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聖書読みましょ♪Re-Collection 第54回 ユダヤの人々が、イエス様を信じていたら歴史は変わっていた?!

メシア・イエス・キリストの生涯29回
          「ガリラヤ伝道」
         ヨハネの福音書第4章43節~45節
 マルコの福音書第1章14節~15節



こんにちは!まいむまむです。
イエス様の生涯について4福音書を並べて、時間順に読んでいます。

毎回申し上げますが、わたくしは、「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの中川健一先生の講義「メシアの生涯」にそって読んでいきます。

興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってくださいね!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。

また、参考文献は新実用聖書注解になります。

本日のご紹介はこちらです。

ビリー・ジョエル 東京ドーム 2024.01.24

言わずと知れた御大登場
もうこれが、最後かもしれないビリー・ジョエル東京公演の「オネスティ」です。
この公演は、大変珍しいことに、撮影、録音OKだったのです。
会場には、でっかい画面が4面あって、
この映像は、それを撮ったものだと思います。
それにしても、素晴らしいお席で、うらやましす。
S席でも地の果てみたいなお席がほとんどなんですけど・・・。
まあ、文句は言わず、ビリー・ジョエルの生声を楽しみましょ♪

🎹🎹🎹🎹🎹🎹🎹🎹🎹🎹🎹🎹🎹👴🏻🎹🎹🎹🎹🎹🎹

さて、前回では、ユダヤ人と超仲悪いサマリアの地で、
多くの人々がイエス様をメシアだと信じました。
イエス様が、当時のユダヤ人の常識をひっくり返す活動をされたのです。
ほんとに、サラッと革命を起こす方ですね。💛

ここからは、いよいよ、本格的なイエス様の活動に入っていきます。
英語では「Great Galilean Ministry」というそうです。
大いなるガリラヤ伝道ですね。
これは、1年半続くようです。
イエス様の活動の前半を占める期間です。

Ⅰ イエスのガリラヤ到着 ヨハネの福音書第4章43節~45節

*ヨハネの福音書 4章43節~44節
43 さて、二日後に、イエスはそこを去ってガリラヤに行かれた。
44 イエスご自身、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていた。

「そこを去って」
そこってどこでしょう?はい、サマリアですね。
サマリアの人々に、滞在を要請されて、
2日間留まった後、予定のガリラヤに向かわれました。

ここで、イエス様がよく口にされた格言があります。
「預言者は自分の故郷では尊ばれない」
ふうん、そうなのかな・・・

で、このことばと次の45節がなんかうまくつながらないのですよ。

だって、次の節で、ガリラヤの人々(イエス様の故郷の人々)は
イエス様を歓迎したからです。

あれ?という感じですね。

この文脈については、いろいろ解釈がされているようです。
中川先生が採用する説は、
「自分の故郷とはナザレのことを指す。」というものです。

ルカの福音書において、ナザレで拒否されていること、
イエス様はナザレを避けて
ガリラヤの他の場所に行かれていることが根拠です。

今回については、
イエス様はカナ(水をぶどう酒に変えるという最初の奇跡を起こされたところです)に直行されたと思われます。

*ヨハネの福音書 4章45節
45 それで、ガリラヤに入られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎したが、それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。

ガリラヤの人たちは、過越しの祭りにおいて
イエス様がなさったことを目撃していたのですね。

何をされましたっけ?
宮の中で大暴れされたこと(宮清め)と
しるし(おそらくは病の癒し)を行われたのでしたね。

ガリラヤの人々は、非常に驚いたと思います。
なんたって、自分たちと同じおのぼりさんのイエス様が
メシアのようなふるまいをされたのですから。
その噂は、口コミで、あっという間にガリラヤまで到達していたものと思われます。

こうして、ガリラヤ伝道は好意的な雰囲気の中で始まりました。
よかったぁ。(*^▽^*)

さて、当時のガリラヤとはどんなところであったのでしょうか。

ガリラヤは単なる田舎ではなかったのであります。
異邦人の地ガリラヤということばがありますが、
ガリラヤ湖西岸のあたりには、
ヴィア・マリスという通商路が南北に走っていました。


ガリラヤ湖周辺は、軍隊、商人、外交官などが行き来する、
コスモポリタン的な雰囲気の場所だったそうです。
ユダヤ人だけでなく、シリア人、ローマ人、パルテヤ人などが住み、
ヘブル語、アラム語、ギリシャ語などが話されていたようです。

