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なかなか線路に乗らない音楽遍歴

陰鬱さからは脱したけれど、相変わらず文字を読んでいる時が一番充足感あるので4冊買った。結局、西村賢太はまた見送ってしまった。

・『ベレー帽とカメラと引用』03号、04号
・小川洋子『密やかな結晶』
・川上未映子『ヘブン』

『ベレー帽とカメラと引用』は、note経由で知ったフリッパーズ・ギターについてのZineだ。03号は牧村憲一さんの慶応での講義「牧村塾・フリッパーズギター研究会」の増補(講師は中村四郎さん)と知って前のめりで買って読了。特に「音韻」「僕」「年齢」「数字」「だろう」についてが興味深かった。

上記N4書房さんのnoteにもあるのだけれど、「普通の人の音楽遍歴」がまた面白かったのと、私は少し変わっているから書いてみたいなと思い立った。


1976年 東京生まれ、フリッパーズ解散時は中3だった。
時代性もあるのだろう、母がビルボード系音楽好きだった影響で、小林克也『ベストヒットUSA』の録画を毎週観る小学生だった。なぜ私も毎週観ていたのか。人生初のアイドルがマイケル・ジャクソンだったからだ。

1983年『スリラー』リリースが小1の時。凄まじい衝撃を受けて夢中になった。国語の時間、「カタカナのマではじまる言葉はなんですか?」に、勢いよく手を挙げて「マイケル・ジャクソン!」って答えて「おませさん」って先生に言われた。ポシェットにマイケルの缶バッジをつけて「大きくなったらマイケルと結婚する」っていう子供だった。マイケル以外ではシンディ・ローパーが好きだった。

1987年『BAD』のリリースは小5の時。MVを観た時、「なんか違う」と思った。『ビートイット』にあったカッコ良さと種類が違う。『セイセイセイ』のような面白さもない。どうしたって『スリラー』『ビリージーン』が最高すぎるし、マイケルのルックスすら違うと。

そんな思いを抱えてた同年、当時高校生の親戚のお兄ちゃんの家で米米CLUBの映像作品『米米TV ONODA-SAN』を観た。

『スリラー』以来の衝撃を受けた。なんだこれは…!さっぱり意味がわからないのに面白い!分からなさがカッコイイ!と。現代アートっぽいものへの芽生えはこの作品だった。米米CLUBは文化学院メンバーが主なので、意図的にパロディをしていたことに気づくのは後の話。収録されている『東京田植え物語』は前衛アートグループ ハイ・レッド・センターの『首都圏清掃整理促進運動』のパロディだし、『カリギュラマシーン』はTV番組『カリキュラマシーン』と映画『カリギュラ』のパロディ。この親戚のお兄ちゃんの家でたくさんの米米CLUB映像を観てハマりまくり、マイケルの熱心なファンではなくなった。

私が幼少期にハマったのは偶然ブラックミュージックが基本だった。『君がいるだけで』以降しか知らない人には意外だろうが、米米CLUBはトムトムクラブが由来で、初期はファンクメインにUKポストパンク的な音だったのだ。しかしお気づきでしょうが、私はまだ「音楽自体」には本気では目覚めていない。MVなどビジュアル含めた「表現物」として楽しんでいた。

1989年(中1)、イカ天が放送開始。中学時代毎週楽しみに観ていたけれど、『やっぱり猫が好き』『カノッサの屈辱』『アインシュタイン』など深夜番組が面白い時代だったからで、特別思い入れあるバンドはいなかった。ブルーハーツ、ユニコーンなどバンドブームもどこ吹く風で米米CLUBが好きだったけど、徐々にあまり面白くなくなっていった。

1991年(中3)、友達のお姉ちゃんが大騒ぎしたのがフリッパーズの解散。私はアニエスのボーダーにホワイトジーンズ、ベレー帽という服装をしていたこともあるしオリーブも購読していたけど、単にファッションが好きだっただけで、その前はラルフローレンのシャツに紺ブレ着てたし、その後はヒステリックグラマーからのヴィヴィアン、Y'sやギャルソン、古着に流れたりした。当時フリッパーズには、"普通にオシャレ"でつまんないと思ってた。フリッパーズや後の渋谷系に対して、「オシャレで憧れた」と言うのも聞くが、日常的に渋谷や原宿に行っていた私にとっては等身大という感じで特別感はなかった。私は表現物には、意味がわからない衝撃や奇抜さを欲してた。

1992年(高1)、『君がいるだけで』リリース。失望なんてものじゃなかった。あんた達、あんなに面白かったのに!?善良な普通の人達を軽やかに手玉に取って、訳の分からなさへ落とし込みながらも必ず彼らをも笑わせるトリックスターみたいな、そういうことをしてたのに、なんでこんな普通に善良でつまんないものを…と。

この頃から、アートと映画と漫画にハマり込む。特に現代アートこそが私にとって一番カッコイイし面白いものになった。スリラーで目覚めて米米で強化された感覚を満たしてくれるものはアートだった。
漫画は、友達のお兄ちゃんの部屋で『ねじ式』を読んでショックを受け、ガロ系と、何より岡崎京子にハマった。好きなファッションが変わったので、オリーブではなくCUTiEを読むようになって出会ったのだ。『リバーズ・エッジ』の連載を高2〜高3の時に読めた幸福よ!そして岡崎京子経由でフリッパーズに再会するが、やはりそうハマりはしなかった。
フリッパーズ以外も岡崎京子経由で聴いたりした。ソニック・ユース、トーキング・ヘッズ、ヤングマーブルジャイアンツとか。その他リアタイはプライマル、ブラー、ニルヴァーナなど。カッコイイと思ってたけど、アートから得るような深い感慨は当時まだ感じておらず、正確には目覚めていない。

1995年、美大に入学。私はアートのことで頭がいっぱいだったのだけど、美大には音楽のことにも頭がいっぱいな人がたくさんいた。音楽系サークルが活発で、芸祭(大学祭)ではライブハウスが学内にいくつもあり、野外ステージも一日中。そういう環境下で、友達の影響でどんどん音楽に目覚めていった。アートみたいな深い感慨を得るようになって行った。
カラオケでも、友達がフリッパーズや小沢健二、ユニコーン、岡村靖幸を歌うのを聴いてやっとガチで音源を聴き込むように。フリッパーズ3度目の再会にして本気でハマった。
なんで今まで気づかなかったの!?小沢・小山田最高!

ハマると熱中するタイプなので、音楽を歴史ごと一気に吸収していった。スミスとかUK辺り、クラッシュなどパンク、ヴェルヴェッツからルー・リードやパティ・スミス、ビートルズもやっと聴いて、PILやXTCなどニューウェーブ、カンやノイのドイツ系、マイブラなどシューゲイザー、ステレオラブからのトータスなどポストロック、アンダーワールドからエレクトロに流れたら電気やYMO周辺も聴くしエイフェックスも、ライヒやイーノ、現代音楽も。そしたら池田亮二とかメルツバウとかノイズもいけるし、トランソニックから色々買ったり、フリッパーズの元ネタ聴いたりも。

という訳で、この線路になかなか乗らなかった私の音楽遍歴でした。
こういう経緯なので、初めて行った小沢健二のライブは『ひふみよ』でした。ここから更にハマって、小沢健二の歌詞や文章にも深く想うようになり、小山田圭吾の音楽とライブ演出にアート体験と同様の強いエクスペリエンスを得る現在の私の姿となります。

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