天才と凡才【第四話】
【第1~3話までのストーリー】
【第四話】
生霊たちの呪い
唄子の体には、見知らぬ者たちの腕と、蛆虫が這いずり回っていた、あまりの気持ち悪さに、唄子はウッと吐き戻しそうになる。
やがて唄子の頬に、するすると女の手が伸びていく。その手は細くてしなやかで、どこか見覚えのあるものだった。
——この手、見覚えがある。……沙莉だ。でも、沙莉の手が、なぜここに?沙莉は、もしかして死んだの?
唄子は、太腿に 蠢く、無数の手に目をやる。どの手にも、見覚えがある。白くてゴツゴツした手は、スペインに滞在していた頃に付き合っていたリオンのもの。華奢な黒い手は、アメリカにいた頃に出会ったボブだ。
——他の手も、世界各地を飛び回っていた頃に、付き合ってきた男たちの手……。
「あなたの体の周りに犇く手は、これまであなたに幸せを邪魔された人間たちや、個人的な恨みを抱えている生霊です。
人間の呪いは、死んだ人から発せられるものばかりではありません。
実は、生きている人間から発せられる呪いが、1番恐ろしいのです。霊と違って、彼らは個人的かつ身勝手な思いや、恨みをぶつけてきますからね」
宙を 彷徨うペンダントは、重い口調でこう答えた。
顔全身を覆う無数の腕は、唄子の体を引っ張り、部屋の奥にある「薄暗い穴」へ引っ張り込もうとした。恐怖で、詩子は思わず「やめてぇぇぇ」と、泣き叫んだ。
すると、沙莉と思わしき人物の手が、反対方向へと唄子を引っ張ろうとする。
「えっ……どういうこと?」
唄子の背中から、沙莉の「お姉ちゃん、こっち」という声が聞こえる。ふと前に目をやると、それまで薄暗い穴だった部分が、鏡に変化していた。
その鏡には、沙莉の顔が映っていた。鏡に映る沙莉は、凛とした表情でこう答えた。
「お姉ちゃん、鏡には人の念を跳ね返す力があるの。鏡に向かって、これまで支えてきた人への感謝を感じてみて。そうすれば、お姉ちゃんは助かるから」
——どうして。私は、あなたに消えて欲しいと願い、呪ったのに。どうして、私を助けようとするの……。
唄子の気持ちを他所に、鏡に映った沙莉はさらに話を続けた。
「戸惑ってる暇はないよ。ほら、早く。お姉ちゃんは、世界で色んな人のお世話になったじゃない。
お母さんにも、ずっと愛されてきて、やりたいことは何でもさせてもらえた。
私はずっと、そんなあなたが羨ましかった。疎ましくて、お姉ちゃんの存在に蓋をしようとしていた。
でもね、最近気づいたの。あるペンダントに出会ってから、人にネガティヴな感情を持たないようにしたの。
すると、不思議と人を羨んだりしなくなったんだ。今の私も、もちろんお姉ちゃんをズルいと思うし、羨ましいとも思うよ。
でも、お姉ちゃんがいたお陰で、劣等感をパワーに変えることができたんじゃないかって。お姉ちゃんには、今感謝してるの。だから、どうか……戻ってきて!」
鏡に映る沙莉は、目にいっぱい涙を浮かべていた。
——沙莉は感情を表に出さないから、何をやっても動じないと思っていたけど。本当は、ずっとずっと。私のことで、我慢していたんだね。ごめんね、ずっと私は意地悪で……。
唄子は、ふと自分のことを振り返る。もしかしたら、自分は3歳の頃からペンダントの力に頼り、自分で何も選択してこなかったのではないか、と。
そして、自分の心が空虚だから、あのペンダントは世界のさまざまな国へ旅をさせて、色々な経験をさせたのではないだろうか。
同じペンダントを持つ妹は、世界を旅しなくても、自分以上に面白い作品が書けた。繊細な文章の中には、力強さや芯があり、それが多くの人の心を揺れ動かしてきた。
それは沙莉が、心の中でこれまでたくさんの葛藤をして、一生懸命生きてきたから。その文章が、多くの人の共感を誘い、ベストセラーに繋がったのだ。
