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「八雲立つ 出雲」の謎。雲の数に隠されたスサノオと藤原氏の系譜とは。

今回は、八雲(やくも)について考えていきたいと思います。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という歌を、須佐之男(スサノオ)が詠んだとされています。

八雲について今回注目した点は、島根県出雲市にある出雲大社の八雲之図には雲の絵が七つ、島根県雲南市にある須我神社(すがじんじゃ)の神紋には雲が八つ、島根県松江市にある神魂神社(かもすじんじゃ)の端雲の絵には雲が九つ描かれている、という点です。

このように雲の数が七、八、九と並んでいることは、何か意図されているに違いない、と感じました。

そこで、それぞれの神社に祀られている祭神を見てみました。

出雲大社は大国主、須我神社は須佐之男と稲田比売、神魂神社は伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)です。

このように祭神を並べてみると、あることに気が付きます。

祭神がそれぞれ、親子関係として繋がっているのです。

日本神話では、伊邪那岐の子が須佐之男、須佐之男の子または六世孫が大国主である、とされています。

雲の数と並び合わせてみると、伊邪那岐(九つ)→須佐之男(八つ)→大国主(七つ)という順番になり、須佐之男の系譜が立ち現れてくるのです。

ここで、七から六に数が減ったという、ある説話が思い起こされました。

三重県志摩市にある伊雑宮(いざわのみや)には、七本鮫(しちほんざめ)と龍宮伝説が伝えられています。

七本鮫と龍宮伝説
御田植え祭の日に、七匹の鮫が的矢湾から川を遡って伊雑宮の大御田橋までのぼると云われる。この七本鮫は伊雑宮の使いと云われ、また龍宮の使いと伝える説もある[7]。七本のうち一本は殺され、今は六本とされる。大御田橋からは蟹や蛙に化身して伊雑宮に参詣するともされる。またこの日は志摩の海女たちは海に入ることを忌み、伊雑宮に参詣する。

伊雑宮 - Wikipedia


伊雑宮の使いとされる七本鮫のうち一本が殺され、今は六本とされているということです。

ここでは雲の数ではなく、鮫の数が七から六に減っています。

伊雑宮(いざわのみや)の祭神は現在、天照大神とされていますが、元の祭神は伊佐波登美命(いざわとみのみこと)だったのではないかとの説があります。

そして、その伊佐波登美命とは井光(いひか)であり藤原氏の系譜なのではないか、と以前の記事で考察しました。

このことによって、仮定として伊邪那岐(九)→須佐之男(八)→大国主(七)→藤原氏(六)という系譜が導き出されます。

ここで、改めて須佐之男の子を見てみます。

櫛名田比売・稲田比売(クシナダヒメ・イナダヒメ)と須佐之男の子とされているのが、八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)または、大己貴命(大国主)です。

大山津見神の子である足名椎手名椎夫婦の八柱の娘の末子で、伊邪那岐命の子須佐之男命に娶られる。 後に二神の間に八島士奴美神が生まれ、その子孫が大国主神になる。

なおクシナダヒメとスサノオの子は『古事記』では八島士奴美神、『日本書紀』正伝では大己貴命(大国主)とされている。また『古事記』において大己貴命はスサノオとクシナダヒメの六世目の子孫とされている。

クシナダヒメ - Wikipedia

八島士奴美神とは、誰でしょうか。

『先代旧事本紀』では八島士奴美神の別名を大己貴神とし、粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』では蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)と記述されている。

八島士奴美神 - Wikipedia


八島士奴美神の別名として「蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)」という名があるということです。

