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どたばた黄金週間

先週の水曜の朝、祖父が亡くなりました。ずっと気になっていた『ティファニーで朝食を』の再上映をついに観ようと朝早くに家を出た矢先、父からLINEで知らされました。ここ数日は様態が急速に悪化していて週末が山場かもとは言われていたので、すごく驚きがあったわけではないです。ただ、ぽかーんとしました。そんなわけで来た道を引き返し、ぱぱっと用意をしておばあちゃんの家に行き、祖父の待つ病院へと向かいました。


真っ白の小さな個室に案内されると、そこにはベッドで横になった祖父がいました。近づいてよくよく顔を覗いていると今にも目を覚ましそうにも思えたんですが、もはや血が通っていない人体特有の、何とも言えないクリーム色の腕を見て「ああやはり死んでしまっているんだなあ」と感じました。

しばらくすると職員が2人やって来て担架に祖父を乗せようと体を抱えたんですが、頭からつま先まで棒のように一直線に固まっていました。先日の大河ドラマの藤原兼家が亡くなる場面で首が伸びきっている演技をした段田安則さんに対して「死後硬直まで演じているなんて芸が細かくてすごい」みたいなツイートがあったのを思い出して「これがそれか」となりました。

担架と共に外に出ると職員の方々がずらっと並んでおり、祖父を乗せた車が葬儀場へ出発するまで一緒に見送ってくださりました。


我々も葬儀場へと急ぎ、待っていた担当者と今後の段取りに関する話し合いが始まりました。

身近な人の死が本当に久しぶりだったので忘れていたのですが、亡くなった直後というのはそこまで実感が湧きません。それよりも今回の一連の流れを通して感じたのは、死ぬ前に死んだ時の事を考えておく大切さです。これは本人と周りの人間、どちらもです。

残された親族は無情なほどのスピード感で各種手続きを進めなければなりません。僕は今回ただ見ているだけでしたが、そこに親や祖母がゆっくりと悲しんでいられる時間などほとんどありませんでした。ひたすら現実的な手続きの連続です。

担当者の話を聞いている間の祖母は頭があまり回っていない様子でした。向こうも人間なので最大限親身になってくれてはいましたが、向こうは仕事なので淡々と費用の説明をしていきます。祖母1人だったらおそらく担当者の言う通りに全てが進んでいたので両親が同席できて良かったです。

祖父は若い頃から自分で特定の葬儀場に積立をしていました。そのおかげでどこの葬儀場に依頼するかを考える必要が無くなりましたし、積立していた分の費用も浮きました。親によるとこれはすごくありがたかったらしいです。

いやもうね、改めて言いますが僕はまだ子供というか孫なんで今回は見ているだけで良かったんですが、自分が親の死に直面してすぐにここまでテキパキと動けるかすごく不安になりました。なのでとにかく今大人たちがやっているあれこれを目に焼き付けておこうという気持ちで過ごしていました。


翌日、まずは湯灌をやりました。最後に体を洗ってあげることです。これは30分ほどで終わり、その後は棺に体を入れてあげました。衣類や生前好きだった物を添えられるので西国三十三所巡りの御朱印帳を広げて棺に入れたんですが、一気に仏教のご加護を感じる見た目になってとても良かったです。僕もさっさと御朱印帳を完成させてその日まで大事に取っておこうと決意しました。

あと今回は通夜会場のBGMを選べたんですが、これはすごく良いシステムですね。アルバム1枚をエンドレスで流せるので自分の時はどうしようとか考えてしまいました。椎名林檎の『加爾基 精液 栗ノ花』は一番好きなアルバムですし最後に『葬列』という曲が来るので個人的にはアリなんですが、全体的に暗い曲ばかりなんですよね。今のうちからしっかり悩んでおこうと思います。

まあそんな事はさておき、通夜も翌日の告別式もあっという間に終わりました。小さい頃は永遠のように感じたお坊さんのお経もそれほど長く感じなかったです。

火葬も1時間ほどでした。死んだら骨と灰だけというのはやはり心に来るものがあります。頭では理解していても目の前で実際に体験する度に人間って本当にあっけないなあと感じます。


