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ちょっと待って

40歳になり
長男が15歳、次男は10歳になった。
23歳で結婚し、30歳までに子供を出産するという
自分なりに描いた人生のレールは
途中、配偶者とお別れをするという
致命的なアクシデントがあったものの
落ちる時のスピードの速さは私の人生をもう一度昇らせることを助けてくれた
ジェットコースターのように過ぎた時間の中で
新しく私を支えてくれるパートナーとも出会い
思った通りではないけれど
唯一の宝物ともいえる、2人の子供の成長に
私の子育て人生のラストスパートを感じつつある
今日この頃なのであった。

ちょっと待って
40歳の夏、妊娠検査薬をみて目眩を起こすとは
思わなかった。
かつては、検査薬を試しては
ラインがないことを確認し、少し切ない気持ちで
トイレにたたずんだものだ。
そして、ラインがうっすらとでてきた時の
驚きと喜びも、まるで昨日のことのように
覚えている。
そういえば次男がお腹にいることがわかった時
一番喜んでくれたのは長男だった。
性別もわからないのに、おとうとだから!と
カッパくんと名前をつけて
私を笑わせてくれた。
あの日から10年。
男子2人の子育ては、想像を絶する過酷さで
私は魂を何度も吸い取られたけれど
10年がたち、すこぶる荒れ狂っていた次男も
もはやほとんど、私を荒ぶらせることが
なくなっていた。
一刻も早く独立して、私を自由にしてと
心底思っていた時間を超え
街で小さな子供たちをみると、過ぎた日々を思い出し
うるっとさえくる
そんな境地にさえ達していた。
そこにきて
普通、妊娠するか?
ちょっと待って、と回らない頭で必死に整理した。
私はもう40歳、長男とは16歳も離れた年の子で
なにより、もはや私は結婚をしていない。
子供たちが成人してから、ゆっくり考えようと
思っていた入籍も、どうするか考えないと
いけない。
父親が違う兄弟ができることは
今後、2人の人生にどう影響を与えるのか
パートナーのことを私の両親も子供たちも
とても好きだけれど
まさか妊娠するとは思ってないだろう。
そして、思い出すだけで辛いあの妊婦生活
生まれてからの楽しくも過酷な日々
あれは、20代、30代で子育てをすると
決めていた自分の覚悟と勢いで
周りの力もあるだけ借りつつ乗り切った日々だ。
あの時に自然と湧いてきた力が今の自分に
残されているとは思えない。

とても現実のこととは思えない。
もはや何も考えられない。
陽性のラインがくっきり入った妊娠検査薬を
握りしめて、そういえばこの頃の体のほてりは
プレ更年期かと思っていたと
なにやら悪寒や頭痛まで感じ始め
ただならぬ体調不良を感じながら
ベッドに入った私だったが
次の日、本格的に発熱し
呼吸困難になりかけ、パニックを起こし
次男が呼んでくれた救急車の中で
コロナ陽性を告げられるのだった。

どんだけ陽性になるんだろう
救急車の中で、なんだかばかばかしい気持ちになり
苦しい呼吸の中で
ほんとに私は馬鹿だなぁと
どうしてこんな馬鹿な母親のところへ
あなたは来てしまったのと
お腹に手を当て、少しだけ泣いたのであった。


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