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だから掃除も楽しくなる

要は、自分が幸福だと思えるにはどうしたらいいか、という単純なことなんだろうけども。
答えに近付くには、少し時間と経験が必要だったと思う。

まるがサークルから見守る中、リビングの窓を開けてサンを拭く。不定期でやっているけれど、場所が場所なだけにちゃんと汚れていた。
「母ちゃん、きれいなった?」
「綺麗なったで、ほら」
言いながら灰色に着色する雑巾を広げてみせると、猫はにゃあ!と声をあげた。
「寝室の窓も拭くからね」
「ぼくの場所?」
「うん?うん、そうやね」
まるが気に入って登る小窓のところだ。この子のためにも綺麗にしておかなければ。

新しい住まいには、あまりこまごまと物を置きすぎないようにしている。
それは掃除がしやすい空間にする為でもあり、猫が倒したり怪我するのを防ぐ為でもある。
インテリア好きの人たちからしたら、我が家はつまらないかもしれない。

元々わたしは雑貨が大好きで、気になるものはひとまず手に入れていた。
置いてみて、使ってみて、眺めてみて。かつてのひとり暮らしの小さなアパートの中は、わたしの好きだけが詰まっていた。
オーガニックリネンのカーテンに、一目惚れした柄のコンフォーターケース。木の棚に並ぶ香水。美術館に行く度に集めていたポストカードはA4のアートボードにコラージュしていた。
キッチン収納には、昔働いていた雑貨屋さんや色んなお店で調達してきたテーブルウェアがずっしりあって。

目指しているテーマは特になく、〇〇風だとか色の統一にもこだわりもなくて、それが居心地よかった。
強いて言えば、パリやミュンヘンの古いアパルトマンで暮らす人のお家のような。型にとらわれず好きなものを大切に使って生活する、そんな人が憧れでお手本だったかもしれない。

今でも思い出すと恋しくなる。当時はあれが幸せだった。
ただ、これは思い出の話だ。新しい生活には、新しい暮らし方がある。
これまでと同じようにしていては、今のわたしや家族の幸福度は守れなかったのだろうと思う。

「おそうじ終わったの?」
「んーまぁ、今日のところは満足よ」
リビングに戻ってくるとまるがそわそわしていた。そういえばもうすぐお昼の時間だ。
「ご飯にしよか」
「はやく、はやく!」
はいはい待ってと猫をひと撫でしてからご飯の支度をする。まるはドライフードを2種類混ぜたもの、わたしはフルーツ無しのグラノーラにココアときび砂糖と豆乳をかけたもの。
キッチンカウンターにはインテリアも兼ねて食器を数個置いていて、その中からグレーのスープカップを手に取った。

食器はここと、背丈の低い食器棚に収まるだけにしている。ああでも、ステンレスのランチボックスはほぼ毎日使うのでキッチン横のラックの上だ。スタイリッシュで見せる収納にもひと役買うのだ。
ひとり暮らしのときにわたしが集めた器やカトラリーが大半で、それでも連れてこれず手放したものは売ったりあげたりした。
まだ少し収納には余裕がある。これからなおさんと一緒に選びたいからに他ならない。例えばさっきのお弁当箱もなおさんとお揃いで買って並べているし、カウンターにあるジューシーな黄色と緑のデザート皿は、彼の地元に帰省したときに西宮のBAYFLOWで買ったものだ。
そうやって、食器もお洋服も、これからなおさんと相談しながらお迎えして、部屋から溢れかえらないように気をつけながら大切に使っていきたい。

ひとり暮らしのときに痛感したのは、これの難しさだった。管理が行き届かないのだ。
ラタンのかごは埃がつまりやすく、掃除してオイルで手入れするのも大変で、ついには壊してしまった。人から貰って名前まで付けて育てていた多肉植物も枯らしてしまう。
あの部屋はいつしか掃除や管理がしにくくなるほど物で溢れていたし、それなのに管理の技術が上達しない、そんな住人が住んでいた。

最後のほうは、自身の幸福度は低かったと思う。雑貨たちに埃がついて、仕事大好き人間なわたしはこまめな掃除を怠り、手入れ不足で可愛い雑貨たちに陰りが見えると気分は落ち込むのだ。わたしのせいなのに。

いつも綺麗を維持できる人ではなかったということだ。そうしたらいつしかわたしは、あまり物を増やさない生活をしたいと思うようになった。
なおさんと結婚して引っ越す事は、ひとつのターニングポイントだった。熟考して精査してそれでも連れていきたいと思った物たちが、今こうしてわたし達家族の暮らしの中に在る。

なおさんはわたしのお気に入りの雑貨たちを難なく受け入れてくれた。ただあんまりざらざらした食器は苦手なので、今後買うのは滑らかな質感の焼物になるだろう。いつかポーリッシュポタリーの可愛く実用性の高いテーブルウェアをお迎えしたいと話している。
植物は育てないことにした。猫にとって毒な種類もあるだろうし、手入れできる自信がもうないからだ。それっぽいフェイクグリーンをカーテン横において、昔小さな花屋で買ったシンプルなガラスのベースには、枯れない花を飾っている。

幸福度の上がる住まいは、暮らしやすく手入れしやすく、厳選した好きなものがちゃんとそばにあるところ。それが今のわたしの解答だ。
ただこれも今の話で、またライフスタイルも思考も変わるかもしれないから、頑なに「こうでなければ」とは思わない。

「おまたせ。ゆっくり食べりんね」
「遅いで母ちゃん!ぼくが何回あくびしたと思てんの」
ごめんなさいねとご飯を置くと、まるは2回に1度は粒を落としながらかりかり食べる。わたしもソファに腰をおろして、カーテン越しに穏やかな昼の光を見た。

今のお気に入りは、2種類の白いレースカーテンを重ねた窓。アパートから持ってきた横長のローテーブルはテレビボード代わりにして、なおさんが大切にしているオブジェやわたしの本を置いた。
毎日使う布巾が入った、アンティーク屋さんで買ったワイヤーのかご。木製の編みかごより手入れしやすい。
ヴィンテージショップで買った、当時はネイルポリッシュを入れていたブリキの小物入れは今、本体にマスク、裏返した蓋に鍵が置かれている。

ちゃんと息づいている。わたしが長年共にしてきたものたちも。大切にしたい気持ちも。
きっとわたしはミニマリストにはなれない。物を少なく、大事に使い続けるシンプリストに少し近くて少し違う感じがする。

わたしの「好き」があって、なおさんと共有できて、そこにまるがいる。
わたしが今いちばん念頭に置きたいのは、ひとり暮らしでは味わえなかった「家族の気配がちゃんとある空間」だった。

『だから掃除も楽しくなる』

お昼ご飯のあと洗い物をして、スープカップをキッチンカウンターの上に戻す。
BAYFLOWの皿と並んでいて、その向こうにはレースカーテンが垂れ下がり柔らかい光を透す窓。
やっぱり好きな景色だなぁと、静かなため息がこぼれた。



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