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青天白日の心

ヨハネの第一の手紙‬ ‭1‬:‭9   2024 04 29 (月)‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

自分が罪を犯した時にかける緊急電話は、" ヨハネの119番 " と覚えると良いと言われたことがあります (第1ヨハネ1章9節)。これは救われるための告白ではなく、救われた人の日々の告白です。誰かの前に告白しなければならないのではなく、独りでいるときに告白すれば良いのです。罪と赦しはワンセットです。日々罪を犯すから、主の祈りで「我らの罪をも赦し給え」と毎日祈るように言われているのでしょう。日毎の糧が必要なように、日毎の赦しが必要なのです。

ところがそれと相反するようなみことばがあります。「神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。」(ヨハネの手紙 第一 3:9)。罪を犯すことができない?これは罪を犯すことが不可能になると言っているのではなく、たとえば大事な人を悲しませることは愛の故に「できない」したくないという意味です。同じように聖霊を悲しませることは「できない」したくないという意味です。

罪を犯すことはできないと気をつけていても、無意識のうちに犯している罪には気づきようがありません。その気づかない罪は溜まって行くいっぽうなのでしょうか。私たちが気づいた罪を一つ悔い改めたとき、気づかない罪もまとめて赦し、何もなかったものにし、罪の在庫を一掃するのです。キリストの血潮によって悔い改めるたびに雪よりも白くされ続けます。いつでも青天白日な心でいられるのです。

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