すべてを失って気づいた、幸せに生きるために大切なこと
人生の節目を迎えているような気がするので、久しぶりに想いを綴ってみよう。2022年を振り返ると、息をつく間もないくらい怒涛の一年だった。でも、自分にとってどれも必要な時間だった。
たくさんの素敵な出会いも、心が震えるくらいの感動も、思わず泣けてくるような喜びも、胸が張り裂けそうな辛いことも、たくさんの喜怒哀楽を経験した時間だった。
闇があるから光がある。起きること全てに意味がある。そんなこと分かっていても、大変なときはそうは思えないときもある。これから自分らしい道を生きていくのかな?また分からなくなるときがあるかもしれない。
でも、分からなくなるときがあってもいい。どんな時もこの想いだけは大切に生きていきたい。いつもこの言葉に立ち帰れる自分でありたい。
「人生の幸せは、どれだけ自分と人に愛を持って生きれたかだよ✨」
人と深い関係を築くことが怖かった
実は私、びっくりされるかもしれないけど、人と深く関わることが苦手でした。人が大好きで、誰とでも仲良くなれると思われるけど「これ以上は入ってこないでください、私も入りませんので」っていう境界線がある人間だった。
人のことは大好きなのに、深く人に興味が持てない。そんな自分に違和感というか、ギャップというか、自分の二面性にどっちが本当の自分!?と疑問を持ちながら生きていた。
そんな自分と向き合い続ける中で気づいたことは、お父さんが亡くなったときの"痛み" が想像以上に強かったということ。それは、お父さんが亡くなったという「事実」よりも、自分が信じていた「つながり」が途絶えたことだった。
私の家族は本当に仲良しで、連休の度に親族が家に大集合していた。普通の一軒家に布団を敷いて20人が雑魚寝で泊まる。そんなカオスだけど最高に仲が良い大好きな家族だった。いつも旅行にいくと「田中家御一行様」と看板に書かれていたのが懐かしい。
しかし、お父さんが亡くなったことをきっかけに、色々なものが崩れていった。それを見て、信じていた「つながり」が怖くなった自分がいた。(ここには書けないことも多いんだけど) きっと、本当に家族のことが大好きで大切で愛していたから、すごくきつかったんだと思う。
当たり前にあった "幸せ・つながり" が途絶えたことで、いつしか信じること、愛することが怖くなってしまった、苦手になってしまった。人はいつかいなくなる、離れていく。だから、目に見えない幸せを追い求めるのはやめよう。そんなことよりも、確かに形があるもの、目に見える幸せを追い求めて生きていこう。
そう思った私は、幸せのために「自立」を追い求めて生きていくようになった。当時の私が思っていた自立は "一人で生きていくこと" だった。今思うと「寂しかったんだよね」と当時の自分に声をかけてあげたいけど、当時はそう思わないと自分を保てなかったんだと思う。そして、私は人から"評価される人間になろう"と、成績・実績・代表、形がある幸せと思っているもののために頑張るようになった。
自立を追い求めた先にあった孤立
大学で良い成績をとって表彰される。代表を務めることでみんなから認められる。大きな会社に入ることで世の中から評価される。そんな日々を繰り返していく中で、どこか心に違和感を感じながら走っていた。
しかし、目標をクリアしても、喜びや満足感をえられるのはほんの一瞬で、終わりのないレースを走り続けているような感覚だった。自分が追い求めていた「幸せの形」を得ているはずなのに、心はすっかり置いてきぼりだった。
当時は、頑張った先に幸せが待っていると思ってた。幸せになれていないのは、自分の努力不足だと思ってた。でも、それが違ったことに気づいたのは、すべてをリセットしたときだった…。
29歳の時、頑張っても頑張っても幸せになれていない自分に限界を感じて、退職・離婚・上京。すごい三拍子。しかもコロナが世界中で大流行し始めたタイミング。最終出社日は緊急事態宣言下でオフィスに人がいなかった。
今振り返っても思うけど、こんなタイミングで崖から飛び降りるような選択をする人はなかなかいないだろう。でも、それくらい自分の中で、人生の正解も、幸せの形も分からなかったんだよね。
これまでに努力して積み上げてきたことを手放すことはすごく怖かった。手放すと決めることは、頑張ってきた自分を否定することになると思ったから。でも、もう限界だったんだよね。
お母さんに電話して「ごめん、会社も辞めて離婚もすることになった・・・」そんな報告をする自分が情けなくて、応援してくれていたのに自慢の娘でいれなくなる自分が申し訳なくて、ずっと涙が止まらなかった。お父さんが亡くなってすぐ、リクルートスーツを着て働きに出てくれていたお母さん。お風呂場でいつも私たちに気づかれないように泣いていたお母さんのために、せめて「自慢の娘」でい続けたかった。
