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8/8:「自分の人生を生きる」期

虐待や性被害のトラウマで依存症・PTSD・複雑性PTSDと、名前からして明らかにややこしい精神疾患を患っていた三森みさです。

▲8話まで無料公開中です。

▲先行公開の有料noteもあります。

今回は依存症・トラウマからの回復プロセスとともに、心境の変化をまとめてみました。全4回です。(※長くなりすぎて見づらいので8回分割しました)

▲他の回はこちらからどうぞ。

全て自分の経験で、エビデンスとか心理療法的にどうとかは存じませんが、回復を目指される同じ仲間の皆さんの参考になれば幸いです。



8:「自分の人生を生きる」期

ドキドキしながら安定期を過ごし、やがて安定さえも当たり前になったころに訪れる「じゃあ改めて自分の人生これからどうするか問題」それが今です。

悩みが変わる

五感が正常に働くようになり、ご飯が美味しいと思えて、身体が思い通りに動き、わけわからん体調不良に振り回されない…。
安定した当初、そんな心身に涙が出るほど感動していました。
ところが1年以上経過し、健康な心身が当たり前になると、ありがたみを失ってきました(笑)
やっぱり人間は、飽きやすい生き物なのですね。

漫画などで仕事は忙しいものの、平和な時間を過ごしていくほど気づいてしまいました。
「今まで病気で諦めていたこと、選べなかったことを、私は選ぶことができる」
「しかしよく考えれば、外部の環境に振り回されながら、その中で決断することには慣れてるけど、自由の中で選び取った経験少なくね?

「あれ、自分の人生これから自由すぎるぐらい自由だけど、逆にどうすればいいんだ…?」

と。
「病気だからできない」「数少ないできないことの中で頑張るしかない」
それがなくなった今、
「できるけどやらない」「やりたいことだからやる」
そう考えを変える必要が出てきました。
30年近く「色んなことを諦めないといけない」だったのが「諦められることは逆に選択肢が狭まって、それだけ考えれば良かったから逆に楽だったのかもしれない」とぼんやり考えるようになりました(あくまで自分の人生の中の話ですが)

現代病として「何者かにならなくてはならない」がよく話題に上がります。「ドキドキ安定」期の頃、「この健康な心身で一体何を悩むんじゃ…??心身の健康なんて世界で一番の勝ち組やんけ…なんでもできるやんけ…」と心底疑問でしたが、それが当たり前になるにつれて気持ちがわかってきました。

現状、平和で生死に問われないこの国で生きるのには、健康だと可能性がありすぎる。
働ける元気あるし、キャリアどうしようかな…新たに趣味でも見つけようかな…婚活する…?子供産む…?まずはアラブ首長国連邦で婚活かな…?このままだと私にも「老後」が来る…?貯金ないよ…??とか、本当にごくごく一般の人のような悩みが出てくるようになりました。

自分の人生のロールモデルも、ACのパイセンの他に、有名人の◯◯さんとか同業者の✗✗さんになってきます。
昔は「将来のことで悩めるのは貴族だけ」と思ってたので、将来のことで悩む時が来るとは思ってませんでした。

トラウマ治療は人生の一部でしかなく、長い長い治療期間を終えても、人生はまだまだ続いていくし、人生で悩まない時なんて来ないんだなッ〜〜〜!!!!

何食ったらその発想になるんでしょうか

かつて主治医に言われた話は真理をついていたんだなと身にしみる今日この頃です。

自己成長のカウンセリングに変わる

もちろんメンタルケアの一環としてカウンセリングにもいってます。自称残り3割残ってるトラウマが出てくるかもしれないから…。

しかしかつての
生きるか死ぬかの問題
・普通の生活をするための治療
↑ここから
日常生活の悩み事
・よりよい生活・人生を過ごすため
・精神的研鑽や自己成長のため
ここに変わりました。

安定しちまったせいか、もはや心理療法で昔ほど感動できなくなり、新しい心理療法を知っても試せないのが悔しいッッ…!!!!!

幸せの作り方は知ってたことを、ここにきて知った

トラウマ治療が終わり、健康を手にし、活動の範囲が増えて確かに幸福を受け取れる期間は増えました。マジでありがとう精神医学〜〜〜!!

