聖書読みましょ♪Re-Collection 第57回 イエス様の爆弾宣言が出ました💣
メシア・イエス・キリストの生涯31回
「ナザレでの拒否」前半
ルカの福音書第4章16節~21節
こんにちは!まいむまむです。
イエス様の生涯について4福音書を並べて、時間順に読んでいます。
毎回申し上げますが、わたくしは、「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの中川健一先生の講義「メシアの生涯」にそって読んでいきます。
興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってくださいね!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。
また、参考文献は新実用聖書注解になります。
本日のご紹介はこちらです。
新倉瞳・渡辺庸介 Cello & Percussion duo Hitomi Niikura & Yosuke Watanabe
まいむまむ推しの美しきチェリスト新倉瞳さんと
これまた推しのバンド「残響スイフト」の社長であり、パーカッショニストの渡辺庸介さんのカッコいい曲です。(曲名不明)
無国籍な感じが、クールです。
で、近々(ギリギリですみません)お二人のコンサートがございますよ。
2024.3/27 第171回 リクライニング・コンサート 新倉瞳&渡辺庸介 リハーサル
生音サイコーな「ハクジュホール」(代々木公園近くです)にて、
リクライニングな座席でゆったり楽しむコンサートです。
クラシックやクレズマー音楽など多彩な音を楽しめます。
絶対ステキな時間になります。
リーズナブルなお値段です。ぜひいかがでしょう。
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さて、ガリラヤ伝道が始まっています。
前回は、カナで第2の「しるし」
「役人の息子の癒しの奇跡」が行われました。
その奇跡は、イエス様のおられたカナではなく、
30キロ離れたカペナウムで起こりました。
イエス様にとって、時間も空間も関係ないというスゴイ奇跡でした。
この「しるし」は、イエス様のメシア性を示すものです。
その後、イエス様は、故郷のナザレに行かれます。
結論から申し上げると、イエス様は故郷ナザレで
拒否の憂き目に会われます。
今回は1度目の拒否で、
マルコの福音書第6章において、2度目の拒否に会われます。
今回の記事は、人々に受容され、懐疑され、
ついには捨てられるという
苦難のしもべとしてのイエス様の人生の縮図となる内容です。
とても残念ですが、これが現実です。
さて、暗い結論とは別に、
今回は、イエス様のメッセージ、説教が聞けるという恵みの内容でもありますよ。是非ご一緒にお聞きいたしましょう。
Ⅰ 会堂での礼拝の様子 ルカの福音書第4章16節~19節
ナザレの位置を地図でご確認ください。
ここで、ミニ知識
会堂は、神殿とどう違うのでしょう?
神殿は、一つだけで、エルサレムにあるものです。(今はないけれど)
そして、そこは、いけにえを捧げる場所であり、
そのために祭司がいるところです。
会堂は、バビロン捕囚の後、ユダヤ人が二度と捕囚に合わないようにと、
神様を礼拝し、聖書を学ぶために作った施設です。
信仰を大切にしている善良なユダヤ人は、安息日に会堂に行ったようです。
イエス様も子どもの頃から、当たり前のように会堂に行かれたようですね。
ここで、もひとつ、
当時の会堂での礼拝の習慣をご紹介いたしましょう。
① トーラー(モーセ五書)の朗読
その週の朗読箇所が決まっており、
月、木、土の午前中に朗読されたようです。
紀元1世紀頃は、3年サイクルで朗読をしていたようです。
② 預言書の朗読(ハフターラー)
その日のトーラーの箇所と関連した箇所を立って朗読したようです。
③ 朗読の後、奨励のメッセージが語られました。
これは座ってされたようです。
④ 朗読も奨励のメッセージも会堂責任者の判断で、行われたようです。
会堂責任者は、イエス様を前に招いて、
朗読とメッセージを依頼したと思われます。
イエス様は、ガリラヤ一体ですでに有名になっておられましたし、
尊敬も受けておられました。
人々の期待感もあったと思われます。
当時の聖書は巻物でした。
死海写本でイザヤ書が出てきましたが、一つの大きな巻物でした。
立って読むのも重くて大変そうですね。