「沙莉……。ごめんなさい。あなたの存在に、私はずっと支えられてきたわ。
なのに。私ときたら、自分の利益や立場を守りたいばかりに、あなたをずっと虐げてきた。
あなたは、私よりずっと豊かで、美しい女性よ。そんなあなたが妹で、本当に良かった……」
沙莉の言葉を聞いた瞬間、唄子は涙を流しながら、言葉を吐き出していた。
それから、数時間ほどだっただろうか。唄子は暗闇の中で、ぷかぷかと浮かんでいた。
最後の願い
唄子は、真っ暗闇のなかで、ふわふわと宙に浮かんでいた。頭上には、ミラーペンダントがふわふわと浮かんでいた。
「今度は、何か様ですか?」
そう伝えると、ミラーペンダントはこう答えた。
「あなたは、人生最大のピンチを回避しました。おめでとうございます。
そもそも、人生がうまく行ってる人でも、ずっとそれが続く訳ではありません。
奢る気持ちを持った瞬間から、幸せはするりとすり抜け、今度は大きなしっぺ返しがやってきます。
かの有名な著名人たちが、人生の途中で大きなトラブルに見舞われたり、第三者から悪意を持たれるのも、奢りや慢心が原因であることも少なくありません。
もちろん、彼らが善意で行動しても、人から悪意を持たれたり、予期せぬトラブルに見舞われることもあります。
それは、世の中には多くの人がいて、色々な思いや念を抱えているからです。
どんなに正しい行動を取っても、第三者の一方的な思い込みや呪いから、悪意を持たれることだってあります。
あなたは今、顔と名前の売れた作家です。悪意や悪い評価を、今後も受ける可能性があります。
よい作品を残したいなら、それらの経験をすべて糧にするのです。そうすれば、きっと妹の沙莉さんを超える作品が作れるはずです……」
ペンダントトップのミラーが、鈍い光を放った。もう、このペンダントに振り回されるのは真っ平だと思った。
「これから先、あなたの助けは不要です。今まで、あなたには大変お世話になりました。
でも、これからは自分の足で一歩ずつ進んでいきます。あなたとは、ここでお別れをしたいです」
そう伝えると、ペンダントは「承知しました」とだけ呟き、すっと姿を消した。
思い起こせば、唄子のこれまでは、ずっとあのペンダントに支配されていた。願いを持てば、簡単に何でも叶ってしまう。
そんなペンダントの魔力に魅せられ、唄子は次第にペンダントの指示に、すっかり頼るようになった。
気づけば唄子自身の思考力が衰え、ペンダントの指示がないと生きていけない体になっていたのである。
——今度こそは、自分の頭で考え、行動したい。誰か人を好きになり、恋をしたい。たとえ人生がうまく行かなくなったり、失敗してもいいから。そうやって、ひとつひとつ自分で一歩踏み出して、自分の人生を歩んでいきたい。
そう強く願った唄子が目を覚ますと、そこはあたり一面真っ白だった。私は、天国にたどり着いたのだろうか。それとも……。
隣に目をやると、妹の沙莉が座っていた。何が何だかわからず、唄子は辺り一面をキョロキョロと振り返る。
沙莉は、そんな私に「ここは病院だよ」とだけ答えた。沙莉は、落ち着いた表情で、黙々と不慣れな手つきで林檎を剥いている。
床にふと目をやると、茶色に変色した無数の林檎たちで溢れかえっていた。頂上に積み上げられた林檎がゴトリと音を立て、床にコロコロと転がる。
一瞬、その林檎が生首にも見え、あまりの気持ち悪さに、唄子は声を失った。
「ごめんなさい。お姉ちゃんがいつ起きるかわからなくて……。気がつけば、夢中で林檎を剥き続けていたの。
今は点滴打っているから大丈夫と思うけど、お腹空いてると思ったから」
沙莉はそう言って、口元を緩ませた。沙莉は、昔から好きなこととなると、夢中になりすぎてしまうところがある。
