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思考集

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日々考えたこと。
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共通言語という道しるべ

共通言語という道しるべ

使っていることばの意味が人によって大きく乖離している。それに気づいたときの驚きは大きかった。

どうしてもかみ合わない人には随所で出会ったけれど、その原因のひとつがそれだとは知らなかったから。

同じ日本語を話しているのに。

例えば「よく我慢してる」ひとつとっても、ほめことばととる人と、必死に耐えてる状態だから対処するべきととる人がいる。

わたしには限界がきていたのに、微笑んで言われたことで、

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学習者の視点で母国語を見る遊び

学習者の視点で母国語を見る遊び

語学の勉強をしていると、母国語を見る目線が変わることがありませんか?

静謐な、早熟、おもんぱかる、どんぴしゃという単語を聞けば
「だいぶ勉強してから発掘されてくるけど、なかなか覚えられない単語だろうな…」

落語に耳を傾ければ
「これでするする内容が映像で浮かんでくるなんて、日本語ネイティブ感ある~」

日本人同士でも解釈に差が出る詩の響きに
「えもいわれぬ含みを感じる!!学習者だったら意味をと

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疲れた時にキメているもの・人・マインド

疲れた時にキメているもの・人・マインド

わたしはストレスをためるタイプではありません。
本当にしたいことはして本当に言いたいことは言うし、
いやなことからはダッシュで逃げるからです。

それでも日々の中で疲れると、
「今あれをキメたい・・・」と思う癒しを
羅列しておこうと思います。

BTSの動画

Youtube公式動画とMV、有料コンテンツ
VliveERun! BTSBT21...
いつかコツコツすべてを見尽くしたいと思っています

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シンクロニシティウィズマイキッズ

シンクロニシティウィズマイキッズ

子供と暮らしていると、理由が説明できない不思議なことが起きる。テレパシーである。

最近の事例としては、わたしがソファーに寝転びぼーっとしながら「そろそろあっちゃんと遊ぶ段取りをつけようかな」と、頭の中で考えていると、足元で本を読んでいた息子が「そういえば最近あっちゃんと遊んでないでね (土佐弁)」と声をかけてきたというものがある。

わたしは思わず、口も開いてなければスマホも持っておらず、なんの

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コテンラジオを愛している

コテンラジオを愛している

いわずとしれた人気ポッドキャスト、コテンラジオが大好きだ。

初めてクリックした日から迷わずコツコツ全エピソードを聞き、最新話を待つ間に以前のエピソードを聞き直すという流れが、かれこれ1年半ほど途切れずに続いている。

そもそも歴史や文化、偉人や宗教など扱われる内容すべてに興味があるので、聞かない理由はなかった。

ただ驚いたのは、かって一冊ずつ本で読み、脳内でばらばらにほこりをかぶっていた小さな

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顔立ちが平凡であること

顔立ちが平凡であること

私は平凡な顔立ちをしている。

とりたてて悪く言われることも、すごくほめられることもない。「友達と似てて親近感わくわ」と言われたことは数知れず。

身長はほとんどのグループ内で一番低いので、覚えてもらうときは、おおかたそこが目印になるのだろうと推察する。

夫の周りに紹介されるとき、「こんなかわいい嫁さんもらって」という類の言葉をかけられることもなかった。友人の結婚式などでは、わりと聞く言葉だ。

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いよいよSFな世の中で濁流に乗り切れずとも呼吸はしている

いよいよSFな世の中で濁流に乗り切れずとも呼吸はしている

ドラえもんこそ出てきてはいないものの、家事は電化製品が肩代わりする。思ったことをLINEで伝えて既読がつけば、それだけで意思の伝達が済んだ証拠となる。古いスマホから新しいスマホへの移行も、あっという間に済むようになった。

何が起こっているか実際には分からないまま、深く考えずとも生活が効率的に回っていく。AI のおすすめにあまのじゃくに抵抗しようとしたって、それすら見透かされているようで怖い。

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最新バージョンとして生きるほかない私たち

最新バージョンとして生きるほかない私たち

3歳の子供がかわいい。

私のおなかに乗り「Oくんね ママのおなかから、うまれたがで」(土佐弁)と喜び、「Oくんはママの宝物で」と一切の疑いもなく断言する。死んだセミを持ってしみじみと「かわいそうやねえ」と言ってみることもある。お迎えの時間の少し前には「はやくママにあいたいよ〜」と愛らしく先生に訴えているらしく、お迎えに行けば「はやくママに あえれたよ〜」とにこにこしている。

5歳の子供もまだ十

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それぞれがたった一人の惑星の住人

それぞれがたった一人の惑星の住人

中学校に進学してかつての親友と何となく離れ、交友関係を広げていっていた頃、私の人間関係をすべて把握している人はもういないことに気づいた。

誰かの話をしようと思ったら、その人の説明から入らないといけないということ。中学の同級生、高校の同級生、バイト先の人。家族とはもうすべてを話さないようになっていたから、どんどんその感覚が強くなる。

わたしは私でしかないし、誰にも完全に把握されていない。至極当た

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本の虫としての学び

本の虫としての学び

図書館の本を前にして、食べきれないごちそうを目の前にするような感覚に襲われる人はどのくらいいるのだろうか。

理解しきれるかどうかは別として、ほとんどの題材に興味をそそられる。そして、今ここで背表紙に人差し指をひっかけ、カードとバーコードを赤い光にかざしさえすれば、なんとお持ち帰りができてしまう。手が届くように、お膳立てされている。

ああ、しかし、すべては読み切れない。生活にはぎっしりとやるべき

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心の筋トレはじめます

心の筋トレはじめます

自分の心の機微を物い上げるには言葉をつづる作業が不可欠で、言葉をつづるには筋トレのような日々の鍛錬が必要だ。

その鍛錬をそろそろ始めないと、年齢とともにもったりとしてくる肉体の輪郭のように、自分という人間性の輪郭までゆるんでしまう切迫感に、ずっと、じわじわと襲われていた。

思い返せば、私にとって一番心地よく日々を文章にまとめることが出来ていたのは、mixiが流行っていた頃だった。日々起こる出来

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