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直感と運だけで生きてきた 超ブラック企業編❶



初めて自分のことを書いてみた。


初めてnoteというものを書いてみた。noteは数年前から読む専門だった。
日記も生まれてから3日以上続いたことがない。
10年間書ける日記帳も買ったことがあるけど、
続かない。
書く習慣は、現在仕事だったら毎日ある。
自分の話はほぼ初めて。
まずは書いてみようと思う。

私のキャリアについて、ふりかえるところから


私のキャリアをふりかえると、ただ直感と運だけで進んできた気がしている。

現在は週1回、数時間出社するだけのリモートワーカーの法人営業職。
マネージメントもしていない。

会社の駒に過ぎないが、自身の立ち位置をよく理解しているつもりだ。

職場環境もよく非常に快適。毎日穏やかに生きていけている。
頼むからずっとこの状態が続いてほしいと願っている。

まずは、最初の3年間在籍した超ブラック企業でのキャリアから振り返ってみた。

新卒入社した上場企業は超ブラックだった。

もう20年以上前の話になる。

新卒で就職をした会社は、今思えば超ブラック企業だった。
名前はA社としよう。無形商材を扱っていた。

私は退職1年くらいまでそれに気づけなかったほど、
当時の私は完全に気狂いだったと思う。

上京した理由。単純でバカな私。

当時は大阪で専門学生をしていた。

就職氷河期。大学生でも就職浪人が出るほど。
専門学生ならなおさらだ。同級生の中でも就職浪人か大学編入いずれかを選択する子もいた。

私は150社受けて、やっと内定をもらった大阪の会社があったが、その後A社から数ヶ月遅れて内定が出た。

A社は東京勤務採用、更に上場企業だ。こんなチャンスはない、

東京で仕事ができる!
ただそれだけの理由で、東京勤務でのA社に決めてしまった。

単純でバカな性格というのはこういう人のことを言うのだ!

当時1年弱付き合っていた彼氏がいたが、
遠距離恋愛は金も時間もかかるのでメリットが一つもない。
上京するからと告げ、サクッと別れてしまった。

入社後、ひたすら営業傾聴トレーニング

入社後に5日間、1日8時間、ほぼ缶詰状態でお客と営業を交互に繰り返す営業ロールプレイをし、徹底的に相手を傾聴していくというトレーニングをする。
そこで見込みのありそうな営業は大規模店舗、そこそこは中規模店舗、など上の方々がトレーニングを見ながら配置を決めていく。
今思うと傾聴という名の洗脳だったような気もする。

配属後は勤務環境最悪の中、営業マシーン化する。

約一週間の新入社員研修後、都下ではあったが、大きな売り上げを占める大規模店舗へ配属することになった。

A社は完全シフト制、月残業60時間以上はしていた。早番で出社すると、
店舗がクローズするまでほぼ帰れない。
遅番の時の方がクローズ時間が決まっているので少し楽。月7日休み。有給は使えない。
昼休憩は40分あれば十分、毎日立ちながら食事を取っていた。
もともと食べるのが早い私は、誰よりも早く食べ終わってすぐ仕事に戻っていたので先輩には褒められたが、
周りからは
「あの人はいつも食べ物を飲んでいるね」と言われていた。
入社後、順調に成績を上げていき、営業マシーン化することになる。

とにかくお金がない。でも楽しんでいた。

手取り約12万円、貯金ゼロ。専門学校に在学中、夜の仕事じゃないが、
時給の高いバイトで貯めたお金はほとんど引越し代や家具などで使ってしまって0円だった。

毎月とにかくギリギリの生活で暮らしていた。
営業マシーン化してしまっていたため、この貧困に対する否定的な考えがなく、この頃日々を楽しんでいた。

徹底的に節約する日々、営業マシーン、更に進化し続ける。

毎日自炊で弁当、お茶は持参。すぐ食べ終われるようにおにぎりが多め。
料理もろくにできないので毎日ほぼ同じメニュー。
コンビニは高いので、スーパーしか行けない。

水道代を節約するため、下着だけの洗濯の時は、洗濯板で下着を洗う生活。更に2つ前の駅までの通勤定期を購入し、生活費の足しにした。

徒歩20分かけて駅まで毎日歩く。雨の日も歩いた。

私はやる気搾取されていたことには全く気づかず、営業という仕事を完全にゲーム感覚で楽しんでしまい、手段選ばずとにかく売って売って、売りまくって、営業マシーンのように働いた。
どんなに残業しても苦にならなかった。

