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【1000の日々】882/1000

100年前の日本のことを書くのも大変なのに、100年前のとある外国のことを書くのは恐ろしく難しい。しかもその国の政治や文化がとても強力な紋切り型のイメージで「こんな感じなんでしょ」と語られがちな場合には、その文化に敬意と興味を持って接している自分ですら、気づかないところで「こんな感じ」に囚われて文章を書いたりしてしまうこともある。過去に書いたものを読み返して愕然とすることももちろんある。経験が多少積み重なると見えているものの解像度が上がって、やっと異文化について語る恐ろしさがわかるようになる。

今カタログづくりが進んでいる展覧会では私はお手伝いという役回りだが、多少の経験で知り得たこの恐ろしさの感覚をもとに、自分に割り当てられた文章にはもちろん責任を持つし、できる限りでギリギリまで全体にも貢献することを目指している。後者は実はそう簡単には実現しないことではある。でも今回は長い付き合いの校閲の方が、陰でこの作業に大いに恵みをもたらしてくださっている。

校閲というのは、どこにどんな落とし穴があるかわからない土地を歩くときの恐ろしさ、と裏腹の、とてつもない知的スリリングさをも常時味わう仕事なのだろう。優れた校閲者は場合によっては著者以上にそれをよく知っている。そして落とし穴を見つけ出す。それで著者は命拾いする。にもかかわらず校閲者は表彰されることもない究極の裏方なのだ。頭が上がらない。

20240511

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