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移民問題はご飯を食べれば解決する

君は君
我は我也
されど仲よき

武者小路実篤/小説家・詩人

移民問題の本質とは

移民問題とは異文化の不理解が本質

 超高齢化と低賃金を維持したい資本家の思惑からか、日本では移民受け入れが 加速度的に進んでいます。

「え、移民なんて受けれいてるの?」

 はい、受け入れています、技能実習生、留学生という言葉にすり替えることで。

 どちらも、主に東南アジアの方を低賃金の労働力として来ていただくための制度のようです。

 特定技能実習生は、たとえば介護士さんや漁業といったエッセンシャルワーカーさんを受け入れるために作られた制度に見受けます。

なぜ“移民”という言葉を使わないのか?

 それは、日本人が移民を受け入れるということに強い抵抗を持っているからじゃないかと僕は考えます。“ゼノフォビア(外国人恐怖症)“というものかもしれません。

 とはいえ、少子化が進む以上、移民を受け入れる選択肢しかない。なので“技能実習生“、“留学生“という言葉や制度を使って移民を受け入れているのでしょう。

なぜ、日本人は外国人を恐れ、嫌うのか?

 それは、東の果ての島国という地理的な条件から、独特な文化を築いたことが理由なんじゃないかなと思うのです。

 日本は海外からの侵略や交流がしにくい場所に位置し、流れ込む文化はシルクロードを渡った終着点のそのまた先。四季がある農耕民族ならば、基本的に争い事が少なく、定住して安定を築く。

 つまり、外国人は“変化“であり、“不安定“であり、いわば“旅禍“とみなされるのかもしれません。

 ただ、頑なに自分たちの“国家“にこだわるようになったのは、個人的には明治維新以降なんじゃないかな?と思っています。

熱田神宮

日本の伝統と文化の重要性

移民問題はどの国でも起こるありふれた問題

 移民問題という衝突は日本で特に深刻なものなのかといえば、それは違うと思います。移民問題は世界中で発生しているからです。

 なぜか?

 それは、異文化間において、お互いの常識が極めて異なるからだと思うのです。

 自国の常識が、他国の非常識という認識は、なかなか経験しないとわからない。

 そして、一度経験すると、かなりの人がうんざりするから移民を嫌うのかもしれません。

 他人の常識を自分の常識と等しく捉えるのは、想像力を求められます。

 時に、アイデンティティを否定するようなことを自ら行う必要があるのかもしれません。

外国の方と友人付き合いをすると、必ず大喧嘩が起こる

 外国人の友人と仲良くなっていくと、必ず一度は大喧嘩することになります。

 日本人が外国人を嫌う場合は、主に“時間を守ってくれない“という理由になるようです。
 外国人が日本人を嫌う場合は、主に“時間を守りすぎる“という理由が多く見受けます。

 僕は、国際交流イベントを開催すると、必ず“時間通りに全員は来ない前提“で対応します。

日本人ほど時間を守る民族は珍しい

 よく、日本の電車が時刻表通りに来ることを賞賛される外国の記事を拝見します。

 それが当たり前の日本人にとっては、誇らしく思うかもしれません。

 財布を落としても、戻ってくる。

 水は無料でレストランのサービスは至れり尽くせり、チップも不要。

 地震が起こっても列を作る礼儀正しさ。

「生活をするのは天国、働くのは地獄」

 外国人の方は口を揃えて日本をそう評価します。

 つまり、価格が安くて質の高いサービス、治安の良さは酷い労働環境とトレードオフなんです。

「日本人は時間守らないよ?」

 これも、よく聞きます。

 終業時間を守らないからです。

 ほとんどの会社では、仕事がなくとも定時で上がれば白い目で見られます。

 法律上、残業手当は1分単位でつける義務がありますが、実際はまれです。

 少し前まで、アルハラ、セクハラ、パワハラは当たり前。

 “Karoshi(過労死)“は英語における外来語になっています。

 過労で死ぬまで我慢できる民族は、日本人だけかもしれません。

 法律で認められているストライキを批判するのは、わざわざ自分たちの権利を捨てているようなものじゃないのかなと思います。

 そんな劣悪な労働環境で、低賃金で働くおかげで、日本のサービスは高品質低価格を維持することが出来ているのです。

日本の高いサービスは日本文化を理解することで維持される

 そんな日本のサービスは、独特な日本の“常識”の上に成り立っていると考えます。

 落とした財布が戻るのは、親切心、厳しく時に偏狭な道徳教育、相互監視や同調圧力のもとに成り立っている。

 それは、義務教育や家庭教育、日本文化で育つ人々との近所付き合いといった環境で根付く文化を基本として初めて成立すると思います。

 じゃぁ、その文化を理解しない外国の方が増えることで、おそらく大きく変わり、不便になると僕は考えます。

 穿った見方と言われるかもしれませんが、日々多種多様な国々の方と関わった経験則からの観点です。移民に対して肯定的であり、そのために多様性とナショナリズムを肯定するというお話です。なので、最後までだけ聞いていただければ嬉しいです。

