人が多い「思考の現実化」。

私も漠然と「まあ思ってなかったら、その方向に叶うわけ無いか…」くらいにしか思ってませんでしたが、実際はもっと緻密でした。

よく「親との関係がその後の人生の人間関係に反映する」と言われます。

無意識に女性は父親に似た男性を選んだり、自分の自己肯定感が低いとDVするような男性を選んだりしてしまいがちです。

そういう「現実化」は理解できていても、他人の幸せに心から「おめでとう」と言えていなかったり、後からやってきた社員などが自分より早々に色々な仕事を任されているのを見ると嫉妬になって気持ちが乱れることがありますよね。

この気持ちの乱れが一体どう影響するのか、具体的に考えるのが難しかったわけです。

親との関係(特に仕事なら父親、人間関係は母親)などの過去を原因にした漠然とした現実化の理解になっていました。

あと、よく感じるのは、自分がイライラしている時に追い風のようにイライラさせる人が目の前に現れることです。

自分がイライラすることによって、更にイライラすることを見つけたり、自分が「私なんかもうダメだ」と思ってる時に追い討ちされることがあります。

それも一種の現実化なのかなと思っていました。

自分の問題点

結婚している間に元旦那さんに言われたことで

  • 他人の悪口を言うな

  • 愚痴も言うな

  • 親は大切にしなさい

ということを言われました。

とはいえ、私だってそれが良くないことくらいは分かっていますし、自分でも分かっていながら明確にどうすべきか決められないままでした。

他人の悪口や愚痴も極力言いたくないけど、出てくる時もあるし、うまくいかないと誰かのせいにしたくもなりますよね。

親も大切にすべきと分かっていても、長年のわだかまりがあったり、今更素直に仲良くなれないもどかしさもあるわけです。

こういうところを直さないと「愚痴の多い人に幸運は無いだろうな」と思っていたのもあって、自分の内面を見直す必要があると思いました。

自分がやってることはいつか返ってくる

私が仏教のことをよく調べているのは、一部の人には知られていることですが、
「思考の現実化」の基本原理は仏教と共通していて、「やったことは返ってくる」「思ったことは返ってくる」ということです。

因果応報ってやつです。

思考の現実化というと、「願いは叶う」と表現されることもあり、「神様の前で願ったことが、叶ってハッピー✨」になることを考えがちですが、

実際は「神様の前だけではない普段からの思考」が「自分に返ってきてハッピー✨(orアンハッピー💫)」になってるらしいです。

普段何気なく「こうなりますように」って願い事してる時って、普段の生活とは切り離して自分の望みや欲を考えて、結果的にすぐ忘れたりしていることが多いです。

願い事が叶わない原因の1つは、「願い事をすぐ忘れる」ことにもあるようです。

でも、改めて考えた願い事は、思考ではなく、【思い付き】レベルのことなんですよね。

「思考は現実化する」とは言ってるけど、「思い付きは叶う」とは言ってないですからね。

自分の思考は騙せない

自分がやったことや、思っていることは自分には全部見えているので、自分自身は騙せないという事実も「思考が現実化する」上で大事な要素です。

自分が心のどこかで愚痴を言ったり、誰かを批判したり、馬鹿にしたことは、自分には分かってしまいます。

他人には言葉にしてないからバレなくても、自分には分かっていて、態度で相手に示していないつもりでも、自分のどこかに相手を馬鹿にしている思いが有れば伝わってしまうこともあり得ます。

自分の思考はそういうネガティブな気持ちが発生した都度、原因になってしまっているらしいんです。

例えば、「私はよくバカにされている」と感じていると友達から相談を受けた場合、その人の因果応報で自分に返ってきてるだけなので、その友達は普段何かある度に「人のことを内心バカにしてるんだな」と解釈できます。

(だからって、それをバカにしたり、怒ると自分の思考がおかしくなるので注意⚠️)

「人をバカにしたくなる気持ちもわかるよ」と受け止めた上で、自分の為にならないから止めようと決意して、同じ気持ちが湧く度に修正していくことが大事ですね。

自分の気持ちをモニタリングすることを意識しておくと良いです。

そもそも、自分にない他人の感情は、気付かないのが普通です。

例えば、めちゃくちゃネガティブな人がいて、「私のことなんて、誰も好きじゃない」と思っていたとしたら、「好きです😊❤️」って告白してきた人が仮に居ても「私なんかのどこが好きなんですか?目は見えてますか?」と思って、相手を振ってしまいます。

逆も然りで、「私は人に愛されてる」と自信がある人がバカにされても、「なんか不機嫌なんですかね?」で終わってしまうわけです。

なので、自分の中から、いかにネガティブで自分に相応しくない思考を取り除くかが大事になります。

自己肯定感が低い人の特徴

なので、他人から信頼されていない、他人にバカにされる、見下される、褒められないと思っている人は、自分が人をバカにしたり、褒めないことから、それが返ってきていると考えると分かりやすいです。

確かに、恋愛でうまくいかないと悩んでいて、良い男性がいるのにそれを振り払って「なんでこんな人と?」というような相手を選んだりしている人を見ていると、愚痴や他人の批判が多いです。

逆に、自己肯定感があるというか、安定感がある人は、人を馬鹿にした発言も無いし、よく人のことを褒めています。どんな人に対しても驕ったところを感じませんね。

だから、自分の自己肯定感が低いと思っている人や、鬱症状などで悩んでいる人は、
自分が普段何気なく人を馬鹿にしたり、他人の文句を言ったり、「私はあの人よりマシ」と思っていないか振り返ってみると良いです。