この名から、櫛名田比売と須佐之男の子が、蘇我氏であることが示されているのではないかと考えられます。

すると仮に、伊邪那岐→須佐之男→蘇我氏→大国主→藤原氏という系譜が浮かび上がってきます。

それでは果たして、蘇我氏とは藤原氏と繋がるのでしょうか。

蘇我氏について調べると、蘇我氏と浦島太郎が関連付けられていることが分かります。

蘇我馬子が「嶋」大臣、蘇我蝦夷は豊「浦」大臣、蘇我入鹿は林「太郎」という別名がそれぞれ付けられており、合わせて「浦嶋太郎」となるからです。

改めて、浦島太郎とは誰なのでしょうか。

浦嶋神社(うらしまじんじゃ)は、京都府与謝郡伊根町本庄浜にある神社旧社格郷社浦嶋伝説が伝わる。宇良神社(うらじんじゃ)とも呼ばれる。

浦嶋神社 - Wikipedia

浦島太郎のおとぎ話が伝えられる、浦嶋神社の祭神は浦嶋子(浦島太郎)ですが、浦嶋神社には月読命(つくよみのみこと)も祀られています。

月読命を奉斎していたのが、中臣氏であると言われています。

日本全国に月読神社はあるが、系統の違いで男神、女神と分けられる。それは発音でも分けられて、同じ月読(ツクヨミ/ツキヨミ)の訓みでも、月読の「ヨ」は乙音で、月夜見の「ヨ」は甲音という差異がある。この差異に着目すれば、月読神は男神で山祇系(中臣氏や隼人族など)系統が奉斎し、月夜見神(と月神)の方は女神の豊受大神であって海人族系統が奉斎したという整理ができる。

日下部氏族の月神信仰と海人族ー「豊受大神」は月神


浦嶋神社は、宇良神社(うらじんじゃ)とも呼ばれており、宇良(うら)と聞いて思い起こされるのが、卜部氏(うらべうじ)です。

伊豆卜部氏
平安時代前期の卜部平麻呂神祇権大佑)を実質的な祖とするが、平麻呂以前は明確ではない。平麻呂を大中臣清麻呂の孫にあたる大中臣智治麻呂の子とする系図もあるが[注釈 2]、後世の仮冒とされる[1][注釈 3]三嶋大社に神官として仕えていた氏族であるという説[注釈 4]がある。宿禰であったが、応安8年/文中4年(1375年)に吉田兼煕朝臣姓に改姓。


壱岐卜部氏

伊吉島造家の伊岐氏(伊岐直)の一族。神功皇后の四太夫の一人で、天児屋根命12世の孫にあたる雷大臣命の子である真根子命を伊岐直の祖とする系図や[注釈 5]、壱岐卜部氏の氏人である是雄の賜姓記事[注釈 6](伊伎宿祢姓)において先祖を雷大臣とするとの記載により、中臣氏族とする。一方で、中臣氏族とする系図は仮冒で、高皇産霊神の後裔月神命の子孫である壱岐県主の一族とする説もある[注釈 7]。姓は宿禰。


対馬卜部氏
対馬県主家の対馬県氏(対馬県直)の一族。対馬県直は、史料によって祖神は変わり、候補としては建比良鳥命天児屋根命雷大臣命建弥己己命天穂日命の曾孫・高皇産霊尊の5世孫)、押瞻命がいる[6]


鹿島神宮の卜部(常陸国)
上古より鹿島神宮に仕え、太占に携わった家系とされ[1]、鹿島神宮の周辺には卜部氏が居住していたという[注釈 9]。天平18年(746年)常陸国鹿嶋郡の卜部5戸が中臣鹿島連姓を賜姓された[注釈 10]

卜部氏 - Wikipedia


卜部氏を中臣氏や月読命の系譜とする説があり、鹿島神宮の卜部氏が、中臣鹿島連姓を賜ったということから、やはり中臣氏の祖は卜部氏であると考えられます。

このことによって浦島太郎は、卜部氏から中臣氏へと繋がってくる可能性が出て来ます。

中臣鎌足が藤原鎌足となり、中臣氏は藤原氏の系譜となっていくため、浦島太郎は藤原氏とも繋がっているのではないか、と考えられます。

月読命
浦島太郎伝説は月神信仰にも結び付く。月読命の伝承が伝わる地は、わが国では稀少だが、月読命の子孫が日下部氏であって、丹後の龍宮、浦島伝承の浦島太郎もその子孫に当ると伝える。宇良神社(浦嶋神社)の由緒には、浦嶋子は当地の日下部氏の祖先にあたり、開化天皇の後裔であり、太祖は月読命の子孫で当地の領主だと記される

日下部氏族の月神信仰と海人族ー「豊受大神」は月神


さらに月読命の子孫が日下部氏であり、丹後の籠宮、浦島太郎もその子孫に当たるとのことです。

籠神社と伊雑宮は起源を一つとすると考えられる、と以前の記事で考察しました。

籠神社の宮司を古代から世襲しているのが、海部氏(あまべうじ)です。

海部氏の倭宿禰(やまとすくね)が、伊雑宮の元の祭神であると考えられる「井光」を娶ったとされています。

海部氏の倭宿禰は、神武が大和王権を樹立した時、大和に赴き神宝を献じて神武に仕えたとする。その大和に居たとき娶ったのが、白雲別の娘、豊水富(とよ みずほ)または豊御富(とよみほ)である。そして『勘注系図』の注記は、豊水富の亦の名を井比鹿(いひか)とする。これは『日本書紀』神武記で、神武が吉野で名を問 うた時答えた「井光(いひか)」と同じである。