一体どんな営業をしていたのか。

個人営業、販売単価は約30万〜100万/1名あたりの店舗営業をしていた。

営業手法としては私の場合、お客との会話の大半は商品とは関係のない話ばかり。
お客の家庭、恋愛、ペットなどなどの話。話を聞きながら、お客の経済事情、このお客に契約をする決定権があるかどうか、徹底的に聞きしながら私の頭の中で作戦を練りながら話を進める。

当時はインターネットの復旧がそこまでしていなかったので、お客からの話を聞くしか方法がなかった。

傾聴するだけで商品が売れた。

仕事を始めてみて、何がそんなに楽しかったのか、なぜ売れたかについて思い出してみた。

お客の話を聞いて、聞いて、聞きまくって、キラポエっぽい、少しそのような言葉で背中を押す発言をしただけで商品が簡単に売れてしまったからだ。

こんな一言で相手の心が動くのか、相手の気持ちが動く瞬間の顔や言動が見たくて、それが面白くて、また、不思議で仕方がなかった。

私がお客に話を聞けば聞くほど、お客は自分の話が止まらない。
人は皆、自分の話が好き。とにかく話させ、情報をとれ!
新人研修で散々トレーナーの方に言われたことだ。

私がただ1時間程度話を聞くと、

「そういやどんな商品だっけ?」

ここから私の営業トークが始まり、
契約が取れてしまう。

1時間では終わらない時もある。
3時間〜5時間粘る時もある。

一度お客が店に足を踏み入れた瞬間から、契約なしでお客を返すわけにはいかないのだ。返す返さないも上司への報連相が必要となるからだ。

今思えば恐怖な世界。当時の私はこの状況を完全に楽しんでいた。

傾聴するだけで芋づる式契約が成立。


また、契約が取れた後もこんなことがたまにあった。
契約をしたお客が、私にもっと話を聞いてほしいと家族や彼氏、友人を連れてくる客まで現れた。

もちろん商品の話ではない。ところがただ私がお客の話を聞いただけで、
芋づる式で商品を購入してもらえることもあった。

日々数字との戦い。お客が私の数字を救ってくれた。


ブラック企業はとにかく数字に厳しい。締め日も月1回ではなかった。

達成しないと非常に詰められ、怒られる。軍隊のような環境なのだ。
毎日1件でも見込みが作れない場合、
退社できない雰囲気になる。
「死ぬ気で売れ!」これが当時のA社の上の人たちが常に下々の社員に伝える言葉だった。

一度大ピンチがあった。

数字が足りず、見込みが立っていない。

私の顔が曇っていたことに気づいた常連のお客が、「今日、どうしたの、元気がない」

私に声をかけてきた。ピンチすぎて、少し事情を話してみたら、
「困った時はお互い様でしょ?」
って言い出して追加契約をして事なきを得た。

同期が次々退職していく、理解できないほど楽しみ私

営業マンとして結果が次々出るようになり、
少ない給料にも関わらず毎日楽しく仕事をしていた私。
しかし周りの同期はそうではなかった。

入社した50名ほどの新入社員が入社半年で半分に減り、1年で数名しか残らないという事態になる。

私は入社2年目に昇格することになる。
その後、プレイヤーとして全国ランキングにも入るようになったり順調な矢先、
会社の状況が少しずつ不穏な動きになってくる。
次回はその話を書いてみようと思う。

続きはまた。




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