それらの批判の気持ちを「確かに思ってたね」と受け入れて、相手の良いところに目を向けて長所を見ようとすると感じ方が変わると思います。

あとは、他人を積極的に喜ばせることを考えることだと思います。褒めるのも一つだし、褒めようとすると相手の良いところを探すことになります。

自己肯定感は端的に言えば「自分が(自然と)自分のことを好きだと思える」状態だと思います。

自分のことはある程度好きだけど、もうちょっとうまくいかない人は、自分のことを信じたり、自分自身が愛されている確信が足りないのだと思います。

潜在意識を使ってなんの根拠もなく、
「職場の人からは嫌われているし、友達ができても嫌がらせされたり、妬まれて離れていく、恋人が出来ないし、できても雑な扱いを受けているけど、自分って信じられるし、自分って愛されるべき存在よね✨」なんて絶対思えないのは当然です。

自己肯定感がある人はそうそう人に嫌な態度をとりませんし、ニコニコしてる人が多いし、意地悪なことを言いません。

芸能人で言えば明石家さんまさんは自己肯定感の塊かもしれませんけど、あなたの周りで見かける自己肯定感高い人も嫌な雰囲気が無いはずです。

楽しい、明るい雰囲気を持っていますし、裏表や批判や人によって態度を変える事もなく、自然と人から好かれています。

結局、自分が他人から好かれ、愛されている実感があると、その安心感が自己肯定感になるのです。

これまで書いたことを振り返ってみても、「やったことが返ってくる」わけですから、
嫌われるのは自分が他人を批判したり、距離を置いて愚痴を言ったり、心の中で文句を言い、友達を妬んで、裏では友達の悪口を言い、相手をスペックで判断したり、恋人に縋って「私を愛して」と要求したり、相手のことを雑に扱っているだということになります。

自分の思考していることは、「他人への待遇」と「自分への待遇」を分けることができません。

自分が人から好かれて、自己肯定感を上げていく為には、他人の欠点も自分の欠点のように受け止めて、相手の長所を自分の長所のように見て、相手のことを大事に思い、自分を大事にすることが必須条件だということです。

自己肯定感がどの程度ある人なのかどうかというのは、その人の愚痴や他人への文句の多さで読めてしまうということでもあります。

特に身近な親や恋人、配偶者の愚痴や文句がある人は、職場や友達の人間関係は良くても、自分の内面の深いところで自分や他人を信じきれていなかったり、愛されてることを否定している状態です。

自分を好きになり、本当に愛したかったら、他人に対しても自分に対してと同じように関わることです。

それらを直ぐに納得できずに「なんで私が今まで大切にしてもらえなかったのに…誰かを大切になんて出来ない」と、心の中に葛藤が生じる人のために参考の本のような自分を見直すための段階を踏んだワークが必要なのですね。

個人的結論:仏教は真理

私の偏った結論ですが、最終的には仏教の真理に勝るものは無いのだなと思います。

表現方法や粒度が違うだけで、因果応報の一部を抜き取って今っぽく表現したら「思考は現実化する」だし、もっと生活レベルに落とすと、その本のワークになってくるんだと思います。

ちなみに、身口意の三業が一致しないと願いは叶わないと仏教では言われています。

行動、言葉、思考が同じ願いに向いている人は願いが叶うので、いくら言葉では「人を大切に」と言っていても、店員の前に釣り銭を投げたり(行動)、心の中で他人を見下しているようでは(思考)、3つがチグハグなので、自分の望みはなかなか成就しないでしょう。

あと、最近知ったことですが、因果応報の因果は原因と結果なので「スイッチを押すと電気が付く」という事象くらい直結しているのですが、
応報について、「スイッチを押すと電気が付く。その後しばらくして、電気代が請求された」というくらいタイムラグがあり、その時電気をつけたことによる影響がしばらく経って現れるものという意味のようです。

だから、「電気代をケチった結果、目が悪くなった」というような、しばらく経たないと良いことも悪いこともその影響は見えないのです。

悪いことをして、直ぐに怒られなかったとしても、数十年後にその報いがある事もあるようです。

参考にした著者の方がYouTubeで話をされていたのは、「小さい頃に親の財布からお金を盗んだ人は、大体半分くらいいて、その盗んだお金の分が何倍かに膨れ上がって大人になってから詐欺にあったり、盗まれたり、貸したお金が返ってこなかったりする」と話をされていました。

子供の頃に因果として、お金を盗んでお金を得た結果、応報として大人になってからお金を損するという現象になるというのは面白いですね。

釣り銭を間違えて500円の支払いで4500円のお釣りをそのまま受け取った方が、大人になって450万円のお金を盗られたという話もありました。

それが本当かどうかは検証のしようもありませんし、信じても信じなくても構いませんが、自分がやったことを自分は理解しているので、自分の中の記憶として良い事も悪い事も蓄積されていて、心当たりがある出来事がやってくるということなのです。

だから、普段から自分の良心の呵責が発生するようなことや、心残りや後悔になるようなことは極力せずに、やったほうが良い、少しでも他人のためになると思ったことは、自分の為にもやったほうが良いのだろうと思います。

自分のことを大切に思うなら、他人にも同じように大切にしようという心がけが大事ですね。

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