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エブス人とは古代日本からエルサレムへ移住し、再び日本へ帰還し藤原氏となったのか。

今回は、再度「胡禄(ころく)」について考えていきたいと思います。

胡禄とは、長崎県対馬市にある胡禄神社(ころくじんじゃ)から調べ始めた、矢を携行する時に用いる矢入れ具のことになります。

靫とは矢を携行する時に用いる矢入れ具のことです。矢の先を下にして納め、腰に下げるものは胡禄(ころく)といい、矢の先を上にして入れ、背に負うものを靫と呼んでいます。

参考館セレクション 靫形埴輪


胡禄(ころく)の「胡」という字には、「えびす」という読み方もあります。

「えびす」とはエブス人のことではないか、と考えられます。エブス人については、こちらでも書いています。

「禄(ろく)」とは「六」であり、藤原氏のことを表しているのではないか、と以前の記事で書きました。

そうすると「胡禄」とは、「エブス人と藤原氏」のことである可能性が考えられます。

長崎県対馬市にある和多都美神社(わたづみじんじゃ)では、磯良恵比須として阿曇磯良(あづみのいそら)のご神体と伝わる石が祀られています。

「磯良恵比須(いそらえびす)」とは、「藤原氏たちとエブス人」というような意味となるのではないか、と前回の記事で書きました。

このように2つの言葉が、隠された意味として両方とも同じ意味を表しているということは、ただの偶然であるとは考えられません。

そのため、藤原氏とはエブス人に出自を持つ一族である可能性が考えられます。

エブス人とは、聖書に登場する民族です。

エブスとはエルサレムのことで、エブス人はエルサレム(カナン)の先住民だったということです。

ノアの子ハムの子孫であるカナンから、エブス人が生まれ出ましたので、エブス人はカナン人でもあります。

エブス人
もう一つ、古代日本に大きな影響力を持った海洋民族としてエブス人がいます。エブス人は聖書によりハム族に分類されています。
発祥は15000年以上前の東南アジアと言われています。オーストロネシア語族の島々には先史時代の古い文明があります。それらの人々は島々を渡るため同時代の先進的な海洋技術を持っていたとされます。

海のスキタイ島ケルト人、フェニキア人、エブス人ら文明を運ぶ海洋民族


上記によりますと、エブス人の発祥は15000年以上前の東南アジアだと言われているとのことです。

15000年前とは日本の縄文時代であり、12000年前に海に沈んだと言われているムー大陸の時代でもあります。

そして縄文時代前期にあたる、12000年前の鹿児島県の薩摩火山灰の下層から、イネのプラント・オパールが検出されています。

「九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告) 」
縄文時代前期、1万2000年前の稲作の痕跡が鹿児島から出土



このことから12000年前に、鹿児島県薩摩周辺で火山灰の降り積もる程の大噴火があったことが分かります。これは、ムー大陸が沈んだ時期と重なります。

さらに今から約7300年前にも、鹿児島県南部の大隅海峡にある海底火山が巨大噴火を起こしました。

鬼界カルデラ(きかいカルデラ)は、薩摩半島から約50 km南の大隅海峡にあるカルデラ海底火山。直径は約20 km。薩南諸島北部にある薩摩硫黄島竹島がカルデラ北縁の外輪山に相当する。カルデラ中央海底には、単一の火口に由来するものとしては世界最大規模の溶岩ドームがある。溶岩ドームからは現在も火山性ガスの気泡が噴出しており、地下にはマグマ溜りが存在すると考えられている。薩摩硫黄島はランクAの活火山に指定されている。
先史時代以前に複数回の超巨大噴火を起こしている。約7300年前の大規模カルデラ噴火は過去1万年の内では世界最大規模で、火砕流九州南部にも到達し、九州南部の縄文文化を壊滅させたと推測されている。近年の研究では、屋久島、口永良部島、大分県、徳島県などで噴火に伴い発生したと考えられる津波の痕跡が発見されたとの報告がある。

