聖書読みましょ♪第159回 行動すればわかることがある
メシア・イエス・キリストの生涯104回
「仮庵の祭りで姿を表すイエス(1)」その2
ヨハネの福音書第7章14節~19節
こんにちは!まいむまむと申します。
さて、このnoteでは、
イエス・キリストを知るために聖書を読んでいます。
イエス様のことを書いた聖書、すなわち福音書は、
マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書と、4つもあります。( ゚Д゚)
それぞれ、読めばいいのだけれど、同じイエス様の一生を4回読むのもな・・・と思ってしまいます。(中身はそれぞれ違いはありますが)
おまけに、イエス様のことばって、
それ自体は難しくないのだけれど、
結局何が言いたいの?みたいな謎に満ちた発言も結構多いのです。
そんなこんなで、福音書をきちんと読んだことがありませんでした。
そんなとき、わたくしは、
「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」という
youtubeチャンネルの中川健一先生の講義
「メシアの生涯」に出会いました。
この配信は、ユダヤ人として生まれたイエス・キリストを
真に理解するために、ユダヤ的視点で、福音書を読んでいくものです。
このnoteは、その講義をもとに、
4福音書を絨毯爆撃で、
端から読んでいこうというチャレンジです。
興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってください!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。
また、参考文献は「新実用聖書注解」になります。
今回ご紹介するのはこちら
Julius Rodriguez - BLUE GIANT “MOMENTUM” music video
ジャズマンガ「BLUE GIANT 」モメンタムシリーズが、いよいよNYを舞台に始まりました!💛💓💙
バークレイで作曲家を目指している
沢辺雪祈くん作曲の“MOMENTUM”。
すっごくクールで、熱いです。
ジャズの王道行ってます~♪
是非お聞きください。
🎷🎹🥁🎷🎹🥁🎷🎹🥁🎷🎹🥁🎷🎹🥁🎷🎹🥁🎷🎹🥁🎷🎹🥁
さて、イエス様が十字架にかかられる半年前、
仮庵の祭がスタートしました。
季節的には秋、10月頃であろうと言われています。
この年の仮庵の祭の最大の話題は、われらがイエス様です。
イエス様の名前がイスラエル中に鳴り響いているからです。
群衆は、あるものはイエス様を擁護しましたが、
ほとんどの人々は、あれは世を騒がせているものだと批判していました。
ユダヤの宗教指導者たちも、イエス様を目の敵にして、
どこにいるか捜しまわっているようです。
さあ、どうなる!イエス様、敵ばっかりやんか。((+_+))
Ⅱ Q&A(1) ・ヨハネの福音書第7章14節~19節
イエス様は、最初の3日くらいは、姿を見せないで、
4日目頃に姿を現されたようです。
真打は、ゆっくり登場するのですよ。
さて、神殿にはソロモンの廊という場所があります。
こういうお祭りのときには、
高名なラビ(先生)たちが、講義をする場所です。
イエス様も、このあたりでメッセージを語られたのだと思います。
もちろん黒山の人だかりになったことでしょう。
あのうわさのイエス様が登場されたのですから。
何を語るのか、皆聞きたいでしょうね。
ここの「ユダヤ人」は、ユダヤ人の宗教指導者たちを指します。
彼らも、群衆に紛れ込んで、イエス様のお話を聞いていたのです。
彼らは、まじで驚いています。
イエス様の旧約聖書の知識、的を得た説明、
心を探られる内容に衝撃を受けたのでしょう。
「この人は学んだこともないのに、どうして学問があるのか。」
以前の新改訳ですと、「この人は正規に学んだことがないのに」となっています。
当時のユダヤで学問をするには、
独学するか、専門のラビ教育機関(今の神学校のような塾のようなものです)で学ぶのが常でした。
ただ、この宗教指導者達は、
イエス様の知識の情報源は「悪魔」ではないかと示唆しているのです。
学歴重視の姿勢は、現代日本も変わりませんねー。
非常に閉鎖的で特権意識で固まっています。
これに対して、イエス様はその情報源を明らかにされます。
「わたしを遣わされた方」とは、
もちろん父なる神を意味します。
すなわち、この言葉は、イエス様の神性宣言なのです。
イエス様の語られることばは、
神のみこころを啓示したものだと言われたのです。
「だれでも神のみこころを行おうとするなら」
これは、非常に重要なお言葉です。
まず、神のみこころを行おうとすれば、
イエス様の教えがわかるということです。
分かったから行うのではなく、行ったから分かるのです。
これって、順番があべこべではありませんか。
知識で頭でっかちな宗教指導者たちは、
わからないんだよと見抜いておられるのです。
まず、神に従おう!そうすればわかることがある!
へーって感じです。
神のことばを語ることは、
自分の思いを語ることとは、大いに異なります。
100%神のことばを語れるのは、イエス様だけです。
人間は、多かれ少なかれ、自分の栄光を求めてしまうものですね。
自分を認めてもらいたいからです。(そりゃそーだ)
イエス様は、父なる神の栄光だけを求めています。
人に評価されようとは思っていません。
「真実で不正がない」とはそういうことです。
19節では、ユダヤ人の宗教指導者のプライドを粉砕しています。
彼らは、モーセの律法を持っていることに
非常な誇りを持っていました。
おそらく、完ぺきに実行もしていると自負していたと思います。
しかし、その実行は表面的で、
本来の意味での律法の趣旨を守っていないと
イエス様は暴露いてしまいました。
もし、本当に律法の心を知り、
神のみこころを行おうとしていたなら、
イエス様のことを悪魔から知恵を受けた者だとして
拒否するはずがないじゃないかということです。
これは、ヤバい…絶対やつら怒るぜよ。
(;’∀’)
触れてはならないものに触れてしまったかも。
お祈りします。
天の父なる神様
イエス様の仰ることが神のことばであることは、
神の御心を行うものならわかるという
非常に重要な宣言を聞きました。
まず、神様に従うものとさせてください。
そして、あなたの言葉を喜べるようにしてください。
主なるイエス様のお名前でお祈りします。
アーメン
イエス様のQ&Aが続きます。
いよいよ核心にふれて行かれます。
「メシア・イエス・キリストの生涯」第104回
「仮庵の祭で姿を現すイエス(1)」その3
ヨハネの福音書7章20節~24節
シャローム!