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11歳の息子と、サンライズ出雲に乗車することができて良い思い出になった話

先日、11歳の息子と、寝台列車「サンライズ出雲」に乗りました。とても良い思い出になったので、行くことを決めてチケットを取り、乗車してどうだったかをこのnoteで書いていきます。


SuicaペンギンのTシャツを着て浮かれる11歳

寝台列車が無くなる前に乗ってみたい

息子は幼い頃から乗り物にずっと関心があるので、何年か前から、いつか乗りたいね、と話していた。じっさい、夜行の寝台列車は数が減ってきているらしく、うかうかしていられないね、と話すことがよくあった。

とはいえ、家族みんなそれなりに予定があるし、夜行列車に乗りたい、と誰かが軽く主張することはあったとしても、最近どこそこに遠出したばかりから、また今度でもいいんじゃない?などと有耶無耶にされる、をここ数年は繰り返していた。


そんなある日、JRの予約ができるページで、寝台列車サンライズの予約状況を見てみるときがあった。噂にきいていたとおり、目に付く日をざっと検索してみたら、1席も空いていなかった。今年の3月くらいのことだったと思う。

我が家は夫婦ともに実家が愛知にあるので、東海道新幹線に乗る機会はけっこう多い。だから、盆暮れなど繁忙期のチケット予約にはそれなりの緊張感で臨むべきだ、という感覚は身体に入っている。売り切れちゃうので。

だけど、サンライズのチケットについては、年末年始の東京-名古屋間の切符だってこんなヤバくないよな、と思うチケットのなさだった。日を変えて、調べても調べてもバツのマークしか出てこないのだ。

それもそのはずで、まず、サンライズは一日一便なのだ。上りと下りで1便ずつ、行き先の出雲や高松へ観光したい方がそもそも多い上に、全国の寝台列車ファンが虎視眈々とねらっているわけだから、一筋縄ではいくはずがない。

緊張感みなぎるチケット確保

いっぱいネット検索をして、我が家は「10時打ち」を試みることにした。きっぷの発売開始が朝10時からなので、その時間にJRみどりの窓口へ実際におもむき、駅員さんに切符をとってもらうやり方だ。


その日の仕事の都合を調整した結果、妻が窓口へ向かうことになった。チケットは親子で1枚ずつ。寝台列車の行き先は出雲に決めた。列車に乗らない1名は空路で現地へ向かい、1泊して翌日の飛行機にみんなで乗って帰ってくる流れだ。

とはいえ、われわれも新幹線をスマホで取れるラクさを享受するあまり「10時打ち」のフォーマルさがどんなものなのか、感覚としてわからないのであった。ネットを調べると、マナーについて先達が示しているものがたくさんある。

たとえば、駅員さんにやんわりとでも断られたり、前後のお客さんが急ぎの方だったりしたら、無理せずに、可能な範囲でリトライしようか、などと事前の作戦会議では話していた。

(妻が)最寄りのJRの窓口へ、9:30に到着し、そこから駅員さんに、サンライズの10時打ちをしていただきたいんですが・・という旨をおそるおそる、しかしはっきりと意図を伝えたら「この用紙に記入して、これくらいの時間になったら列に並んで下さい」と丁寧に指示をされたそうだ。

その際、確認をされたらいつでも示せるよう、乗車駅と降車駅、何時発で何時着、この種類のシートを大人と小人で1枚ずつ、というのはメモにして持っていっていたので、それを元に駅の用紙に記入。

指定の時間になったので列に並ぶ。なんやかんやあり、幸いにも前後のお客さんが途切れたタイミングで、首尾よく流れるようなスムーズさで駅員さんがチケットを取ってくれたそうだ。

妻からの喜びの声が「家族Slack」に届くやいなや、10:01の時点で、僕が自宅からネットでサンライズのチケット残席を検索したところ、ほしいチケットは1枚も残っていなかった。おそろしい。

みんな本当にどうやってチケット取ってるの。昭和のプレイガイドだってこんなに激しいものではなかったのではないだろうか。

学校から帰ってきた息子に、このことを伝えると、まあまあ喜んでいた。このときは、親側のほうがテンションが高く、難攻不落と思われるミッションを完遂した喜びが勝っていたような気がする。

当日は、乗車までにお風呂にはいっておくようにした

これが旅の1ヶ月前に起きたこと。あっという間に時が過ぎ、乗車当日を迎えた。

私達のとった切符は東京駅を21:50に発ち、出雲市駅に翌日の朝10時につくというものだった。部屋はシングルツイン。二段の簡易ベッドで2名が宿泊できるようになっている。

どうやら寝台列車には「シャワー室」というものがついていて、乗り物系YouTuberがレポートしていたりしてのを息子も見ていて、憧れはあったらしい。しかしなんせこのシャワー室が人気らしく、乗車してすぐに買わないと売り切れ必死らしい。

しかし、これについては話し合いの結果、「出張で忙しいビジネス利用の人に使ってもらうほうがいいよね」ということで、スケジュールに余裕のあるわれわれは、家で風呂に入ってから東京駅に向かう、ということになった。

当日、チケットがプラチナ過ぎる重圧から、千葉県の自宅を早めに出た。そのせいで、かなり早めに東京駅についてしまったわれわれだが、家族で日本橋の「ますたに」ラーメンを食べたりして時間を調整した。ますたにはいつ食べても美味しい。ライスの炊き具合が今日もよかった。


