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神さまは味方

ローマ8:31 2024 04 24 (水)
では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

何があってもあなたの味方になってくれる人を持っているでしょうか。もし一人でもいたら、巨万の富を持つことよりも幸せです。人間は不実で変わりやすいものですが、それはお互い様で完全ではありません。それでも「私はいつでもあなたの味方です」「おれはお前の味方なんだよ」という態度を貫くのは尊いことです。聖書は言います。「どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。」(伝道者の書 4:10)。困った時に遠慮なく頼れる友だちをふだんからつくっておきましょう。浅い付き合いの友だちが多くても助けにはなりません。ほんとうに困った時のホットラインを持っておくのです。自分も困っている友だちのためにいつでも立ち上がる姿勢を持ちたいと思います。自立した大人どうしが相互依存する関係です。

また、聖書は神さまが私たちの味方であると言っています。神さまは見えないので人間の友のように実感できません。しかし神さまは気が変わることはなく、一度決めたことは不利になっても変えません。親が亡くなっても親子である関係はそのままです。生前仲が悪くても相続は粛々と実行されます。まして神さまとの親子関係は一生、そして永遠に有効です。私たちがキリストを受け入れた瞬間から、常に味方であり続ける永遠の友となられました。「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(テモテへの手紙 第二 2:13)。人間は旗色が悪くなると敵に寝返ったりします。昨日の敵は今日の友というわけです。しかしイエスさまは違います。「真実」とは変わらないという意味ですから「昨日の神は今日の神」です。

また、私たちが罪を犯しても、間違いをしても、ヘマをやらかしても、神さまはそれで愛想をつかしたり、ダメ出しをしたりなさいません。私たちをキリストの花嫁として完成させるために、何度でもチャンスをくださいます。キリストが復活なさったことは、人生を何度でもやり直せるというメッセージでもあります。取り返しのつかないことをしてしまった、人間関係を損なってしまった、重い病にかかった、経済的にピンチとなった、仕事を失った、受験に失敗したと、逆境のない人生はありません。しかし神の子には神さまが味方です。どんな人生を送ろうとも最後に笑うのはクリスチャンです。失望はあっても絶望はありません。ノックダウンしてもノックアウトしません。絶対変わらないお方に下駄を預けてゆきましょう。

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