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来世を望む生活

ダニエル書 12:3    2027 04 26 (金)
賢明な者たちは大空の輝きのように輝き、多くの者を義に導いた者は、世々限りなく、星のようになる。

もし人生に意味のあることを確認する方法があるとすれば、知りたいとは思わないでしょうか。その強力な方法の一つは来世のあることを信じることです。カール・マルクスは " 宗教はアヘンである、現実逃避である" と言って、来世を否定し、現世でこそ共産主義が理想郷を実現できるはずだと主張しました。

確かに来世ばかりを強調し、現世での使命を鈍らせるなら有害でしょう。しかし聖書は来世を信じるからこそ現世で神の栄光を現そうという動機が強まり、結果として自分の人生も社会も理想郷に近づかせられるのだと言っています。

もし自分の命が現世限りと思うなら、自己実現が関の山かもしれません。しかし来世がほんとうに存在し、そこに入る資格はキリストを信じるだけでよく、現世での愛の行いにはもれなく報酬が伴うことが信じられたら、神を愛すること、隣り人を愛することへと私たちを促さないでしょうか。つまり今日の愛の行いが、天に移されたのち「キリストの裁き (吟味) の座」で表彰されると聖書は言っています。そして「世々限りなく、星のようになる。」のです。

もしこの世だけの人生と割り切ったら、内村鑑三の言う「勇ましく高尚な生涯」は望むべくもないでしょう。せいぜい「今だけ、金だけ、自分だけ」という価値観で一生を終えるかもしれません。しかし聖書は来世を約束しています。そしてそれは永遠に続きます。それに比べたら人間の一生は一寸の光陰に過ぎません。どちらに人生を賭けるべきがおのずから答えは出るでしょう。

数学者であり化学者であったパスカルは " 来世があると信じて来世 (天国) がなかったとしても何の損害も受けない。しかし来世はないと信じて来世 (地獄) があったら取り返しがつかない。だからあると信じるほうに賭けるのが賢い " と計算しています。このように来世の報酬を求める生活こそ、現世において満足と喜びがあります。人生の意味は、この世が全てと思っているうちははっきり見えません。しかし現世の生き方が来世に良い影響を及ぼすと信じれば、今の苦労も無駄ではないと思えてくるのではないでしょうか。

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