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7/8:「ドキドキ安定」期

虐待や性被害のトラウマで依存症・PTSD・複雑性PTSDと、名前からして明らかにややこしい精神疾患を患っていた三森みさです。

▲8話まで無料公開中です。

▲先行公開の有料noteもあります。

今回は依存症・トラウマからの回復プロセスとともに、心境の変化をまとめてみました。全4回です。(※長くなりすぎて見づらいので8回分割しました)

▲他の回はこちらからどうぞ。

全て自分の経験で、エビデンスとか心理療法的にどうとかは存じませんが、回復を目指される同じ仲間の皆さんの参考になれば幸いです。



7:「ドキドキ安定」期

ある時期から、心理士の先生に「自己調整はもうできてるしね〜」「もう会わないかもしれないねえ〜」と言われるようになりました。(その後もめちゃくちゃ会ってるけど…)

トラウマ治療終わっても、相談に乗れる相手がいるありがたみ〜

今まで「金…金…金がやべえ…なぜ私が…無理…金…早く終われ…終われ…」と思いながら通い詰めてたのに「もう大丈夫じゃね?」と言われた途端に「え!?まだあるんじゃないの!?」と不安になったのをよく覚えています。人は自分から逃げるものを追いかける習性がある。

しかし先生の観察眼は鋭く、そう告げられた時期から以前のような深すぎて自分ではどうしようもない心身の悩みもなくなり…。
それは清々しい気分というより、今まで散々やらかしてきた経験から「今までと同じように回復したと思い込んでるだけでは…?」「まだデカいのがあるんじゃないか…?」と不安になる「ドキドキ安定」期の始まりでした。

「完璧にトラウマを片付ける」ではなかった

トラウマ「治療」と連呼しておいてアレですが、トラウマは「完治」というより「寛解」だそうです。(他の精神疾患も確かそういう表現が多かったような)
病状が「治ってる」というより「前より良くなってる」「とりあえず異常なし」という考え方なんだそうです。

先生に言われた時点で、自分の中で7割ぐらいトラウマが片付いた実感がありました。
というか、「回復した〜〜〜〜〜!!!!と調子に乗るとその後に大コケする」己の法則性が身に染みてるのもあり「私の場合は3割はトラウマが残ってるかもしれない…と思う方が、逆に安全なのでは…?」という意味で7割にしておきました。


とにかく、自称7割処理するとめちゃくちゃ一般人っぽくなった感じがあります。
というか、病んでた時の思考がリアルに思い出せない。一体何をあんなに死にたいと思って、何をあんなに情緒不安定になって、あんなに自分には価値がないと思っていたのだろう…?
あれは全て病状だったんだなとしみじみ実感させられますし、「死にたい人の気持ちがわからないと言える人」の気持ちもよくわかるようになりました。「死にたい」って、現実で相当追い詰められてないとまず出てこない発想なんだもん。

次にでかいのが来るとしたら人生のビックイベントになるかもしれない「恋人・結婚・子育て」かな〜とぼんやり考えつつ。
しかしこれもやってみないと出てこないし、そもそもこの濃密な人間関係3点セットを何の苦労もなくクリアできる人間がいるのか…?という話でもある。
とはいえ、以前恋人を作ったときよりも、自分の中に謎の安定感がある感は確かなので、トラウマが出たとしても、前よりひどくならないだろうな〜ともぼんやり感じています。

どこから安定期と見るか

七転八倒の繰り返しで「あ、マジで回復したな〜本当に安定してきたな〜」と思えたのが、落ち着いてる状態が1年を超えてからでした。
今までど〜〜〜〜〜〜〜頑張っても、「私回復しました〜〜〜!!!ヤッホ〜〜〜〜!!」と浮かれまくってても、「調子の良さ」は半年が限界でした。

半年しか続かなかったんだよな…皆さんはどうなんでしょう?