ゼロになって何もなくなった時、隣にいてくれたのは、家族だった。お母さんがかけてくれた言葉は「いてくれるだけでいいんだよ、生まれてきてくれてありがとう」だった。その瞬間、涙が止まらなかった。
きっと私は、自分が頑張ることで人から認めてもらえる、お母さんの自慢の娘でいれるって思ってたんだろう。大好きな両親の自慢の娘でいたかったんだと思う。だから頑張れない自分は、諦めてしまった自分は、無価値だと思っていた。でも、そんなことなかった。そこにいるだけで、それだけでも、良かったんだ。これまでに抱えてきたものがスッと軽くなった瞬間だった。改めて家族の「愛」を感じた。
このとき気づけたことは、自分を犠牲にする努力、心をすり減らす努力の先に、長続きする幸せはないと言うこと。そして、追い求めていた幸せは、実はすごく近くにあった。目には見えないけど確かにそこにある「つながり」こそ幸せだと気づくことができた。
本当は人を信じたかった、愛したかった
そして、ちょっとずつ、自分を取り戻していく。
小さいころの写真を見ると、どの写真もたくさんの人に囲まれて、手を叩いて笑顔で笑っている自分がいた。きっと本当の私は、人が大好きで、みんなのことが大切で、どんな時も目の前の人のことを全力で信じたかった。
でも、それができなくなったのは、心から信じたものが「なくなる」ことが怖かったんだと思う。そして、そんな自分の心の声に蓋をして気づかないように生きていた。その方が楽だと思っていたから。
そんな孤立の道を突き進もうとしながら、私には「チームで動きたい」という謎の願望があった。きっと、どこかで本当の自分に戻りたい気持ちと、人を信じてみんなで遠くへ行きたい気持ちが強かったんだと思う。
当時の私の大好きな言葉は「早く行きたければ、ひとりでいけ。遠くへ行きたければ、みんなでいけ」この言葉からも分かるように、本当はみんなで手を取り合って生きていきたかったんだろうな。でもすごく、怖かったんだろうな。
そんな私に変わるきっかけをくれたのは、共同創業者の桜ちゃんの一言だった。「人を信じる、愛するって幸せなことだよ」その言葉が、自分の中で心に残った。きっと私は、本当は人を信じたかった、愛したかった。でも、そこに一歩踏み入れることが怖かったんだろうな。今は桜ちゃんとお互い別々の道を歩くことになったけど、心の底から感謝をしている✨
そして、今回のTEDxNagoyaU登壇にあたって、数ヶ月間めちゃくちゃ自分と向き合った。見ないようにしてきた過去と向き合うことは正直キツい時もあった。でも、徐々に見えてくる自分の輪郭、隠してきた本当の想い、大切にしてきたこと。そんな想いを落ち着いて言葉にすることができたのは、31歳の誕生日だった。
愛あるつながりで 愛あるつながりをつくる
今年の誕生日に創った自分理念。心にある想いを加来さんに語る中で、出てきたキーワードは「愛」と「つながり」だった。
これまで私は「愛」という言葉がすごく苦手だった。なんかむずがゆいというか、うさんくさいというか、とにかく苦手だった。私の中では「愛」と「自立」が対極にあるように感じていたのかもしれない。「愛」=「依存」と勘違いしていたのかもしれない。でも、そんな自分から「愛」というキーワードが出てきたとき、なんでだろうな、すごく嬉しかった。
本当は、みんなのことが大好きで、みんなのことを信じたくて、みんなのことを愛して生きていきたかったんだ。本当は深いところで人と繋がりたかったんだ。昔の写真のように、素直な心と屈託のない笑顔で人と接したかったんだ。
加来さんが綴ってくれた自分理念「愛あるつながりで 愛あるつながりをつくる」これをみたとき「ああ、わたし、戻ってきたんだ」そんな言葉が思わずこぼれた。成長した訳でも、変わった訳でも、進化した訳でもなくて、"本当の自分" に帰ってきた、そんな感覚。そして、そのことが涙が出るくらい嬉しかった。
めちゃくちゃ遠回りして、自立の意味を勘違いして、色々なものを失って、人を傷つけてしまったこともあった。でも、そんな全ての道があったから、本当の幸せに気づくことができた。
そんな私が思う人生の幸せは、自分に愛を持って生きること。そして、自分と同じくらい、人にも愛を持って生きること。
自分のことを大切に、自分に愛ある選択をできる「愛ある自立」と、お互いの人生を尊重して、人にも愛ある選択をする「愛あるつながり」がすごく大切なんだと
気づけた瞬間だった。
おかえり、わたし
そんな私にかけてあげたい言葉は、おかえりー!!!
