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マフラーから顔を出した日

グルグル巻きにしたマフラーから顔を半分だけ出しながら私は迷っていた。
左斜め前にいる女性に声をかけるかどうか。
最初にその女性に気づいた時には、
そのままおとなしく知らんぷりをしていようと思った。
でも…


その日、私は大学の就職課からかかってきた電話で目が覚めた。25年前のことだ。
「市内の小中学校、全校に司書を配置することがさっき市から発表されました。ミーミーさんは司書希望だったでしょ?今から近所の学校を調べて、できるだけのことをしなさい!時間がありません!」
世は就職超氷河期時代。
私は大学卒業間際まで就職を決められずにいた。
学校図書館の司書になりたくて、司書免許と教員免許、ついでに司書教諭の免許まで取得したものの就職先がない。
途方に暮れながらバイトと卒論にいそしむ日々。
そこに大学から電話がかかってきたというわけだ。

学校司書が配置されるというニュースは嬉しかったが、このご時世だ。私には無理なような気がした。
「超氷河期」という響きに、いつのまにか諦めることに慣れっこになっていた私。
最初から「きっと無理だろう」と思ってしまう。

(近所の学校を調べて出来るだけのことをしなさいと言われてもね…)
私は起き上がり、ノロノロと洗面所に向かった。
ふと、鏡を見る。
これからできるだけのことをしないといけないのに頭がボサボサだ。こんなにボサボサではどこにも受からない気がする。しかたない。今日はもう大学は諦めて今からパーマにでも行こうか。
私はやっとやる気を出して、美容室へと向かうため着替えた。美容室へは頑張れば歩いてでも行ける距離だったが、寒い中を歩いて行く気になれず、近くのバス停へと向かった。

そのバス停には先客がいた。
ハンドバッグと大きな封筒を上品に持ち、コートを着込んでまっすぐに立っている。
チラッと見て、中学時代の家庭科の先生だと気づいた。私たちを教えてくれていた頃、すでに50を超えていたと思うので、そろそろ還暦なんじゃないだろうか。もしかしたらもう定年退職されているかもしれない。
正直に言うと、私はその先生のことが苦手だった。名前をN先生という。
中学時代、私は家庭科の授業でヘマばかりしていたので、よくN先生に怒られた。いや、怒られたというより「呆れられていた」に近い。
とにかく「ミシン運」が悪かった。作業が遅かったので使いやすい新しいミシンにありつけず、使えるのかどうか怪しい古いミシンにばかり当たる。
糸を順番通りに通して縫い始めようとした瞬間、針がバチンと折れて飛んだり、何かしらの部品が足りなかったり。
遅れを取り戻そうと焦っては失敗して、N先生からはいつも「ああ」とため息をつかれていた。

だから、バス停で斜め前にいる先生に
声をかけようかどうか迷ったのだ。
声をかけたところで私のことなんて覚えていないだろうし、覚えていても「家庭科がダメだった子」として認識されているだろう。それに大学4年生の冬にもなって就職も決まらず、寝坊してパーマに向かおうとしている元教え子に声をかけられたところで嬉しいだろうか?
ここはおとなしく知らんぷりを…

普段は結構頻繁にバスが来るバス停なのに、
その日にかぎってなかなか来ない。
さっきからN先生と私だけでバス停に立っている。こんなことなら歩いたほうが速かったのではないか。
そんなことを考えながら、
「無」の状態の時間を過ごした。

…でも、
私、ここで挨拶のひとつもできないでどうする?と思った。
いくら家庭科が苦手だった過去があっても、
今の自分に自信が持てなくても、
先生に挨拶ができないというのはちょっと情けないのではないか。

(まぁ、いいや!)
急にウジウジと考えてばかりいる自分のことが嫌になった。
出来の悪い生徒に声をかけられるくらい、N先生も経験がおありだろう。

自分の弱気に負けないように、
私はマフラーに埋もれていた顔の半分を思い切って出して、
N先生に声をかけた。
「こんにちは!あの…N先生ですよね?私、◯◯中学校で家庭科を習ってました、ミーミーです!覚えていらっしゃいますか?」
自分でもビックリするくらい高い声が出た。
N先生は振り向いて「ああ」と言った。
私が失敗した時にいつも発せられていた、N先生のため息の「ああ」だったので、一瞬ビクッとなったが、先生はすぐに笑顔になってこう言った。
「覚えてますよ。しつけ糸の過程をとばして本縫いしようとしたから、私、ミーミーさんを怒ったことあったわよね?」