鬼界カルデラ - Wikipedia


この鬼界カルデラ大噴火によって、九州南部の縄文文化が壊滅されたと言われています。

大噴火の際に、最後の大規模火砕流(幸屋火砕流)が推定時速300km位の高速で海上を走り、大隅半島や薩摩半島にまで上陸しました(下図左)。その時のアカホヤと呼ばれる火山灰は東北地方まで達しました(下図右)。

縄文文化を壊滅させた「鬼界カルデラ」の大噴火


また、大噴火の際に海中に突入した火砕流の一部は大津波を発生させました。津波の推定高さ(下図左)は大隅半島で30mです。津波の痕跡は長崎県や三重県でも確認されました(下図右)。

縄文文化を壊滅させた「鬼界カルデラ」の大噴火


鬼界カルデラ噴火で襲来した津波のシミュレーションと津波の痕跡


約7300年前の鬼界カルデラの大規模噴火は歴史的事実であり、大津波や火砕流の発生が研究によって明らかにされています。

この鬼界カルデラ大噴火によって、九州南部の縄文文化が壊滅されたことは間違いないことだと思います。


笹山遺跡出土 深鉢形土器(火焔型土器)(国宝) 十日町市博物館展示


火焔型土器(かえんがたどき)とは、縄文時代中期(5500年~4400年前)に造られた土器であると言われています。

この鬼界カルデラ大噴火あるいは、ムー大陸の沈没を経験した縄文人が、火焔と海面が渦巻く様子が描かれた土器を造型し、ムー大陸の最後の記憶を語り継いだのではないかと個人的には考えています。

鬼界カルデラの大噴火という歴史的事実を知ることによって、住む場所を失った多くの縄文人たちが日本から世界各地へと移住していった、という民族移動の流れが明確となってきました。

世界史が大変動を起こすとき、民族の移動が少なからず関係しているのがわかります。
古代民族が移動するルートは大きく分けて陸路と海路の二つに分かれますが、海路を移動する民族とルートはどうなっているのでしょうか。
最終氷期が終わり、1万年ほど前から次第に海面が高くなり、海に沈む島や陸が増えてきました。北極海航路は、東・東南アジアの海の民により開かれたようです。さらに紀元前5300年頃に起きる鬼界カルデラの噴火により日本の西半分には人が住めなくなってしまい、日本にいた人たちは大陸や遠い世界へ移動したようです。それからさらに4000年ぐらいが過ぎると再び東へ、日本への移動(帰還)が本格的に始まります。

海のスキタイ島ケルト人、フェニキア人、エブス人ら文明を運ぶ海洋民族


次に貝紫染めという特殊な染色技術から、民族移動の流れを見てみます。

英語では王者の紫といわれるロイヤルパープルをさす。フェニキアティルスで多く生産されたことからティリアンパープル、「フェニキアの紫」ともよばれ、“born in the purple”(または “born to the purple”)という英語は「王家に生まれた」という意味を指す。

ティルスでは貝紫での染織を秘伝としたため、ローマ人たちはこの貝紫の製法を知らず何度も国産化を試みたが成功しなかった。

染料として貴重であったことも要因とされるが、当時、貝紫で染められた物には「力が宿る」と信じられており、多くの権力者たちが禁色として、一般の人間の使用を禁じた。

貝紫色 - Wikipedia


フェニキア人によるこの貝紫染めは、染色方法を秘伝とし、フェニキア人が技術を独占していたようですので、この貝紫染めの染色技術を持つ民族は一部の民族に限られていたと考えられます。

古代フェニキア人が特産品を作るのに使っていたある技術は、古代日本にも全く同じものが存在しました。古代フェニキア人は、地中海で採れる「アクキガイ」という貝の腺から採れた染料を使って紫色を出す染色法を用いていました。当時のローマ帝国の皇帝がこの染色法によるパープルの織物を好んだことから「帝王紫」とも呼ばれてきました。

この染め方は、日本最大規模の弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市吉野ヶ里町)にある弥生中期から後期の墓から出土した染色布がこの貝を使った染色法に従ったものだということが判明しています。
さらに、縄文時代にも同じ貝を使って紫色を出す染色法が行われていた痕跡があったことも報告されています。東京の大森貝塚を発見者として有名なエドワード・S・モースは、「チリメンボラ」という貝の貝殻の一部分が砕かれた状態で発見されたことと、チリメンボラが古代フェニキアで貝染に使用された「アクキガイ」の仲間であることに着目して、縄文時代の日本で貝紫染めがなされていた可能性があると指摘しました。
縄文時代に高度な染色技術を持っていた可能性があり、弥生時代には確実に貝染をしていた日本人。作家の有吉佐和子さんは、生前に古代の日本に一部のフェニキア人が渡来していたという説を発表されていました。

