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成熟への努力

ミカ書‬ ‭7:18‬ 2024 04 12 (金)‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
あなたのような神が、ほかにいるでしょうか。 あなたはご自分の民の中で生き残った者の 罪を赦してくださいます。 あわれみを好み、 ご自分のためをいつまでも怒ってはおられません。

私たちの生活と人生には罪の問題が付いて回ります。罪の性質(原罪)は人間の人格に深く浸透しているので、クリスチャンになっても拭い去られることはありません。みことばに反した思いや言葉や行いをすると、霊に痛みを覚えます。それは多くの場合、聖霊が悲しんでおられる証拠です。ですから痛みを覚えるのは、聖霊がその罪から離れるように促しておられるためです。しかしいくら離れるように努力していても、完全に離れることはできず、再び犯す可能性は0にはなりません。ですから 「自分はこの罪と決別した。だからもう犯すことはなくなった」 という境地まで聖霊は保証していないのです。こうして私たちは自分の弱さと一生付き合ってゆくことになります。

そこから解放されるのは、天に移され、栄光のからだに変えられてからです。それまでは何度同じ罪を重ねても、主は何度でも赦してくださいますが、その弱点において父なる神は私たちに大人になってほしいと願っておられます。親は幼いわが子の可愛さがいつまでも続いて欲しいと思いますが、ほんとうに成長しなかったらたいへんです。親の願いはわが子が全人的に成長することでしょう。ある人が言いました。「神さまは私たちをあるがままで愛しておられますが、そのままでいることを放っておけないほど愛しておられるのです。」 と。愛してやまない父なる神さまを悲しませたくないという動機こそ、私たちを弱点の克服へと駆り立てるのではないでしょうか。

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