なんだか祖父の死を想像以上に受け入れられている自分がいます。延命治療という選択肢もあったそうですが、親も祖母も断りました。僕もそれで良かった気がしています。誰かに殺されたわけでも事故にあったわけでもなく、最後になにか苦しんだ様子もなく、家族や遠方に住む親戚も来てくれて見送られた。これはすごく幸せな終わり方なんじゃないかなと僕は思うわけです。

昔は学校を休むのが嫌すぎて通夜とか法事に行くのが大嫌いでした。まあ好きな人はいませんね。今回もせっかくのGWと思って詰めまくっていた3日間の予定が全てキャンセルになったので、親から連絡が来た瞬間は「まじかあ」となりました正直。ただ、全て終わって振り返ってみると参加できて良かったなと本当に感じます。自分ではどうしようも無い事を受け入れる力が少しは付いた気がします。


祖父のお墓があるお寺で初七日を終えた後、祖母の家に戻り夜飯を食べていたら友達から電話がかかってきました。僕も参加する予定だったBBQを楽しんでいる最中のようで賑やかな声が後ろから聞こえてきました。「誰が亡くなったんやっけ?てか何歳やったん?」と聞かれたので「祖父81歳」と伝えると「すごいやん!往生往生!!」と言われました。あまりの軽さに笑いましたが、なんだか気楽になりました。確かに80歳まで生きられたら大往生です。

人の死、特に親族の死についてどこまで書こうかと考えたのですが、滅多に無い出来事ですし細かい部分はいつか忘れてしまうのでかなり詳細にしておきました。


GW最終日、地元の友達が2人泊まりに来てくれました。最近よく思うんですが、自分が客観視して見る自分と他人から見える自分というのはやはり全然違いますね。 「あの時はこいつまじでふざけんなよってずっとイライラしてたで」とか「お前ってほんまに自分の良いように物事を捉えるよな」とか言われちゃいました。

なんかね、もちろん「そうやったんかあ、やっちゃったなあ」とは思うんですけど、こういう事をズバズバ教えてくれる関係というか空間がすごく嬉しいんですよね。誰かに指摘する側に回った経験というのがほとんど無いので、つくづく僕はできてない事だらけなんだなと思います。これはつまり〜?

のびしろしかないわ〜、ay、のびしろしかないわ〜、俺らまだのびしろしかないわ〜て事です。



それと、「無名人インタビュー」と「文学フリマ」という2つの団体に参加させてもらえる事になりそうです。正確に言うと、前者はもう入ってて、後者はまだ未定て感じですね。

4月末に無名人インタビューというものを受けてみたんですが、これがすごく楽しかったんですよね。もともとこの企画が好きでインタビュー記事をよく読んでいたんですが、まさか自分がインタビューされる側になる日が来るとは思ってませんでした。まあそれで色々あって運営側に参加させてもらえる事になったという感じです。会話とインタビューって全然違って面白いのでみなさんにもぜひ受けてみてほしいですね〜。

それで今日「今度の文学フリマ誰か行きませんか?」というメッセージが団体の全体チャットに送られてきて、なんだそれと思って調べてみたらなんだか面白そうでしかも学生スタッフ募集中と書いてあったんですよ。フリマの運営とか滅多に出来ないじゃないですか、こういう珍しい求人を見るとすごくワクワクするんですよね。て事で、つい先程ケーキ屋の仕事の合間に申し込みました。これからどうなるのか楽しみです。


この10連休、バイトは3日間しかありませんでしたし、家族や親戚とたくさん話せましたし、卒業した先輩たちと一緒にゼミの先生のお家に遊びに行ったり、インタビューを受けたり、『海がきこえる』の再上映を観る事もできました。いや〜濃かったです。

とりあえず明日は念願だった『ティファニーで朝食を』を観ようと思います。来年の僕のGWは何連休になっているんでしょうね〜。


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