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言葉の重さを感じた話

友人の知り合いで初めてお会いした女性から、作りかけの刺繍を見せてもらう機会がありました。
結構な大きさの刺繍でハワイの風景を描いたもの。
海外の手作りキットで、簡単に刺繍が楽しめるものがあるそうです。
刺繍のような細かい作業をしない私からしたらすごいことなので、そのことを伝えたら、彼女から返ってきたのは「暇だからやっているの」という言葉。


「暇だから」という言葉が帰った後にもずっと頭の中に残りました。
数日経ってももやもやが消えません。
「好きだから」やっているのではなくて「暇だからやっている」という言葉が出たことに、疑問が湧きました。
続けているのだから、そうしたいという意欲があって行動を生んでいるはず。
なのに、消極的な表現。
自分の今の生活をいいと思っていないから、そういう言葉になったのかな。
刺繍をしている自分は大したことがない、と思っているのでしょうか。


もしかしたらその人は、ただの謙遜で言ったのかもしれません。
私が謙遜の言葉を最近聞くことが少なかったので、違和感を感じたのかもしれません。
そうだとしたら、謙遜の文化は今の時代に合わなくなっているように思いました。
というのは、その話をされて、私にはその人が楽しそうに暮らしていないように見えてしまったのです。
消極的な言葉を聞いて、聞いた自分もその言葉の持つ意味に引っ張られるような気がして、もやもやしたのだとわかりました。
言葉ってこわいですね。


そう考えたら、前向きな、明るい言葉を自分や周りにかけ続けることって、それだけでしあわせに暮らせる効果があるのですね。
もちろん思ってもいないことは言葉に出せないから、前向きな、明るいことに目を向けることから始めていく。
そう思い始めたら、もやもやした気持ちはなくなりました。
どんなことをするのでも、好きだから、やってみたいから、という気持ちを持ちながら、楽しみながら取り組む自分でいたいです。


















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