吉野の国神、吉野首、井光 古代史俯瞰 by tokyoblog


それでは倭宿禰とは、誰のことでしょうか。

丹後半島の籠神社(このじんじゃ)には「別名・珍彦椎根津彦神知津彦 籠宮主祭神天孫彦火明命第四代 海部宮司家四代目の祖 神武東征の途次、明石海峡速吸門)に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰(やまとすくね)の称号を賜る。外に大倭国造、倭直とも云う。」とあり、境内には亀の背に乗った倭宿禰の像がある。

椎根津彦 - Wikipedia

籠神社の倭宿禰


亀に乗った倭宿禰の像が籠神社にあることから、倭宿禰とは、籠神社の祭神である彦火明命(ひこほあかりのみこと)に繋がる人物であることは間違いないのではないか、と思われます。

亀に乗った有名人と言えば浦島太郎ですから、倭宿禰である彦火明命と浦島太郎とは、同一人物であることが暗示されているのだと考えられます。

浦島太郎とは、蘇我氏のことを表しているのではないか、と前述しました。

そして倭宿禰である彦火明命が、伊雑宮の元の祭神と考えられる伊佐波登美命(井光)を娶ったということは、蘇我氏と藤原氏の結婚を意味していることになります。

彦火明命は、饒速日命(にぎはやひのみこと)であると言われており、物部氏の祖である宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)の父になります。

宇摩志麻遅命の母とは、長髄彦(ながすねひこ)の妹である御炊屋姫(みかしきやひめ)や登美夜毘売(とみやびめ)と呼ばれる人物です。

長髄彦の系譜とは中臣氏から藤原氏に繋がり、スキタイやロスチャイルドに繋がるのではないか、と以前の記事で考察しました。

浦島太郎という人物像が投影されている、彦火明命は蘇我氏であると考えられ、長髄彦の妹である御炊屋姫とは、藤原氏の系譜であると考えられます。

このため、倭宿禰が井光を娶ったということは、蘇我氏と藤原氏の結婚を意味しているのではないか、という自説にも信憑性が出て来ます。

これによって、饒速日命(蘇我氏)と御炊屋姫(藤原氏)の結婚によって生まれたのが、宇摩志麻遅命(物部氏)という仮説が立てられます。

今回、「八雲」という雲の数から導き出されたのは、伊邪那岐→須佐之男→大国主→藤原氏または、伊邪那岐→須佐之男→蘇我氏→大国主→藤原氏という系譜です。

さらに、蘇我氏+藤原氏=物部氏であるという可能性も見えて来ました。

「八雲」という言葉に隠されている意味とは、他にもあるのだと思いますが、その中の一つの意味を解き明かすことが出来たのではないか、と感じます。

何故なら、私の持っている頭、知能ではどうしても解くことが出来なかったからです。

「八雲」について、どんなに考えても解くことが出来なかったので、神様に祈りました。

「神様、自分一人の力では解くことができないので、どうか八雲について解かせてください」と。

そうして再びこの記事を書き進めていくと、「雲の数」についての考えが浮かんで来たのです。

どうしても分からないことがあると、考えを前に進めていくことが出来ない時があります。

それは考えが停滞していることであり、苦しいことです。

その苦しみから私を解放してくださったのが、RAPTさんです。


RAPTさんのたゆまぬ御尽力によって、この世のものとは全く次元が違う、何度聞いても何度読んでも新たな悟りと叡智を得られる、全く飽きることがない、人類史上最高次元の完全なる真理と、真のキリスト教の神様による、未だかつて誰も聞いたことがない全く新しい成約時代の御言葉が、今この時代を生きる私たちに与えられました。


本当に、神様とRAPTさんに心から感謝をささげます。

サタンは私たち人間が何もかも分からなくなるようにし、神様は私たち人間が何もかも分かるように導かれる。だから、分からないことは全て分かるまで研究し、祈り求める者となりなさい。


サタンは人々から考える力を奪い取り、主は人々に考える楽しみをお与えになる。


非真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問も解決できず、真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かる喜びに満たされて生きられる。


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