『死』の表現について【15】


おはようございます、
さっきまで鬱とかパニック発作がちょっとひどかったんですけど今結構落ち着いてきました、15番です。

病気の症状なので内服などで様子を見つつも、どこからともなく希死念慮が浮かんでくる時はあるんですよね。そういうとき、やっぱりすごくつらいです。
「きえたい」がふっと浮かんでくるとすごくつらい気持ちになります。なんだろうね。本心とは裏腹にって感じなんだよね。

でもそういう時ほど誰かに気持ちを聞いてもらいたい気分になったりするんだよね、「言わないようにしている」という人もきっと多いと思うけれど。
言わないようにしている人は「聞いた相手を悲しい気持ちにさせたくないから」だったり「落ち込んでる姿をなんとなく見せたくないから」だったり色んな理由があるんだと思うんだけれど。

ごく親しい仲だから話せる、という人もいると思うし仲がいい人であるほど知られたくない人もいると思う、そういう人のために精神科や心療内科、有料相談ダイヤルなどが存在しているのだと思うし。


でも今回僕が言いたいのはそれら希死念慮を誰に話すか話さないかとかそういうことではなくて、純粋にずっと疑問だったことがあって。

SNSの投稿の通報の項目の中に、「自殺を美化する表現、また助長しているもの」というものがあったりするけど、
これの善し悪しの基準って、一体なに?ってずっと思ってたの。

わかりやすく言うとするなら、一般人の「死にたい」投稿は危険視されて悪しとされたりするのに、遺書の内容を暗号化して綺麗にメロディやアートで装飾されたような作品は賞賛されたりするじゃない?
後者、一見して気づかずもよく目を凝らせばそこに書いてある気持ちは「死にたい」と、一般人の投稿と何も変わらなかったりするのに。

悪しとされる基準値はどこにあるんだろう。
アーティスティックであるか否か?
芸術性を感じられるか感じられないか?
直接的であれば悪で抽象化されるほどに美しいものに見えるようになっているの?


とか、僕はそんなこと考えてた。
直接的であろうが抽象化されていようが僕は悪だとは思わないし、僕が悪の基準値を置くとするならば攻撃性の有無などなので、死を題材に扱う表現作品を悪く言いたいわけではないよ。一般の方の希死念慮を表す投稿にも悪感情は抱かない。僕の好きなアーティストも表現の中で『死』の扱いがすごく上手だったりするし。友だちが「死にたいんだ」って僕に言ってきたら僕はきっと、まず先に優しく抱きとめることをするし。


なんかね。ほんとに純粋な疑問なんだ。
結構ずっとこういうことについてはよく考えてた。
人は洗練されたものに対して美学を感じたりすることから死がテーマのものも洗練されていたら美しいものに思えたりするのかな、とか。
雑に叫ばれる「死ね!」に暴力性や汚らしさを感じるのは、感情を投げつけるような扱いがそう思わせているのかな、とか。

きっと僕の中ではまだちょっと答えが出そうにないんだよね。まとまっていなくてごめんなさい。
同じようなこと考えたことある人とか、どこかにいたりしないのかなぁ。

そんな感じでした。雑になっちゃうけど、このへんでしめておこうと思います。
気分転換に新しく買った漫画を少し読んだら、今日はもう少し寝ようっと(o^ー^o)


またね(∩^o^)⊃━☆゚.*・。
ここまで読んでくれた人がいたら、いいことがある魔法をかけといたからね、きみにいいことがありますように(* ^O^ *)

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