それも何回も繰り返してると半年過ぎるまでは「半年過ぎれば何か出てくる…油断してはいけない…」とドキドキでしたし、1年を超える頃には浮かれた気分よりも「ああ、この普通の状態が日常になったなあ…」と穏やかな気持ちです。

ちなみに「ノーストレスでハッピーライフを過ごしてる」とは違います。
何かしら他人や社会とと接触している限り、1年間ノーストレスで幸せでい続けられる人間を見つける方が難しい。
ただ、心揺さぶられるような激しいイベントは無く、職業柄もあって他人と関わる回数が少ないのに、気持ち(自律神経)がブンブン上下しまくっていたのが今までの私です。そして、ストレスのかかることもそれなりにあったんですが、前よりも明らかに感情の上下が激減しました。

時間ができる

健康って暇なんだね。はじめて知りました。(独身で自由業というのもあるが)
今までの日常のタスクの中に組み込まれていた

  • フラッシュバックで1時間〜5時間ぐらい時間取られる。

  • フラッシュバックほどわかりやすくなくても、過去の辛かった経験などを思い出しまくる時間が多すぎる。それによって自分の「今」を生きられない。

  • 「生きるとは何か…」「なぜ自分はこんなに苦しいのか…」と問い始めること3時間

  • 日中そんなことばかり考えすぎて車に轢かれかける(関係ない)

  • 天気・気圧・気温で調子が崩れるので、対策として有酸素運動などの健康の予定を組み込む。健康にはいいんだけど予定調整で精神が疲れる。融通も効かない。

  • SNSなどで特定のニュースや争いを見ると、自分は関係ないのになぜか体調不良が起きて寝込んだり、執拗にバトルを開始してしまう。それで時間が取られる。

  • 体調不良で動けない日を想定しながら、予定をいれる。それを考えるのも疲れる。

  • 人と雑談したら1日休まないと体が動かない。

  • 心のどこかに希死念慮や諦めがあって「もう死のうかな…」「私なんて…」の自問自答で数時間が経過する。

  • 日常生活の一般的なストレスがかかるだけで精神状態が上下しまくって、その調子を整えるのに時間が(略)

  • よって自分にストレスのかからない、ちょっと極端な環境を作ろうとして時間が(略)

  • 些細な不安やひっかかりが、何週間しても頭から取れなくてやっぱり数時間(略)

  • 過集中しすぎて休息できず体調が悪くなり、その調子を戻すのに(略)

  • やる気を出すとか、普通のやるべきことをやるとか、工程を組むとかができない。人並み以上に予定を立てたり手順を考えないと何も取りかかれない。時間が(略)

  • 回復のために勉強する時間が必要。(とはいえ、これは人生にとっても+だったとは思ってる)

  • 回復のために病院・カウンセリングに時間と金を割く。

この謎の現象が全部なくなったら時間できてびっくりしましたが、当たり前ですね。どれだけ病状とその対処に時間を割いてきたんだと。

また、ちょっぴりマインドフルネスになる時間も増えました。
マインドフルネスとは「変えられない過去、他人、まだ始まってない未来のこと、それをごちゃごちゃ考えるから、人間は苦しむ。だから「今」「ここ」に目を向けるのが大切なんだ…」という考え方だった気がします(うろ覚えなんで調べてね)
しかし、トラウマがあると、そもそも「今に目を向ける」ができない。過去の未完了の感情や問題が、あらゆる形で「今」に襲ってきやがる。無になるとか無理。ずっとフラッシュバックしてるんだもん。

もちろんマインドフルネス・瞑想系はそれ単体で極める必要がありますから、「常に今ここで〜す!」とはなっていません。
しかし、いきなり蘇ってきた過去に一日5時間振り回され続けるとか、3週間前にあった些細すぎるトラブルを引きずり続けて体調不良になることもなくなり、目の前の出来事にまあまあ集中できるようになりました。

周りの人から「考えを切り替えよう」とアドバイスされるたびに「それができねえから困ってんだよ、病気を舐めるんじゃねえぞ」とキレてましたが、この感覚のことを言ってたんですね。
今を生きる時間が圧倒的に増えました(感涙)

上げ下げもない自分が出てくる

かつて私は精神健康者として精神が健康な人に対して、異常なほどコンプレックスに塗れていました。今思えば、そもそも何が精神的に不健康で健康なのか定義付け自体も意味不明ですね。

そんな思いもあってか、せっかく回復するなら素晴らしい人間…
つまり(謎に設定の)精神的健常者よりも人間的に(???)上になりたいと考えていました。
この時点で誰よりも欲と競争に溢れてたんですが、自己肯定感がゴミの私には、そうやって自分を納得させないと現実に耐えられなかったのです。
せめて自分の人生の苦しみ意味があったと思いたい。
そして頑張った分、頑張って良かったと思える目標が欲しかった。

