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さらけ出すのが怖かった


昨日の【しあわせと豊かさの学び】の講座の中で
話をしている中で、

「これ以上何か話したら、ボロが出るからもう喋れない〜」とわたしは言った。


その時にまみさんが即座に
「違うよ!話すから自分がどう捉えているかわかるんだよ。話さなきゃ訂正もできないよ。」と言ってくれた。


そうなのだ。

わたしはついつい自分の発する言葉が
正しいのか、間違っているのかをジャッジしてしまう。


こう考えるのは変なのかもしれない、、、
言っていることと、違う解釈をしてしまっているかもしれない、、、、
これを言ったらガッカリさせてしまうかもしれない。
絶望させてしまうかもしれない。


自分の中で浮かんできたことを話すのが急に怖くなるのだ。核心に迫れば迫るほど…


➡︎だから、『話さない』

という結論に至るのだ。




だけどそうじゃない。
自分を守っているようで、
チャンスを自ら逃しているのだ。



こんなにも恵まれている環境の中にいる
間違ってとらえていたら、
瞬時に訂正してくれる、
信頼できる人が目の前にいる。
決してその捉え方を否定しないし、笑わないし、
なんでそうなんのかなー?なんでわからないのかなー?なんて言って、見捨てたりもしない。

一緒に受講している仲間だってそうだ。
誰一人として馬鹿にしたり、見下したりなんてしない。
泣いて笑って、真剣にみんなの意見に耳を傾けてくれる仲間なのだ。

これ以上のチャンスも恵まれた環境はないのだ。
間違えてもいい。
間違えなんぼの環境なんだ。

それをするためにこの学びに飛び込んだのだ。
今まで30うん年、積み上げてきた思考回路を
今、まっさらに書き換えてる作業。
間違えることの何がはずかしいんだろう。
新しい思考回路を構築する時に、
もがくことの何が恥ずかしいんだろう。


自分の中にある設定を変える。


わたしにとっての大きなギアチェンジは
ここかもしれない。
信頼できる仲間の前でどれだけ
自分をさらけ出せるのか。
どれだけ相手のことを信用できるのか。


怖い。
怖い。
怖い。


だけどやってみる。
その怖さから一歩踏み出すことができるのは
わたししかいない。誰もやってくれない。
この怖さを超えた先にまた身軽になる自分がいる。


わたしはもうその感覚を体感してしまったんだ。
細胞にジワッと染み込むあの感覚。
もう一度その景色を見たい。




それにね、『間違い』ということも
既に幻なのかもしれない。
わたしがどう感じ、どう捉えたのか。
そのことに正解も不正解もないのだ。
わたしが積み上げてきた人生の中で出てきた想い。
この人生はこの世でわたし1人しか歩んでいない道なんだから、
そのわたしが感じたことを、
誰も肯定も否定もできないのだ。

それは外側の人だけでなく、
わたし自身でさえも…

この人生を歩んできたわたしが
こう感じた。こう思った。
ただそれだけなんだ。


だからね、
これからの自分が行きたい未来を創り出す
その岐路に立っている自分が
ギアチェンジするとき。

まみさんが何度も何度も何度も何度も何度も何度も言ってくれてたように、


本当にマッパ(真っ裸)になったもん勝ちなんだ。



そのこともやっと腑に落ちた。



さぁ怖がらずに飛び込もう。
それも、
さぁやるぞー!と意気込むのではなく
ふわっと身軽に軽やかに。
すごくすごく簡単なこと。