そして、ただいまーーーー!!!!!!!!
遠回りしまくって、ようやく自分にもどることができたのだ。生きていると、自分を大きく見せようとしたり、誰かに好かれようとしたり、世の中から認められたくなったり、誰かと比較して自分なんてと落ち込んだり、自分でいることが難しいことがたくさんある。これはきっと、私だけじゃないと思う。
でも、本当は生きているだけでみんな価値があって、無駄な人なんて一人もいない。大好きな人が今日を生きてくれている、それはすごく幸せなこと。そして、誰かにとっても、あなたが今日を生きてくれていることは、何にも変えられない幸せなんだ。
この長い長ーーーいnoteで私が伝えたいことは、過去の私のように、自分のことも人のことも大切にすることができない人が、楽しく幸せな人生を生きる小さなヒントになったら嬉しいなということ。
世間体、世の中の正解、常識、ルールに縛られて「しなくちゃ」で人生を生きるんじゃなくて、自分の好き、ワクワク、情熱に素直に「したい」を大切に、小さな選択を積み重ねる。自分にしか歩けない自分の人生を最大限に楽しむ。そのために生きているんだから。
そして、人は一人では生きれない。幸せになれない。これは自分が一人で生きていくと「自立」を追い求めて「孤立」したときに気づいたこと。辛かった、寂しかった、ひとりぼっちだった。そこで気づいた幸せに生きるために大切なことは「愛あるつながり」だった。目に見える幸せの形を追い求めて、最後に気づいたことは目に見えないけど確かにそこにある "つながり" こそ、幸せだったということ。
人生の幸せは
「自分と人にどれだけ愛を持って生きれたか」
そのために
「自分に愛ある選択を、人にも愛ある選択を」
幸せはつながりから生まれる
2022年7月3日、夢のTEDxNagoyaUに登壇しました!
たくさんの仲間が応援に駆けつけてくれた。この日はいつも以上に、みんなの愛を強く暖かく優しく大きく感じた。それはきっと、これまで自分の中でどこか作り上げていた壁がなくなっていたからだと思う。写真の中の私は、心からの笑顔で昔の写真みたいに笑っていた。こんなにみんなから愛をもらって大丈夫かな、わたしぜんぜん返せてないよ〜って思うくらい、たくさんの愛をみんなからもらった一日だった。幸せはつながりから生まれる。広がる。
ちょっと前に見た映画、Into the wildの中にあったセリフ。
まさにこれを感じた時間だった。人は一人では幸せになれない。つながりがあるから、幸せを分かち合うことができる、幸せを感じることができる。TEDxNagoyaUで私が伝えたかったメッセージは、誰かに届けたいメッセージであり、新しい自分を生きる覚悟でもあったんだと思う。これからは、自分のことも、目の前の人のことも心の底から愛して生きていけそうな気がするよ!そんな気持ちになれたのは、出会ってくれたみなさんのおかげです。みんな、心からありがとう!!!!!
Special Thanks ❤︎
今回登壇するにあたって、本当にたくさんの人にサポートしてもらいました。一人では到底できない挑戦だったので、この場でありがとうを伝えさせてください!!!
なんかすごい長くなっちゃった!!!
愛あるつながりで 愛あるつながりをつくる
みんなのことが、大好きです。
美玖
いつも応援してくださりありがとうございます☺️🌼 🍀これからもみなさんの健康と幸せを大切に🍀 サポートしていただけるととっても嬉しいです✨