実は、預言者イザヤの書には、
イスラエルを救うメシアの受難の預言がされています。
イエス様が、あらかじめ、
「係の者」に預言書イザヤの書を指定していたかどうかは不明のようです。
また、イザヤ書の中のどこを読むかは、
もともと予定されていたのか、
それともイエス様がその箇所を選んで読まれたかは、
はっきりはしていません。
もともと、予定されていたとすると、
これは、神様の摂理か!!という感じですが、そこは不明です。
これは、イザヤ書61章1節~2節の部分です。
実際に見てみましょう。
*イザヤ書61章1節~2節
1 神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒すため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
2 主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。
イザヤ書61章1節~3節は、
当時のユダヤ人にメシア預言として考えられていた有名な箇所です。
聞く側も語る側も暗唱しているくらいの箇所だったようです。
実は、イエス様は、この有名な箇所について、
異例な読み方をされています。
当時は、最低3節を朗読したものでしたが、
イエス様は途中まででやめています。
特に2節の後半「われらの神の復讐の日を告げ」という箇所を読んいません。
2節の後半は、メシアが来られたとき、
ユダヤ人が解放されることを示した箇所です。
当時のローマの圧政に苦しんでいたユダヤの人々の期待の箇所です。
そこを読まなかったのです。
聞いていたナザレの会堂の人々は「えっ???」という感じになったのではないかと思われるのです。
「なんで、そこ読まへんの??」って感じですかね。
Ⅱイエスのメッセージ ルカの福音書第4章20節~27節
メッセージを語るときは、座るのが当時の習慣でした。
出席者はみな、イエス様に注目しました。
この「皆の目は…注がれていた。」ということばは、
ルカの福音書22章56節で女中がペテロを「じっと見つめて言った」
コリント人への手紙第二3章7節「モーセの顔を見つめる」
の「見つめる」と同じことばだそうです。
じいぃぃぃっと見た、なめるように見たという感じですね。
私語をするものもなく、シーンとした中、
イエス様を見つめた状況が目に浮かびますね。
この男はこれから、何をいうのか・・・固唾をのんで見守ったのです。
開口一番!結論から述べられたのですね!
「わたしがこのイザヤ書に書かれているメシアだ」と言われたのですよ!
中川先生は、この訳が少し不満あるとのことで、
他の訳も紹介してくださいました。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(新共同訳)
「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」(口語訳)
「この聖書今日なんぢらの耳に成就したり」(文語訳)
いかがですが?
新共同訳も口語訳もまあまあ似ていますが、
ちょっと変な言い回しですよね。
文語訳が一番すごい感じです。
聖書のことばが、耳に成就したって・・・ダイレクトですね。
それもそのはず、ほぼ直訳なんだそうです。
新改訳などは、いろいろ工夫した結果、こう落ち着いたのですね。
イエス様は、おおぜいのユダヤ人の前で、
いきなりのメシア宣言をされました。
「今日」ということばに強調があります。
今こそ、待ち望んでいた終末の時代が到来したのだ!と宣言されたのです。
お祈りします。
イエス様の父なる神様
イエス様のメシア宣言をお聞きしました。
聖書のことばが、実現したことに大感謝です。
この言葉を信じられるものにしてください。
主イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン
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イエス様は、故郷のナザレの会堂で、爆弾宣言をされました。
えらいこっちゃ。
これを聞いた故郷の人たちはどう反応したのでしょうか?!
是非、ナザレの会堂でイエス様を見守ってまいりましょう!
次回は、
「メシア・イエス・キリストの生涯」第31回
「ナザレでの拒否」後半
ルカの福音書 第4章22節~30節
です。
シャローム💛