Ⅱ ガリラヤ伝道の概略 マルコの福音書第1章14節~15節 

*マルコの福音書 1章14節
14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。
15「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

バプテスマのヨハネの逮捕は、
イエス様の公生涯の転機となりました。
イエス様の働きの時が来たことを意味しているようです。

「神の福音を宣べ伝えて言われた。」
「神の福音」ということばは、ちょっと、ん?という感じですが、
「神が与えてくださった福音」という意味です。

では、「福音」とは何かというと、
「良き知らせ(グッド ニュース)」ということです。

「福音」の内容はどういうものであったでしょうか。
「時が満ち」メシアが到来する時がきたこと
「神の国が近づいたこと」
この2つです。

実は、このときイエス様が伝えられた「福音」
現在の私たちが受ける「福音」とは、内容が同じではないそうです。
おやって感じですよね。

これは、イエス様が十字架につけられる以前と
つけられた後では、意味が変わってくるからです。

イエス様がこの時点で語っておられる「福音」とは、
旧約聖書の預言者たちが繰り返し語っている「神の国」
すなわちメシア的王国の到来についてです。
バプテスマのヨハネが叫んでいたこともこれです。
すなわち、ユダヤ人たちが心待ちにしていたメシア的王国です。

そして、そのメシア的王国の実現のために、
イエス様は2つの命令をされています。

①「悔い改めて」…どうも、このことばを聞くと、
「ごめんなさい、もうしません」みたいな、
子どもの時の悪事を反省とか、そんな風に聞こえてしまいますが、

本当の意味は、ただ、あやまるとかそういうことではなく、
「認識を変える」「信頼を置く対象を変える」という意味なんだそうです。

自分の人生を誰にかけるのか、考えなおすということなのです。

②「福音を信じなさい」…これは、イエス様をメシアとして、認め、受け入れなさいということです。

この二つの命令は、コインの裏表のように、同時に起こることです。

イエス様をメシアとして信頼するということですね。

実は、もし、ユダヤの人々が、この時代にイエス様を真のメシアとして認めて、悔い改めをしていたら、
世界は、メシア的王国が実現していて、
今の世界とは違うものになっていたはずと考えられています。

へーって感じですよね。
歴史が大転換していたかもしれないのですよ。

ところが、最終的に彼らはイエス様を拒否したために
(今も拒否しているために)、
預言はいまだに成就していないのです。

この箇所は、ルカの福音書にも並行箇所としてありますので、見ておきます。

*ルカの福音書 第4章14節~15節
14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。
15 イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。

イエス様は、教師として人々を教え、
ラビとして弟子たちを訓練し、
預言者としてイスラエル民族全体に神の国の到来を伝える役割を果たしておられたのですね。

「会堂」とは、教会ではありません。
ユダヤ人の集う「シナゴーグ」です。

この写真はハンガリーのブダペストのシナゴーグです。
キレイですねー。
教会みたいですねー。
でも十字架がないのですよ。

こちらは、スペインのコルドバのシナゴーグです。
しぶくてステキですねー。
少し、モスクっぽい雰囲気がいたしますね。

大変残念なことに、
ユダヤの人々は、最初はイエス様を歓迎しましたが、
最終的に拒否しました。

このために、今に至るまで、メシア的王国は到来しておりません。

しかし、おかげでというかなんというか、
われわれのような異邦人にもイエス様の教えが伝わってきました。

じゃあ、世界はこのまんま続くのかというと、
これが違うようなんですよね。
そのことについては、ヨハネの黙示録に預言されていることとなります。
興味のある方は、ぜひ黙示録に挑戦なさってみてください。
めくるめく世界が広がっていて、ぞくぞくいたしますよ。

お祈りします。
天の父なる神様
世界は、不安に満ちて、動揺し続けています。
この状態から脱出するには、
正しい人により頼むことが必要であると思います。
福音書を読むことで、
イエス様に顔を向けて、目を離さないで、注目していけるように導いてください。
尊いイエス様のお名前によりお祈りいたします。
アーメン

さてさて、次回は、いよいよガリラヤでのイエス様の奇跡が始まりますよ。
ご一緒にご覧くださいませ。

「メシア・イエス・キリストの生涯」第30回
「王室の役人の息子の癒し」
ヨハネの福音書第4章46節~54節


シャローム!!!