濱崎ユカの本にハマった時も、夢中で何度も同じ本を読み返して、全ページの内容やセリフを暗記していたほどだ。
勉強や他の本に関しては、さっぱりだったというのに。おそらく、林檎の皮剥きが楽しくなり、夢中になりすぎてしまったのだろう。やれやれと溜め息をつきながら、唄子はむくりと起きあがる。
「お姉ちゃん。目が覚めて、本当によかった。お姉ちゃんのために私、林檎を頑張って剥いたんだからね」
茶色に変色した林檎を沙莉から差し出され、唄子はゾッとした。沙莉の目は真剣だ。断ることもできず、唄子は林檎を口にする。
変色した林檎は、実に滑りとした食感で、美味しさなんて微塵も感じられない。沙莉はきらきらとした表情で、林檎を持つ私の顔をまじまじと見つめる。
唄子は仕方なく、それを飲み込むしか他なかった。半泣きになりながらも、唄子はすっかり腐りかけた林檎を、ごくりと飲み込んだ。
唄子と沙莉
唄子のいる場所は、総合病院のある一室だった。沙莉の話によると、どうやら自宅で1人倒れていたらしい。それから3ヶ月ほど、私はずっと意識不明の重体だったそうだ。
「沙莉、なぜここにいるの?」
「お姉ちゃん、部屋で1人倒れてたよ。だから、救急車を呼んだの」
沙莉は、淡々とした口調で答えた。
沙莉の話によると、唄子が倒れた時、携帯の画面がパカっと開いた状態だったらしい。
どうも、SNSで私が沙莉のことをエゴサしている画面で、そのまま止まっていたのだとか。エゴサしてたの、ばれたんだ。それを聞いて、唄子は慌てた。
「私も、お姉ちゃんが受賞した時ムカついたから、エゴサしたくなる気持ちわかるよ。あの時も私、SNSでお姉ちゃんの本の悪い評判、めちゃくちゃ探したよ。
でも、みんな美人って褒めてたよ。作品の感想は少なかったけど、笑顔が素敵だって。羨ましいと思って、私もエステ行こうとしたもん」
そう言って、沙莉は屈託なく笑った。
——エゴサのこと、怒ってないみたい。
唄子は、ほっとした。
「沙莉、笑えるじゃん。笑顔苦手っていったのに」と話すと、頬を赤らめて嬉しそうな沙莉。照れくさそうに笑う沙莉が、とっても可愛らしかった。
沙莉は控えめな性格だけど、健気で恥ずかしそうなところが可愛い。気が強くて嫉妬深い自分とは、違う魅力がある。
もしかすると私たち姉妹は、2人揃って一人前なのかもしれない。なのに、なぜ今まで私たちは、お互いを罵り合い、ライバル視してきたのだろう。
本当は、手と手を取り合えば、最高の相棒にだってなれるかもしれないのに。
「お姉ちゃん、今度共作しない?才能のあるお姉ちゃんのサポートがあれば、今度はもっといい作品が作れる気がするの……」
沙莉からの提案に、唄子はどきりとした。私の前にいる沙莉は、もしかすると読者より良い評価を受けたことで、仕事に自信がついたのかもしれない。
「沙莉変わったね。笑顔も明るくなった。お姉ちゃんとして、とっても嬉しいよ」
「ありがとう、お姉ちゃんに褒めてもらえて嬉しいよ。お姉ちゃんと共作したら、今度は直木賞も狙えるんじゃないかな」
「直木賞……。いいね。今度、一緒に狙おう」
「うん」
そう言って、沙莉は唄子の手を、ギュッと握った。
「お姉ちゃん、目を覚ましてくれて本当に良かった。本当に、一時はどうなるかと思ったんだから……。お姉ちゃんは私にとって、大切な存在だから。死なないでね。絶対だよ」
そういって、沙莉は私と指切げんまんをする。この年で、妹と指切げんまん、か。妙に照れくさくて、唄子は顔を赤らめた。
沙莉の胸には、歪な光を放つミラー状のペンダントが、鈍い光を放っていた。
【終わり】
ご愛読、ありがとうございました!
【第一話~第三話リンク】
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