昂まるナショナリズム(愛国主義)

 移民が問題視されるに連れて、ナショナリズムが各国で高まっています。

 モンゴルでは「チンギス・ハンの末裔であるモンゴル人は世界一優れている」

 アメリカでは「偉大なるアメリカをもう一度」

 中国では「4000年の歴史を誇る中華思想を世界に広める」

 日本では「世界最古の神の国日本は、神の血筋で人類の始祖」

 こういった“愛国心“は、社会が行き詰まり、自己肯定感が下がった時に人の心を満たすでしょう。

社会の混乱に乗じて愛国ビジネスが台頭する

 「憂国の人」を謳う政治家や著名人は日本でも少なからず礼賛されていますし、その勢いは大きくなっているように見受けます。

「天皇家の超能力」
「縄文人の不思議な力」
「日本からあたらしいユートピアがはじまる」

 魅力的なお話だと思います。

 インターネットが普及するにつれ、庶民は大きな権力に支配されている構造が隠せなくなって来た今、抗えない権力(主にアメリカやユダヤ資本、グローバリスト、ロシア、中国)に立ち向かう「愛国ビジネス」は、(主観的にですが)庶民が望むものを販売していると思うのです。

 特に日本とアメリカにおいては、トランプさんが大きな権力と戦い、搾取される庶民を救済するというストーリを支持する方が世界を二分しているように見えます。

 熱烈な支持者も身の回りにたくさんいらっしゃる。

 とても救いがあるし、聞けば聞く程真実味を感じる。ニュースやデータベースを見ても、勉強すればするほど否定するのが難しい。

 “トランプ兄貴“に救世主を見るのは、この閉塞した世界においては自然なことかもしれません。

 神様がいるかいないかは個人の考え方によると思いますが、権力者より強い存在である“神様“に祈る人が増えているように見受けます。

 メシア思想そのもの。

 ここまで情報が錯綜する社会で、スピリチュアリズムが注目され、救いを求めて人が神様に祈るのは自然なことだし、他に手段を見つけるのは難しい。

 ただ、その“強い権力者“は、我々が祈る神様と、その神様が遣わす救世主が退治してくれるのでしょうか?

神様は、本当に、もはや権力者を愛していないのでしょうか?

 祈るだけで、あとは神様がなんとかしてくれるほど、積み重ねてきた人の歴史は善良なのでしょうか?

 神様の目線から見て、私たち平凡な市民は、権力者たちとどれほど違うのでしょうか?

 可愛い動物を飼い、美味しい動物を大量に殺し差別する人間は、大して違いがないかもしれない。

 そんな目線が、神様の目線かもしれません。

 それでも、今の私たちが真っ先に思いつくことは、様々な善良な犠牲を伴う神様の罰や、権力者を倒す強い救世主の到来を祈ることなのかもしれません。

 では、祈る以外に私たちに何ができるでしょうか。

今まで避けていたことを試してみる

風が吹けば桶屋が儲かる

 バタフライエフェクトという言葉をご存知でしょうか。

 遠いどこかの蝶(バタフライ)が羽ばたくと、巡り巡ってどこかで竜巻が起こる。

 朝、玄関を出て右に曲がったために、可愛いニャンコと巡り会う。

 些細な選択が結果を大きく変える。

 バタフライエフェクトを、一旦そういうものと考えてください。

 世界には様々な物事がお互いに関わり合って、予測不能な未来をもたらす。

 ですが、現実的に考えてください。

もし、あなたが、嫌いな食べ物に挑戦したら?

 10年ぶりにそれを食べたら、美味しいと思うかもしれません。

 やってみないとわからない。

 美味しかったら、それを今までより食べるようになる。

 食生活にそれなりに大きな変化が起きるでしょう。

 世界を自分の食生活まで狭くして、その変化を見れば、それは大きな変化。

 それは、近しい人、たとえば家族を驚かせるでしょう。

 仕事に絶望していたお父さんを救うかもしれない。

 何もしなければ、おそらくお父さんに希望をもたらさなかった。

何かをやれば、何かが変わるんです。

 引き寄せの法則、思考の現実化を実践するよりもっと具体的に世界を変えたいなら、行動を起こす。(※個人的に引き寄せの法則と思考の現実化はとても効果的と思ってます)

 念じることで目の前のケーキを二つにするより、ケーキ屋さんにいけばいい。

 祈ることは人の心を豊かにする。

 それはしばしば現実逃避と混同してしまう。

 だから、自分の信じる「良いこと」を、できる範囲で実行する。

 それは日々の心がけ(=祈ること)を形にすること。


 お勘定の時、数円のお釣りを募金する。

 ありがとうとごめんなさいをちゃんと伝える。

 やりたいこととやりたくないことを、正直にいう。

 受けた恩を少しでも返す。


 これが、具体的に世界を変える方法だと思うんです。

一番楽しい異文化の理解は一緒にご飯を食べること

“日本人“である前に、“あなた“には“名前“がある

 台湾クォーター日本人の友人と、アメリカに亡命した韓国人の両親を持つアメリカ人の友人。結婚しているその2人には子供がいる。さて、その子は何人か?