東京駅は仕事のときにもよく利用しているが、自分はあまり使わない9番線のホームにサンライズがやってきた。というか、ホームに出たら停車していた。

これまでも稀に姿を見かけることはあった。だいたいは、平日の夜で仕事にくたびれた状態で、隣のホームから羨望のまなざしでちょっと眺めるくらいのものだった。

11歳とふたりで、シングルツインの部屋を分ける

サンライズに乗車するのは僕と息子で、妻は翌朝の飛行機で羽田から出雲に飛ぶことになっていて、妻は見送りにきてくれて、帰っていった。寝台列車よりも、自宅でひと晩宿泊したあとの、飛行機のほうが圧倒的に早く目的地へ着くのがなんだかおかしい。

乗り込んで、窓ごしに妻を見送った。ここから12時間、列車の中で過ごすことになる。

さっそく設備を物色し始めた11歳は、二段ベッドの上にするか下にするか迷って、下を取っていた。上だと寝返りして落ちるかもしれないので嫌だそうだ。

「でもやっぱり上もいいな〜」

わりに感情を隠さずに出すほうの子だと思っているが、小学6年生にもなって、ちょっとずつではあるが大人びて来ていたのかもしれない。でもこの日は、ぱーん!と喜びを爆発させていたのが、手に取るように伝わってくる喜びようだった。

終始、にっこにこの表情で、まだこんな顔するんだなあ、と思いながら何枚か写真を撮った。とはいえもう22時を過ぎていて、早々に歯磨きをし、寝る支度をすることになった。

寝ても覚めても走り続ける列車

僕の感想としても、すごくわくわくした。寝台列車に乗ったことは、人生で一度もなかった。夜行列車の経験は数度だけあるが、寝台で横たわるのが初めてで面白かった。

つまり「寝ながら走ってる」のが経験になさすぎて面白いと感じていたのだった。「寝間着に着替えた状態で横たわりながら横浜駅に着く」という非日常さにいちいちぐっと来ていた。

列車は東海道線を走り抜けていく。静岡に入るか入らないかくらいで僕も眠りについた。食い入るように車窓を見ていた息子も、その頃には寝ていたはずだ。11歳にはそもそも夜の車窓がレアなので、すげー、おもしろー、と飽きずに眺めていた。

明け方、二段ベッドの上で目が醒める。あたりは明るかった。スマホをみると、朝の6時過ぎで、もう岡山あたりだった。

東京から走り続けてきたサンライズは、岡山で二手に分かれる。片方は高松へ、もう一方は出雲へ向かうためだ。停車時間が少し合ったので、息子が切り離しのシーンを見に行った。自分のスマホで動画を撮ってたはずだが、まだ見せてもらってない。

飛び出していき、感動の別れのシーンをカメラにおさめ、無事に戻ってきて元気いっぱいの11歳とは違い、41歳は二度寝を決め込んでいた。1週間よく働いたんだから仕方がない。自宅だろうが列車の中だろうが朝6時は眠いのだ。

すこし経って、もう世界はしっかりと明るくなっており、岡山県と思われる山中をサンライズは走っていた。仰向けになりながら、窓の外を、光かがやく新緑の木々がびゅんびゅんと飛んでいった。

伝わりにくいことを承知で説明を試みるのだが、サンライズの、この上のほうの窓は、アールがかかっていて、仰向けの状態で寝ていると、外の景色がかなりよく見えるのだ。

上下の窓から見える先は同じ部屋。ベッドそれぞれに窓がついている


どっしりと仰向けに寝た状態で、外にちらと目をやると、ほとんどが窓になり、けっこうな速さで景色が飛んでいくのが、本当にすてきだった。

あれを味わうためにもういちど寝台列車の、二段ベッドの上の段に寝る、をやってみたいと思うくらいだ。たとえるなら、森の中をボブスレーにのった状態で天を見つめながらずっと滑っているような感じ。ボブスレーに乗ったことはもちろんないけど。

近しい用途の乗り物としては、夜行バスにも若い頃からよく乗っていて、あのどことない気の抜けない「ハングリーさ」と、夜中のサービスエリアの静けさとかは、すごく好みだ。でも40を過ぎて、あのシートにはもう身体は悲鳴をあげるだろう。今のったら、お尻の肉がとれちゃう悪夢を見てしまうかもしれない。

それにひきかえ、寝台列車のあれはなんというか、子どもの頃に親が運転する車で寝ちゃってた時のような感覚に近いだろうか。確実に目的地へ連れてっていってもらえる安心感があり、思い切ってうたた寝できて、行き先についたら起こしてもらえるような。

びゅんびゅんと飛んでいく田園風景

実際、この岡山の山中を走り抜けている時点で、到着までまだ3時間あった。列車にのっているのに、ででんとした大きな時間の中にいられる感じが不思議だった。目が覚めたあとも、ここちよく、なかなか起きる気にならなかった。

朝食をとり、無事に出雲へ到着

その後、列車が米子につく頃には、起きて着替えた。ベッドを片付けると向かい合った座席に変化するので、用意しておいたおにぎりやらゆで卵などの朝ご飯を食べたり、僕が毎朝やっているpodcastに息子を出演させて生配信したりした。これが朝9時ごろ。

そして、とうとう出雲市駅に着き、忘れ物がないか確認をし、名残惜しくも車両と別れた。これが6歳くらいだったらぐずって機嫌を損ねていたかもしれないが、小学6年ともなると爽やかに別れを告げる事ができていて、やるじゃんと思った。

出雲市駅には、妻が迎えに来てくれていた。家族の旅はここから始まるわけだが、すでにけっこう満ち足りた気持ちを抱え、11歳と41歳は改札を通過した。

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