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スピリチュアルの功罪。〜可能性開花か、自己否定ループか〜

スピリチュアルから自分を解放し、
スピリチュアル業界を
外側から客観的に見られるようになり
気づいたことがたくさんある。


スピリチュアル系発信者が
スピリチュアルを発信するようになったストーリーって


冴えない自分
(低収入、地味な容姿、やりがいがない、友達がいない etc)

宇宙の法則に出会い実践する

すごい自分になった!
(高収入、キラキラな容姿、自分ビジネス、仲間がたくさん etc)

宇宙の法則を知ったから私はこんなにキラキラになれた!
だからどうしたらみんなもそうなれるか教えてあげる!


これが定型となっていることが多いと思うのよ。


つまり、
スピリチュアルの達人になると

「冴えない自分」から「すごい自分」になれるんだ!

そして幸せになれるんだ!!!

と思うわけじゃん。

そして私も思ってたわけじゃん。


そもそも

その入り口が原因で

間違った思い込みがつくられてたわけよ!!!


スピリチュアル系発信者の
ビフォーの状態って
だいたいみんな

・低賃金のバイトや派遣社員だった
・地味な服を着てた

みたいなところから始まるんだけど


それを「ビフォー」にするってことは
その時の自分=【ダメな自分】って
定義付けしてることになるわけで


それがそもそも勘違いを生んでいたんだなと。


それはつまり

「低賃金で地味でうまくいってない自分は
愛せません。」

ってことじゃん。


ってことは

自分を愛せるようになるには
幸せになるには
すごくてキラキラな自分になることが
条件です。

になる訳じゃん。


スピでキラキラしてる発信者を見て
今まで自分が経験してきたことのないこと
やっている人たちがいることを知って

「好きなこと仕事にしていいんだ!」
「そういう稼ぎ方もあるんだ!」
「大人になっても可愛い格好してもいいんだ!
「お母さんになってもおしゃれしていいんだ!」

って

自分になかった選択肢が増えて
可能性がどんどん広がる

という点では
活躍している人を見るのは利点だと思う。


でもその状態と比較して

「ダメな自分」から「すごい自分」になる!

っていう目的ができてしまうと


自分への不足感から
スピリチュアルの取り組みが始まってるわけだから

スピリチュアルやり続けてる限り
不足感がずっと続いてしまう。

<関連記事>
スピリチュアルやってるから「不安・不足」がループしてたんだと気づいた話。

私たちの本来の自然な状態って

「どんな自分でも愛してる」

なんだよね。


収入が多い低い
どんな仕事をしてるか
仲間や友達がたくさんいるか
素敵な結婚をしてるかどうか


そんな「条件付け」が一切なく

「どんな自分でも愛したい」
という根源的な欲求が叶っている状態。

つまり
「どんな自分でも愛してる」という状態が
本当に欲しい状態なのよね。


だから
冴えないビフォーから
きらきらのアフターになりたい


というその
スピリチュアル開花ストーリーが
「そもそもの勘違い」を生み出す構造になっていたんだと。


こういうストーリー展開になることこそが
「幸せ・成功」なんだと勘違いして

ずっとうっすら自己否定し続けてたんだよね。


お金を持ってない自分は愛せない。
うまくいってない自分は愛せない。
ビジネスしていない自分は愛せない。
キラキラしている自分じゃないと愛せない。


は〜〜〜〜〜〜〜
そりゃ苦しいはずだわ。


気づけてよかった。

ごめんよ、あの頃の私。


低時給のバイトしてようが
ビジネスで稼いでようが

友達が少なかろうが
たくさんの仲間に囲まれていようが

ファストファッションの服着てようが
ハイブランドの服着てようが

自分の価値が変わることはないし
自分への愛は変わることはない。


そう感じられていることが
自然で健全な状態なのだと

今やっと心から感じているし

その「安心感」があってこそ

好きなことができて
やりたいことをやって
頑張りたい時は頑張って
休みたい時は休んで

ってシンプルに生きられるし

そういう人が
「キラキラしてる人」なんだよね✨




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