現在、沖縄の北谷(チャタン)で発見された古代海底遺跡から約2500年前に発見された石板にフェニキア文字(古代オリエントのシュメール人が発明した楔文字から派生したとと言われる)のような彫刻が見つかっています。ちなみに、与那国島沖の海底遺跡は10000年前に陸地で作られていたとされています。

しかし、古代フェニキア人が中東で活躍していたのは、約3500年前からであり、その前に興隆したシュメール文明でさえも、約6000年ほど前からです。そうなると、日本にあった古代文明の方が遥かに古い可能性も強いです。

縄文時代に、古代フェニキアと同じ染色技術「貝紫」が!


上記によると、「フェニキアの紫」で知られる貝紫染めについて、フェニキア人が中東で活躍した時代よりも遥かに前である縄文時代の縄文人が、この染色技術を持っていた可能性があるということです。

さらに弥生時代の吉野ヶ里遺跡でも、貝紫染めの染色法による布が出土しているというのです。

そこで、貝紫染めの伝播から民族の移動を見てみると、縄文人(約17000年~3200年前)→フェニキア人(約3500年前~2800年前)→弥生人(約3000年前~1770年前)となります。

そのため、貝紫染めの染色技術を持つ縄文人が日本から、中東や地中海地域へ移住しフェニキア人と呼ばれ、弥生時代にはその民族が再び日本へと帰還して来たのではないか、と考えられるのです。

ここで、この記事の最初に書いた内容に戻ります。

藤原氏とは、エブス人に出自を持つ一族である可能性が考えられる、と書きました。

エブス人も、日本からエルサレム(エブス)へと移り住み、長い年月を経て再び日本へと帰還し、藤原氏となった可能性が考えられます。

聖書には、次のように書かれています。

七つの民を滅ぼせ

 
あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、あなたの意のままにあしらわせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。

旧約聖書 申命記 7.1-5 新共同訳


カナンの地の先住民であるエブス人を含む七つの民を、神様は『必ず滅ぼし尽くさねばならない』と仰っています。

2. 聖絶すべき理由

神によれば、これらのカナンの地に住んでいた先住民(少数民族)を聖絶すべきとされています。その理由は、彼らがイスラエルの民にとってつまずきとなり、偶像礼拝へと堕落させる恐るべき異教の民だったからです。しかし完全には聖絶することができず、事実、イスラエルの民は主に対して罪を犯し、偶像礼拝という結果をもたらしたのです。

【補完13】 聖絶すべき先住民 牧師の書斎


エブス人たちは、異教の民であり、偶像礼拝を行っていたのです。

しかしながらイスラエルの民は、聖絶すべき七つの民を完全に聖絶することができず、イスラエルの民は主に対して罪を犯し、偶像礼拝という結果をもたらしました。

奈良県奈良市には、藤原氏の氏寺である興福寺(こうふくじ)があります。

興福寺には、奈良時代に造られた「阿修羅像(あしゅらぞう)」が国宝とされ安置されています。

あなたはいかなる像も造ってはならない。

旧約聖書 申命記5.8 新共同訳


異教の民であり、「アシェラ」ならぬ「阿修羅(あしゅら)」の像を造った藤原氏とは、エブス人に繋がる可能性がますます高まってきました。

もう一度、神様の御言葉を掲げます。

あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。

旧約聖書 申命記 7.5 新共同訳



偶像崇拝を強要し、輪廻転生はあると嘘をついた「釈迦」は、悪魔崇拝者だったのか。


仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。


悪魔を拝んで人生を破壊する生き方から、神様を拝んで人生を幸福にする生き方へ。


何をどう祈ればいいのか、具体的な方法をお教えします。自分の人生も世界の運命も変える鍵がここにあります。


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