しつけ糸を飛び抜かして本縫いをしようとして怒られた…
「…多分、私です」
私は恥ずかしくなって、もう一度マフラーの中に埋もれたくなった。
ミシン針を折っただけじゃなく、しつけ糸を飛ばして怒られていたとは!
「今日はどうしたの?今は何してるの?これからどこに行くの?」
N先生はどんどん私に質問してくる。
しどろもどろになって、
今、大学4年生で学校司書を目指しているけど就職は決まってなくて、今日は寝坊して、頭があまりにボサボサなのでパーマに行くところです!と、情けない状況をそのまま話した。
するとN先生は「ああ…司書」と言って、バタバタとハンドバッグの中を探り始めた。
「ボールペンしかないわ。紙は…もう、これでいいわ!ここに書いて!」
先生は持っていた大きな封筒の裏とペンを私に差し出して、
「今朝、うちの校長が今日から司書をさがすって言ってたわ!ここにミーミーさんの簡単な履歴書書いて!名前と電話番号と大学と…持ってる資格があるなら書いて!バスが来るから早く!」
そうだった。
私たちはバスを待っているのだ。
「ええ!先生、この封筒は大事な封筒じゃないんですか?」
「これから会議があるのよ。その資料が入ってるだけだから!紙がないから、もうそこでいいから!早く書いて!」
私は慌てて大きな茶封筒の裏に簡単な情報を書いた。
「あ!バスきた!早く!」
「えええええ」
大きな封筒に慌てて書いたものだから、名前と電話番号と大学名がやたら大きな字になった。「司書」と書いている途中で、封筒をバッと先生に取られて「もうこれでいいわ!」と言われた。
先生と一緒に、来たバスに飛び乗って2人で笑い合った。
私が先にバスを降りる時、先生は
「あとで連絡するかもしれないわ。今日はありがとうね」
と、私の個人情報が思いっきり大きく書いてある茶封筒をヒラヒラとふりながら笑った。
バスを降りて、車内の先生に私も手を振りながら、
声をかけて良かった、と思った。
就職が決まっていなくても、
家庭科で失敗ばかりしていた過去があっても、
声をかけて良かった。

「あとで連絡をするかも」と言われたが、
その5時間後に本当に電話がかかってきた。
「さっきはありがとう。司書の件なんだけど、今から私が勤めてる中学校まで来れる?」
N先生は会議を終えて勤務先の中学校に帰ってすぐ、校長先生に私の話をしてくれたらしく、話は早い方がいいと連絡をくれたのだ。
私はパーマをかけたて。ここ数ヶ月で1番整っている。
その足でスーツに着替え、中学校に行き、面接を受けた。そしてその日のうちに司書として採用してもらえることに決まった。

その中学校には私の採用を決めた後に沢山の司書の問い合わせがあったそうだ。本当にタッチの差で私が採用されたらしい。
のちに校長先生が「N先生が強く推薦してくれたんだよ。ミーミーさんは挨拶のできる良い子ですからって。だったら安心だと思って、すぐに面接させてもらった」と笑って教えてくれた。

あの日、
N先生に思いきって声をかけて本当に良かった。
恥ずかしい思い出があって、今の姿が情けなくて、そんな自分でも挨拶くらいはできる!挨拶くらいできないでどうする!と奮い立って良かった。
たったひと言、ドキドキしながらかけた声。
高くうわずった声に自分でもビックリして隠れたくなったけど、それでも先生に挨拶ができて良かった。まさか数時間後に面接を受けることになるとは…人生とは不思議なものだ。

今でも、寒い寒い空の下、バスを待ちながら勇気を出して発した自分の声とN先生の「ああ」が忘れられない。



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