ですから昔の私にとって回復とは「悟りを開くこと」「超越すること」であり、何があっても心は揺らぐことなく穏やかで完璧な対応ができる人間になるんだと思い込んでました。今思えばもうそれ自律神経が完全に消滅してるんよ。人間じゃないんだわ。

けれど今のところ、私は悟りを開くことはなく、むしろだんだん逆に今まで封じ込めてた普通の喜怒哀楽が出るようになり、以前よりも石油王と結婚したくなり、しょうもない部分が出ても「この癖をなおさないといけない…」「原因はなんだ…?」とひたすら追求して自分を改造しようとも思わなくなりました。

パーツワークやりまくったのもあると思いますが、そもそも自律神経の調整したからか、感情の波の幅がゆる〜くなりました。昔みたいにわけわからん上がり方をしたりしない。
だからストレスがかかっても、自殺未遂や自傷、過度な自罰をしたり、相手の精神をバキバキに破壊するまでキレ散らかす、粘着したり、必要以上に相手をコントロールしようとして自爆する…
などなど、自分にも周りにも色々やべ〜影響が出るトラウマ反応自体が収まりました。

問題しかない

一歩間違えれば殺人者になりかねない自分の激しすぎる感情をいちいち「考え方」「人格」「悟り」で無理に押さえつけて抑制しなくても良くなって、ようやくちゃんと自分が出てきたなと感じます。
短所こそあれど、もうどうだっていいです。
自分が回復してるかしてないかさえ、どうでもよくなりました。
そんなことより食べログで評価高いとこ行こうぜ〜〜〜〜〜〜!!!!って気分です。(トラウマ治療前、食事に興味なかったのにね〜)

内面の話への興味が薄くなった

深い内面の世界も興味がどんどん薄れていきました。
子どもの頃から生きづらかったせいか、正しさとは何か、生きるとは何か、なぜ人生には不条理があるのか?回復とは何か?人間の精神の境地はどこにいくのか?
みたいな話を365日ゴチャゴチャ語り、周囲の人に「すごい考え事してるね〜」「哲学者になった方がいいんじゃないの?」と言われてきました。

ところが落ち着いてからは
「私は私だし、そこに理屈なんざいらねえ!感じるがままに生きろ!!」
そんな考えが強くなっちゃって、内面の深い話もどんどんどうでもよくなっちゃったりして…30年近くずっと考えたことに興味が失われていくのもちょっと衝撃(寂しい)

もちろん元々心理学にちょろっと興味があったり、本質的な部分を追求するのが好きではあるので、内面世界に本当に全く興味がない…というわけではなかったのでしょうけれど
「(病状で)適当ができない。理解できない。」
「(病状で)思考を止めることができない」
「(病状で)考えることで不安をなくそうとしてる」
「(病状で)そもそも"感じるがまま"が意味不明。」
「今の現状が辛すぎて意味が欲しい」
「今の窮地を脱出するために考えなくてはならない」

ここが7割ぐらい占めてたんだなーと実感しました。(心理学興味あるっていってもユングとかフロイトとか知らんしね…)

何より
「結果はコントロールできない」
「目の前の現実を受け入れる」
「結果がどうなろうと、その時にできることをやるだけ」
「正しさよりも自分がどう感じてるかの方が大切」
「自分の人生の責任は自分にしか持てない」
「自分の幸福は自分で作るしかない」

この巷の自己啓発本に書いてそうなことを、回復に向かっていくプロセスの中で実体験として痛感させられました。
自律神経や精神的安定を得る以上に、自分自身がきちんと壁にぶつかり、学んで前に進んでいく。その体験を積み重ねること自体が回復だったんじゃないか…
そう頭によぎるほど、頭の中で延々と続く自問自答よりも本の知識よりも、私に学びと変化を与えてくれました。

そういった過程を経て、
「もう考えてもしょうがないよね。覚悟を決めて現実で行動していくしかないよね。」
と踏ん切りがつくようになり、目の前の現実に目を向ける時間が増えたのかも…しれません。
(と言いつつ、ごちゃごちゃ考えなくなったのも自律神経の調整のおかげだと思うけどね〜)

次回はおまけ的に続く…かもです!

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