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かあかがいなくなった日。私の家族のおわりが見えた日。

母方のおばあちゃんが亡くなった。

私の言葉で言うと、「かあか」が亡くなった。この「かあか」というのはおばあちゃんの愛称で、幼少期の私が名付けたものらしい。

うちの母がおばあちゃんのことを「お母さん」と呼ぶので、それを真似しようとした私が「かあか」と呼び始めたところから定着した。物心ついたころには、家族全員が「かあか」と呼んでいたので、私にとってのおばあちゃんは「かあか」だし、おばあちゃんちは「かあかんち」である。

思えば、私はめちゃめちゃおばあちゃん子だった。実家から徒歩20分のところにかあかんちはあったので、とにかく頻繁に預けられていたのである。

特に、幼稚園から小学生のころは、両親が家を建てるための打ち合わせで留守にすることが多かったので、大体かあかんちにいた。

弟と一緒にアニマックスを見たり、絵を描いたり、畑を散歩したり、鯉に餌をやったり、スーパーに着いて行ってお菓子を買ってもらったりして過ごしていたのを覚えている。

小学生になってからも、実家が大好きな母はかあかんちによく訪れ、料理が大好きなかあかはうちによくタッパーに詰まった料理を届けてくれた。

普段の生活はもちろん、年末や正月もかあかんちで過ごすのがお決まりである。私には従兄弟がおらず、かあかにとっての孫は実質私たちだけだったこともあり、かあかからもらうお年玉が、1番ふくふくとしていた。要するに、ものすごい甘やかされていたのである。

元からの性格なのか何なのかわからないけど、かあかはすごく気前が良かった。何かと厳しい母に代わって何でも買ってくれたし、「お釣りは取っといで」とアイスクリーム屋のお姉さんに言っていたのを横で聞いたとき、「なんてカッコいいんだ!」と思った。

よく働いて料理がうまくて習字やお華も歌も上手で太っ腹でチャキチャキしていて車もブンブン乗り回す。誇らしいスーパーおばあちゃんだった。

そんなかあかと唯一衝突したことがあった。

当時、アメリカに住む家族を置いて、大学受験のためにひとり日本に戻ってきたわたしは、「成人式の前撮り」というイベントにまわりが色めき立つなかで、頼れる両親もおらず、どうしたものかと途方に暮れていた。

成人式は地元で行うものなので、かあかに車を出してもらい、地元のオンディーヌで前撮りをすることになったのだが、なぜかいつも着物選びにかあかは着いてきてくれなかった。

他の子たちがお母さんを連れて楽しそうに着物選びをしているなかで、わたしはそれがすごく寂しくてたまらなかった。

ひとりで着物を選んでいる人ってなかなかいない。

みんな家族と「あなたはこの色が似合う」とか何枚も着物をあてて鏡を見ながらキャッキャと楽しそうに選んでいるのに、わたしはひとりで黙々と選んでいたので、スタッフさんにも「おばあさまはお見えにならないんですか…?」と心配されていた。

ええ、お見えにならないんです。なぜか。

成人式の前撮りというのは、課金次第で豪華な写真が撮れる。枚数も増やすことができる。でも、かあかに相談してみても、「どうせ見返さないんだから、そんなにいらないでしょ」と言われ、頑なにオンディーヌに来ない姿勢も含めて、ある日わたしは爆発してしまった。

「かあかは、わたしに興味がないんだ……!」

無性に悲しくてわんわん泣いた。

一生に一度の成人式。一番仲がよかった親友のママが気合いを入れて豪華なコースを選んで撮影をしたという話を聞いたあとだったからかもしれない。家族が会える場所にいなかったこともあるのかもしれない。

「成人を迎えること」ってもっと大事なことだと思ってた。「大きくなったねぇ」「綺麗になったねぇ」と目を細めて喜んでくれると思っていたのに。

誰もわたしの晴れ姿なんざ見たくないんだ。じゃあわたしは何のために今着物を着てるんだ? と途端にどうでも良くなって部屋に閉じこもった。

するとかあかも同じように目を赤くして、「ごめんねぇ、かあかはみっともないから、お店に行きたくなかったのよ」と言った。

そんなこと、どうでもよかった。

かあかがみっともないとか訳わからん。いないほうがわたしはみっともないんだから、細かいこと気にせずに着いてきてよ! と全然納得ができなかった。

それから大学を出て、会社員になって、フリーランスになって、仕事が生活の中心となって、やがてかあかんちにもあまり行かなくなってしまった。

たまに実家に帰るときに、母が料理を届けるのに着いて行って顔を出すぐらいで、どうせ私の仕事の話を聞いてもつまらないだろうと、あまり長居もしなかった。

衝突から数年後。わたしは1冊の本を出版することになる。そして、それを読んだかあかからLINEが届いた。

“もっと優しくせっしてあげたかったよ。”

これまでベタベタに甘やかされてきた私もでもわかる。これはきっと成人式のことなんだと。母に聞くと、かあかはことあるごとに成人式の話をしてはため息をつくらしい。私よりもずっとずっと引きずっていたのだ。あのときのことを。

「ゆきの本に『自分の思いを素直に書くことが大事』だと書いてあって、それは本当にそのとおりだと思ったの」と言われて、あぁ、そういうことだったのか! と腑に落ちた。

生まれてこの方ずーっと頑なに自分のスタンスを崩さなかったかあかが、わたしの言葉でちょっとだけ素直になってくれたのだ。

それが、もしかしたら私が人生唯一自覚しているおばあちゃん孝行かもしれない。

結局、「言葉を書いて出す」ことしか私はやってこなかった。次第に老いていくかあかを横目で見ながら、いつまでも生きていてくれますように、と願った。

未だにもう、この世にいないことが信じられない。これまでのようにピンポンを鳴らしたら、あの甲高い声で「はあい」と言って、台所からパタパタと走って出てくるような気がする。

そして私は悟る。私を育ててくれた家族はいつか終わってしまうのだと。

かあかに限らず、いつかおじいちゃんも、父も、母もいなくなってしまう。何をやろうがどんな言葉をかけようが悔いは残ることはわかっているけれど、それでも私は前に進まなくちゃいけない。

本当に怒涛の1週間だった。かあかに向き合い、仕事に向き合い、自分の人生に向き合い。

かあかがいなくなった世界でも、私の日常は続いていく。

そうやって大事な人がどんどんいなくなっていく諸行無常な世界で、新しく大事なものを見つけたい。見つける。

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