 外国の友人ができると、民族の概念が、このように崩壊します。

 考古学的に言えば、縄文人の遺伝子であるYAP遺伝子を何%持つと日本人か?天皇家は弥生人なら、古来からいた日本土着の民族と言えるのか?天皇家の能力は縄文人と違うのなら、何が日本人の能力なのか?YAP遺伝子を持っていると使える能力なら、それは弥生人の顔立ちをした日本人に遺伝子ない能力なのか?そもそも縄文人の不思議な能力は存在するのか?あるとして、それは私たちも日常的に使っているかもしれない。

 生物学的に言えば、別の遺伝子と交配しないと遺伝子は環境に適応しにくくなる。ヨーロッパの王家で近親婚が遺伝の際、環境不適合的なエラーを起こしていたが、天皇家は起こっていないのか?だとすれば、純潔の王族、皇族とは何か。

 一番手堅い“国民“の概念は“国籍‘’かもしれません。法の元、システマティックに国民が分類される。それさえも、在日日本人、二重国籍など、さまざまな物議を醸すシステムのようです。

 そもそも、自分が“日本人“である以前に、ちゃんと“名前“があること、忘れていませんか?

 ひとくくりに“日本人“”扱いされて、困ったことありませんか?

自分は自分

 そう思いませんか?

国民の概念は戦争のために作られた

 フランス革命の時に、“フランス国“、“国民“という概念ができたと聞きます。

 当時、傭兵ばかりで士気の低い軍隊ばかりだったヨーロッパにおいて、国民の概念は団結力を高め、兵力を鼓舞したそうです。

 市民による王政の打倒(現在僕の解釈とは違いますが)と言われたこの革命は、のちにナチスドイツの政治戦略にも応用されます。

「ドイツ人は世界一優秀な民族」

 そう訴え、ユダヤ人を迫害し、ドイツ人は団結しました。

 今、日本でも愛国者達は韓国人、中国人をはじめとした有色人種の外国人を排斥しようと躍起になっています。

少子高齢化の中、介護士を誰がするのか。

 一つあげただけでも、外国の方の力を借りなければいけない問題があるのに、日本社会に必要な方をわざわざ排斥している場合でしょうか。

 “日本人“の定義をちゃんと答えられる方が一体どれだけいるのでしょうか。

確実に衝突が起こる移民の受け入れが必要なら、その衝突に向き合えば良いんじゃない?

 一つ一つの衝突に、ちゃんと向き合い、法を整備する。

 日本語教育が日本での労働に必須なら、今年国家資格化された日本語教師やその従事者の皆さんが、その時丁寧に日本文化について伝えればいい。

 それが日本の治安の良さや優れたインフラの維持に必要であることを、親身になって伝えればいい。

 日本政府に、外国で犯罪を犯した人が逃げ込ために利用する人もいる抜け穴のような、今のシステムを改善するよう訴えればいい。

 日本人が外国のブローカーと手を組んで、主にベトナムの方から高額な保証金を受け取った後に、酷使して逃げ出させて保証金を巻き上げる。憧れた日本で働く夢を餌に、日本人と祖国のブローカーにだまされた外国の方が、日本で半グレになる。国連から奴隷制度と勧告が入り続けている技能実習生の問題をもっと注意すればいい。

 真面目に納税する外国人の方が報われる、法整備に努めるよう提言すればいい。

 日本が好きな世界中の人が、好きでいられるように。

それすら間に合わない今だから、みんなでご飯を食べましょう。

 中国は河南省の友人に誘われた心斎橋の火鍋で、華僑の親切に触れる。

 韓国のフライドチキンを食べながら、「こっちは歴史を無かったことにしてるっぽいけど、あんたらも歴史盛ってるっぽい。なんべんも謝らせるなぁ」と韓国人に軽口を叩く。

 カラオケボックスでたこ焼きを食べながら、イラン人のペルシャ語の歌に酔いしれる。

 フィリピン人のバロット(世界有数の悪趣味な料理:画像検索非推奨)写真テロにキレ散らかす。

 羊の脳みそフライを食べる友人にドン引きしながら、エジプト料理の名店主と談笑する。

 引越し先で見つけたジャマイカのジャークチキンを食べ比べる。

 美味しい料理の前に、ケンカをしている暇なんてありません。

世界には、争いを求める人もたくさんいる

 日本人でも、国を守るために戦いたい人がたくさんいる。

 殺し合いを望む人は、想像以上にたくさんいる。

 それでも、戦争を止めたいのなら…

とりあえず、一緒においしい物でも食べませんか?

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