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生きる 【ひとりごと】

生きるのは苦しい、幸せになりたい。
そう思うのは、私だけではないはず。


SNSを見て羨み、テレビを見て羨み、他人を見て羨む世界。
すぐに情報を得られて、すぐに繋がれて、すぐに誰かと話すことの出来る反面、他人との距離が近くなった。
特に、他人との私生活の距離が近くなった。

そして、「他人に見せる自分」と、「人に見られていない自分」を使い分ける場面も格段に多くなった。
それによって、自分がどうしたいのかが分からなくなった。

それは自分が望んでいることなのか、
それとも他人にそう見られたいと思うからか、
他人にそう期待されていると思い込んでいるからなのか。

衣食住に恵まれ、技術にも恵まれ、生きるに不自由ない生活をしてもなお幸せになりたいと願うのは、進化するための生物としての性なのか。

過去から考えれば、生きているだけで幸せで、尚且つ技術も発展して何不自由ない夢のような、幸せな生活を暮らしているはず。それなら、幸福度数だってうなぎ登りになっているはず。

ではなぜ、人は今、幸せじゃないと思うのだろうか。

ネガティブ思考はやめて生活に感謝するべきだとか、未来を向いて歩こうとか、そんなのは建前だと思う。それか、自分を誤魔化すための暗示か。

だって今の苦しみがなければ未来を変えようなんて思わないから。幸せなら向上心もなく、そのまま何も考えずに生きればいい。

考えるから苦しい。でも私は考えなければ生きられない。

幸せになりたいという願いが底なし沼で、それが満たされることはないのは分かっている。それが人間で、人間の作った文化や技術の根源で、そして人間が生きる意味の根源だから。

生きることに意味を見出したい、何かを成し遂げたい、幸せになりたいと願い続けながら苦しむのが生きることなのだと思う。
そして、束の間の小さな幸福によって生かされているのだと思う。

考えるのは苦しい。だから生きるのは苦しい。
だからこそ人間であり、それが生きることなんだと、私は思う。

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