けれど、結局は将来のことに悩むことになり、仕事でも悩むことになり、人間の煩悩って尽きないんだな…と、一日一日をすごしています。
ふと気づいたんです。もしかしたら「吉良吉影を目指す」期で、すでに十分幸せだったんじゃないかって。

あの時期は側から見れば、帰る場所も持たず、沖縄という全く知らない土地に馴染めず、貧困に苛まれ、精神疾患もひどく、ただ他人が怖ろしく、しかし誰にも打ち明けることはなく孤独でした。

でも、自分の中のスティグマや、世間の声を全てシャットアウトしていくと、不健康とはただそれだけの現象でしかなく、本当はいいも悪いもなかったのです。ただ不健康なだけ。
誰かと比べることがなくなれば、自分の境遇を不幸なんて考えなかった。
心身がろくに動かなかろうが、ほんのわずかな活動時間を絵に捧げてる時は、心から充実していました。だってそこに誰も評価なんかしないんだから。「楽しい」だけしか残らないんだから。

「回復楽しィィィ」期も相当調子に乗っていましたし、枕に顔をうずめたい日々ではあります。
でも自助グループの仲間とおしゃべりして、12ステップを調べて、新しいことをもっと知りたいとワクワクしていたあの日々は、究極的には自分が病気だとか虐待を受けていたか、どうだってよかった。

そうして振り返ると、社会復帰して、仕事やなんやで人から評価づけされてしまう今よりも、できないことがあるなりに、一日一日感謝して生きていたあの頃の方が幸せだった気がしないでもないのです(笑)

色んなものが安定したら幸せになると思っていましたし、実際に選択肢も感じ方も変わったのは確かです。
けれどそこまで得ても悩んでしまうのなら、人間の幸せな過ごし方って本質的にどんな時でもそこまで変わらなかったんじゃないか…と思う今日この頃です。


無駄なことなんて何一つありません

トラウマ治療や回復について、こんなことを聞きます。

「回復はマイナス(病気)を普通に戻す作業」
「回復に期待なんかしない方がいい」

でも、本当にそうでしょうか?
確かに私自身も「回復楽しィィィ」期には「回復とは素晴らしいもので超越者になること」と、もんのすごく舞い上がっていましたし、「いい加減ゴールさせて」期には「夢を見過ぎた…」と若干スレれてました。

でも今は「いや、普通にプラスになるやん。嘘を教えるなや」と、ちゃんと言えます。

収まった今だから完全に言えることですが
「トラウマ治療を受ける人生でラッキー★」
「おかげさまでメンタルにめっちゃ詳しくなった」
「あんなエキセントリックな体験、したくてもできなかったよな〜ハハハ」
それが今の私の本音です。喉元過ぎればなんとやらってね。
(※もちろん社会問題や虐待や性被害の問題を矮小化するつもりはなく、いつだって損害賠償は365日受け付けておりますよ〜。)

ACの開祖であるクラウディア・ブラックは「病気の回復と人間性の成長に境目はない」とおっしゃられていました。
今ならその意味がわかります。単純にメンタルヘルスという人生の科目にめちゃくちゃ強くなりました。

生きることは悩むことであり、生き続ける限り何かしらの障害や困難にぶち当たるのは避けられない。
人間として豊かさを求める限り、新しい出会いや機会があり、その中でまた苦しんだり悩んだり、時には新たなトラウマを作ったりもするでしょう。
心を持ち続ける限り、私達が心の問題から生涯逃れられないのなら…
問題の対処法、立ち向かった経験を作れたことは、自分にとって一生の財産になりました。

確かに悩みなんてない方がいいのかもしれない。
けれど悩み抜かなければ、そこに立ち向かう勇気がなければ、痛みがなければ、得られないものが確かにありました。

安定して自由すぎる選択肢が私に最初からあったなら、
ここまでメンタルへルスに関する知識を持たなかった。

自分自身が変容していく経験も、
様々な自分自身と出会うことも、
自分で癒せるようになることも、
一人では生きられないことを知ることも、
自分と同じように苦しむ仲間に出会うことも、
自分の痛みと同じように誰かの痛みを想像することも、
はい上がれる自分自身の強さを知ることも、
自分のやりたいことに突っ走る勇気も、

きっと全部得ることができなかったのでしょう。

病気の中でお金も失いましたし健康も時間も損失しました。
けれども回復のプロセスの中で得られたものは、新しい人生を生きて新しい豊かたを手にいれる旅に向かう時、大事な支柱になっています。

今まで歩いてきた道の中で無駄なものなんて、何一つなかったのです。

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