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天使の使命

詩篇 34:7 2024 05 01 (水)
主の使いは 主を恐れる者の周りに陣を張り、彼らを助け出される。

ふつう天使というとどのようなイメージが湧くでしょうか。羽の生えた赤ちゃん、羽の生えた若い女性、羽の生えたサイボーグなどなど。私も見たことはないのでこうだとは言えませんが、聖書の記述を見る限り、羽の生えている天使はごくわずかで、それも神さまのいちばん近くで賛美している最高位の天使たちだけのようです。ほかの天使たちに共通して言えることは、羽はなく、白い衣を着た、大柄で、屈強の男性的外見です (ちなみに天使に性別はありません)。聖書の中で天使を見た人々はほとんど神的な畏れを感じてひれ伏しています。これはイスラエル人が天的なものを見たら死ぬと考えていたからです。

けれども天使が信仰者に害を与えるために現れたことは一度もありません。反対に確かにあなたを守っているよと教えるために現れています。極めて稀なことなので、現代にも現れると期待しないほうがいいでしょう。

たとえばアブラハムの孫のヤコブは、恨みを買っていた兄エサウと20年ぶりに再会しなければならなくなった時、恐怖で歯をガチガチさせていました。そこに天使の二個師団が現れ、あなたには我々がついているから大丈夫だと励ましました。ヤコブはこれに勇気を得てエサウとの再会を乗り切りました。他にも数え上げればいくつか挙げられますが、天使は基本的に信仰者を物理的に守ってくれているようです (霊的な助けは聖霊から来ます)。

たとえばトラベラーズエンジェルです。クリスチャンは旅の全行程に天使の守りを期待することができます。旅先というのは思いがけないアクシデントが起きるものです。そのとき有形無形の助けを受けられます。たとえば人間を通してタイムリーに親切な行為を受けることがあります。天使が人に化けるわけではありませんが、人が天使の役を果たすことはあります。はんたいにあなたがタイムリーに人を助けられたら、あなたはその人にとって天使だと言えないでしょうか。つまり私たちも比喩的な意味で天使になれるのです。

また私たちの不注意やヘマを最小限で済むように守っている可能性があります。クリスチャンといえども生身の人間ですから、数々の失敗からは免れません。けれども物理的な失敗には天使が介入し、クッションとなってほんらい受けるはずの損害の十分の一で済んでいるかもしれないのです。

自動車事故でクラッシュしたのに無傷だった人がいます。なぜかというと潰れるにあたって、その人の体とそっくりの空洞ができて潰れたというのです。とても偶然で説明できる話ではありません。それなら十分のゼロにしてくれればいいのに、事故や怪我からいっさい免れさせてくれればいいのにと思いたくなります。しかしそれだと自然の法則が歪められ、人間は不注意になって失敗から何も学べなくなってしまいます。それはそれで損害です。

ですから危険を感じる時は神さまに「天使を遣わしてください」と祈って良いのです。秒速でやってきます。ただし神ではないので、「天使さま」と祈ってはいけません。神の主権を犯すことですから、天使も大迷惑です。だからといって何でもかんでも天使の守りだと言うつもりはありませんが、天使の守りのあることは疑いません。そのように受け取れば、神さまの憐れみをより深く感じられるというものではないでしょうか。それで損することは何もありませんから。

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