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空気を柔らかくする行動(60代の気づき#10)

週一回、高速バスを利用している。
いつも途中の停留所から乗るので、乗り込むと空いている座席を探す。
乗客の中には、通路側に座って、窓側に自分の荷物を置いている人もいる。
隣には絶対に誰にも座ってほしくない、という雰囲気がよくわかる。
そこまで明確でなくても、隣に座られたくないって思っている人はなんとなくわかる。
狭い座席、隣が空いている方が気楽な気持ちはわかる。


最近の高速バスはいつも混んでいる。
できるだけ「座ってもいいですよ」という雰囲気の席を選びたいが、そういう席が空いていないこともある。
「お隣に座ってもいいですか」と声をかけても、声を出して答えてくれる人はほぼいない。
「嫌だけれどしょうがない」という感じで、目は合わせず首をちょっと動かすだけ、という人がほとんど。
「ありがとうございます」と言って、隣の席に座るが、なんとなく肩身が狭い。


でも、今日は、ちょっと違うことを試してみた。
それは、この間からこの本を読み始めたから。

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ユーモアの科学とメカニズムを理解し、ユーモアを用いることで、世の中に対する見方を変えることができる、というテーマの本。
「はじめに」のところに書かれていたのは、短気で無愛想な店員を、たった一言ユーモアを含んだ言葉がけをしたことで笑顔にした話。


今朝もバスに乗り込むと、案の定ほとんど席は空いていなかった。
空いていた席の隣に座っていた男性に「お隣に座ってもいいですか」いつものように声をかける。
今日は、その人の顔を見て、笑顔で言ってみた。
そして、終点で降りるときに「ありがとうございました」と目を合わせて挨拶をしてみた。
男性の表情が、少しだけ緩んだ、ような気がした。小さなコミュニケーションをしてみることで、窮屈な時間が少しでもゆるんでいければいいな、と思う。


以前は、人はもっと声を掛け合っていた。
いつの頃からか、歩いていて人とぶつかっても一言も声を出さない人が増えた。 
それは、コロナよりずっと前のこと。
みんなの歩く速度が速くなり、無表情な人が増えた。
でも、今日こうしてちょっとアクションしてみたら、殺伐としていたバスの中でも少しだけ空気が柔らかくなった気がした。

日本にある「言わなくてもわかる」文化、私は好きじゃない。
「言わなくてもわかる」は「わかっているはず」という意識を生み、「わからない人はダメ」という無言の同調圧力を生む。
なんらかの表現をして伝えるからこそ、分かり合える。

小さなことだけれど、なりたい姿に向けて、行動をしてみる。
何よりも、自分が人との距離を、少し縮められたように感じられた。








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